友だちが叱られると泣く息子。優しさ?思いやり?本当の理由は…
ライター:林真紀
息子は誰かが喧嘩していたり先生に叱られていたりするのがとても苦手。喧嘩は全力で止めに入るし、叱られている子を一生懸命守ってあげようとします。そんな息子はよく「癒し系」と言われます。けれども、実はこれは息子の生きづらさに直結していたのです。
みんなに「癒し系」と言われる息子
息子はお友達同士が喧嘩しているとすぐに止めに入り、お友達が先生に叱られているのを見ると「先生、この子のこと叱らないであげて」と涙をためながら止めに来ていたそうです。
「こんな優しい子、いないよ」とよく言われます。
でも、「癒し系」息子の本音は、実は「優しさ」や「気遣い」とはちょっと違ったのです。
発達障害のある息子は小さな頃から、お友達が喧嘩したり、お友達が先生に叱られていたりするのを見るのが苦手でした。
先生がついついイライラしてしまうようなシーンも苦手で、そういうときは「先生、大丈夫?」と先生を気遣うのだそうです。
おかげで、幼稚園でも習い事でも「息子くんに癒されます~」とよく言われます。
「こんな優しい子、いないよ」とよく言われます。
でも、「癒し系」息子の本音は、実は「優しさ」や「気遣い」とはちょっと違ったのです。
発達障害のある息子は小さな頃から、お友達が喧嘩したり、お友達が先生に叱られていたりするのを見るのが苦手でした。
先生がついついイライラしてしまうようなシーンも苦手で、そういうときは「先生、大丈夫?」と先生を気遣うのだそうです。
おかげで、幼稚園でも習い事でも「息子くんに癒されます~」とよく言われます。
自他の区別が付きにくいという特性
息子に一度聞いてみたことがあります。
私:「どうして泣いている子やイライラしている人が気になるの?」
息子:「まるで自分が叱られているような気持ちになる」
私:「先生がイライラしていたりするときは?」
息子:「自分のことを責められているような気持ちになる」
とのことでした。
どうやら息子は「自分と他人の境界線が限りなく曖昧」になっていたようです。
このために、ちょっとした子供同士の喧嘩や先生からの注意も全部自分に向けられているように感じてしまっていたのです。
発達障害児の特性として「自他の区別がつきにくい」(自分と他人との境界線が曖昧)というものがあります。
この状況は人によっては、息子に癒されるかもしれない。
でも、息子自身は毎日の日課をこなすだけで、身も心もクタクタになっていたのです。
それもそのはずです。自分に向けられているわけではない沢山の言葉まで、全部自分に向けられているように感じて、傷ついているのですから。
私:「どうして泣いている子やイライラしている人が気になるの?」
息子:「まるで自分が叱られているような気持ちになる」
私:「先生がイライラしていたりするときは?」
息子:「自分のことを責められているような気持ちになる」
とのことでした。
どうやら息子は「自分と他人の境界線が限りなく曖昧」になっていたようです。
このために、ちょっとした子供同士の喧嘩や先生からの注意も全部自分に向けられているように感じてしまっていたのです。
発達障害児の特性として「自他の区別がつきにくい」(自分と他人との境界線が曖昧)というものがあります。
この状況は人によっては、息子に癒されるかもしれない。
でも、息子自身は毎日の日課をこなすだけで、身も心もクタクタになっていたのです。
それもそのはずです。自分に向けられているわけではない沢山の言葉まで、全部自分に向けられているように感じて、傷ついているのですから。
他人が笑うとパニックになる息子が、笑顔ある生活を取り戻すまで
「誰が言われてるのか」を意識させよう
この状況をなんとかできないものか?と考えました。
息子は状況の説明や物語の説明などをするときに、なぜか主語を抜かして喋る傾向にあります。
また、物語などを読みながら「この子は誰かな?」と聞いたりすると「僕」と答えます。
主語が全て「僕」になってしまうところに、息子の自他境界の曖昧さを感じるときがありました。
「だれが」という主語を確認しておかないと、息子はまるで自分に起きた出来事のように話し続けてしまいます。
私は普段の会話の中で、息子に主語を意識させるよう心がけてみました。
以下は普段の会話の一例です。
息子:「今日ね~、先生に叱られちゃったんだよ~」
私:「誰が、先生に叱られたのかな?」
息子:「う~んと、お友達の◎◎くん!」
私:「そうか、◎◎くんが悲しかったんだね」
息子:「そう、◎◎くんが悲しかったの」
こんなふうに、できごとを整理して一緒に考えていきます。
そうすることで、息子は自分と他者の区別が付きやすくなるようです。
また、絵本もお勧めです。
絵を見ることで客観的に状況を理解できますし、主語を意識させる良いトレーニングになるからです。
会話と同様に、絵を見ながら「誰が泣いたの?」「誰が怒ったの?」など、主語を考える質問をし、息子に物語を説明させています。
息子は状況の説明や物語の説明などをするときに、なぜか主語を抜かして喋る傾向にあります。
また、物語などを読みながら「この子は誰かな?」と聞いたりすると「僕」と答えます。
主語が全て「僕」になってしまうところに、息子の自他境界の曖昧さを感じるときがありました。
「だれが」という主語を確認しておかないと、息子はまるで自分に起きた出来事のように話し続けてしまいます。
私は普段の会話の中で、息子に主語を意識させるよう心がけてみました。
以下は普段の会話の一例です。
息子:「今日ね~、先生に叱られちゃったんだよ~」
私:「誰が、先生に叱られたのかな?」
息子:「う~んと、お友達の◎◎くん!」
私:「そうか、◎◎くんが悲しかったんだね」
息子:「そう、◎◎くんが悲しかったの」
こんなふうに、できごとを整理して一緒に考えていきます。
そうすることで、息子は自分と他者の区別が付きやすくなるようです。
また、絵本もお勧めです。
絵を見ることで客観的に状況を理解できますし、主語を意識させる良いトレーニングになるからです。
会話と同様に、絵を見ながら「誰が泣いたの?」「誰が怒ったの?」など、主語を考える質問をし、息子に物語を説明させています。