その言葉はどこか悲しい。障害のある子の親が真に願っていること

ライター:あいちゃんパパ
その言葉はどこか悲しい。障害のある子の親が真に願っていることのタイトル画像

社会から理解されなければならないのではなく、それが当たり前の世の中になって欲しい、そう思っています。

その言葉は、同情?挨拶?

その言葉はどこか悲しい。障害のある子の親が真に願っていることの画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28208000225
「障害があるの?大変ね~」

子どもに障害があると伝えた時、このように言われた経験のある方は多いと思います。

周りから同情されることもあるかもしれません。

私は「えっ?あの〇〇ちゃんに本当に障害があるの?そんな風にみえないよ。だから、きっと大丈夫」と励ましの言葉をもらったことがあります。

しかし、私はそう言われてもなぜか心の中が落ち着きません

落ち着くどころか、むしろ胸がつかえた気分になります。

相手の言葉に気持ちが入っていないような、まるで、挨拶のようにも思えるのです。

周囲は「障害を持っている子どもの親」というだけで「なんだかわからないが、とにかく大変なんだ」と思っているように私は感じます。

おそらく、それ以上には思えないのだと思います。

知人からも「困っていたら何でも言ってね」と声をかけてもらったことがあります。
でも、それは「単なる気遣いの言葉」のように感じてしまいました。

発達障害に限った話ではなく、重病人を抱えているご家族も、同じ気持ちになったことがあるのではないでしょうか?それぞれの家庭の事情を、他人が理解するのは、簡単なことではないですよね。

社会の理解を求めるのは難しくても

その言葉はどこか悲しい。障害のある子の親が真に願っていることの画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28174008889
社会にはいろいろな考えを持った人が大勢いるので、私は社会に理解を求めることはあえてしません。

障害者に歩み寄ろうとする人もいれば、障害があるからといって「甘えさせてはいけない」と思う人もいるでしょう。

電車の中で、自閉症と思われる子が奇声などを発していると、

・それを無視をする人

・じっとその子を怪訝な目で見ている人

に遭遇します。

他人から理解されることが難しいのに、他人が多く集まった社会から理解されることはもっと難しいと感じています。

「普通に」接することから

その言葉はどこか悲しい。障害のある子の親が真に願っていることの画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28174009803
では、障害のある人とどう関わっていけば良いのでしょうか。

私は、何も特別扱いをする必要はないと思っています。

それは、ただただ「普通に接して欲しいだけ」なのです。

「普通に」というのは、どの子も同じように扱ってほしいということではありません。

電車など交通機関で、お年寄りや妊婦さんに席を自然に譲るように、

「困っていることの延長線」で、障害のある子どもの困り事を見て欲しいだけなのです。

そして、障害のある子の保護者も、我が子を特別扱いをする必要はないと思います。上記のように、困りごとの延長として、普通に接するほうがいい、そう思っています。

私たちの振る舞いから「こんな風に接してほしい」というメッセージを、周囲に送ることができるのではないでしょうか。
「普通」ってなんだろう?子どもと関わるときに大切にしたい「インクルーシブ教育」という考え方のタイトル画像

「普通」ってなんだろう?子どもと関わるときに大切にしたい「インクルーシブ教育」という考え方

次ページ「障害者も社会の一員として普通に参加する世の中に」

追加する

バナー画像 バナー画像

年齢別でコラムを探す


同じキーワードでコラムを探す



放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

コラムに対する投稿内容については、株式会社LITALICOがその内容を保証し、また特定の施設、商品及びサービスの利用を推奨するものではありません。投稿された情報の利用により生じた損害について株式会社LITALICOは一切責任を負いません。コラムに対する投稿内容は、投稿者の主観によるもので、株式会社LITALICOの見解を示すものではありません。あくまで参考情報として利用してください。また、虚偽・誇張を用いたいわゆる「やらせ」投稿を固く禁じます。「やらせ」は発見次第厳重に対処します。