先日、朝刊に「きょうだい児」に関する記事が掲載されていました。
「きょうだい児」とは、障害のある兄弟姉妹を持つ子どものことを言うのだそう。初めて知りました。仕事柄、こういう記事についつい目がいってしまいます(*´ω`*)
「きょうだい児」は、障害児中心の家庭の中で1人で自分の感情を出すことができず、苦しむ子も少なくないそうです。
記事ではそんな「きょうだい児」をサポートするため、徐々に支援の輪が広がっていることを伝えていました。
「きょうだい児」を集めて料理教室を行ったり、ボウリングやキャンプなどを通じてボランティアとの関係を深めたり。
国は本格的な支援に乗り出してはいるものの、行政担当者の中には支援の方法が分からず、まだまだ手探りの状態だとか。
仕事柄、障がいを持った子どもたちと接する機会はあれど、その兄弟姉妹と関わることはほとんどありません。彼らがどんなことを考えているのかなんてことは、この記事を読むまでは深く考えたことはありませんでした。
障がいを持つ子の兄弟姉妹の気持ち。
どんなだろうと思いを巡らせてみても、僕は当事者ではないので100%理解はできません。
しかし、想像することはできます。
僕には3歳年上の姉がいましたが、3年前に不慮の事故で亡くなりました。結婚し出産後、20年もの間、統合失調症に苦しみ、入退院を繰り返していました。深夜、飲み薬が誤って喉に詰まり窒息死でした。
20代半ばから病院での生活が大半。しかし、病気と言えども僕からすれば姉は姉。その関係性は揺るぎないものでした。
病院から届く姉からの手紙の文面はいつも気丈で、病の気配など微塵も感じさせない。そのため、当時、僕自身さほど心配していませんでした。
両親はと言えば、そんな姉のことをただただ優しく見守り続け、会えば僕の仕事や健康面のことを気遣ってくれました。
姉が亡くなった日、僕は死ぬほど泣きました。そんな時でも、両親は僕や僕の妹を気遣う言葉をかけてくれる。
そのときはっとしました。死ぬほど泣きたいのは両親なのではと。40数年見守ってきた娘を突然失った親の気持ち。それは想像を絶する苦しみのはず。
僕よりずっと身近にいて、常に姉のことを考えて見守ってきた両親。そして、病気をしてからもずっと寄り添ってくれた旦那さん。僕よりも遥かに辛かったと思います。
しかし、最後まで僕の前で彼らが泣くことはありませんでした。闘病生活で苦しむ姉を間近に見てきたからこそ、よくここまで頑張ったねという気持ちも少なからずあったのではと思います。
病気を持つ家族の気持ち。それは障害を持つ家族の気持ちに似ていると思います。
病気や障害を持つ子を支援することは当然ですが、その家族を支援することも重要なことではないかと思います。
心身ともに健康でなければ、支援どころではない。そもそも障害を持つ家族や兄弟姉妹も自分たちの人生を愉しむ権利があると思います。
私的な話でオーバーな表現になってしまいすみません(汗)。
障害や病気を持つ方を支援するのは当然ですが、一番身近にいる方の大変さだったり気持ちももっと想像すべきなのかなと思います。
私たちが「きょうだい児」にできること、港教室でも何らかの形で支援ができたらいいなと思わせてくれた記事でした。
「きょうだい児」も支援する必要性に気づかされる
教室の毎日
19/12/07 07:56