2月に入りました! 今日は節分!!
皆さんは、恵方巻を召し上がられるのでしょうか。
因みに、今年の恵方は東北東だとか。
私はいつもと変りない夕食で済ませます。σ( ̄∇ ̄; )
今日のいきるちからでは、「鬼退治シューティング」を行いました。
割りばしパチンコで玉を飛ばして、紙コップの鬼を退治!
集中力、力加減など、色々な力を養うこのゲーム。
みんなと~っても楽しんでくれましたよ♪
さて、今日は、1月5日に私が記事でご紹介した『小児科一筋60年の医師が説く 子育て5つのカギ』という本の中から、私がとても共感している個所をご紹介したいと思います。
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〇「努力すれば報われる」は子の将来性を見失う
(略)
たとえば子どもがお腹が痛い、頭が痛いと言って学校へ行けなくなった、と受診に来られると、学童期~思春期の場合は直接そうとは言わなくても、いじめなどの人間関係か、受験の悩みのいずれかをもっているかが大半を占めるような印象です。
そんななかで思うのは、子が大きくなるにしたがい、親がこうなって欲しい子どもの像と、子ども自身がこうなりたい自分の像との間にだんだんずれが生じ、双方が悩んでしまうケースが目立ってくるということです。
(略)
親として子どもが自分の好きなことを見つけてのびのびとやれるようになんとかしてあげたい、と思うのはごく自然なことです。しかし、行き過ぎると子どもよりも親の熱量が上回ってしまい、 期待という名の荷物を子どもに背負わすことにならないかと心配もしています。
意図的に、子に自分の思い描いた道を歩ませようとする親も多いように感じています。 親は、赤ちゃんの頃からずっとわが子を見ているわけですから、子どものことは何でも知っている気になりやすいものです。でも子どもは学童期ともなればもう親の知らない外の世界へ出て行っています。
学校なり習い事なり、交友関係なり、親がハンドリングできるわけではない世界をいくつももっているはずなのですが、それを認めたがらない心理が親にあると、いちいち指示を出したり、本来子どもに任せるべきことを自分が先回りしてやったりするなど、過干渉になってしまうのではないかと思います。
努力すれば報われるとばかりに叱咤激励を繰り返したりするのも、過干渉の一種といえます。こうした親の振る舞いは、子が自主的に歩み独り立ちしていこうとする力をそいでしまったり、 将来の選択肢を狭めてしまったりすることにもなりかねないと私は危惧しています 。
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私たち大人は、「努力しても報われないこともある」という経験を、何度も繰り返してきたはずです。
しかし平気で子どもたちに「頑張れば、きっとできるよ!」などという無責任は発言をしていないでしょうか。「頑張ったのにできなかった…」と打ちひしがれている子どもに、どう言い訳をするのでしょうか。
私は学年で一番足が遅い子どもでした。一生懸命走っているのに、いつもビリでした。
幼稚園の頃は、運動会のかけっこで転んだお友だちがいると私は走って戻り、そのお友達と手をつないで一緒にゴールする子どもでした。だから、やっぱりビリでした。(笑)
他人よりも何かが優れていなければならないのでしょうか。
いつも誰かと競争する人生を歩まねばならないのでしょうか。
何が何でも「平均値」の枠内に収まらなければならないのでしょうか。
子どもの人生は、親のものではありません。子ども自身のものです。
親が責任を持つべきは、親自身の人生だけです。そして、「人生は楽しいんだよ。幸せなものなんだよ」ということを、生き様を通して子どもに見せることです。
その人がその人らしく、周りからの評価など気にせず、毎日楽しく幸せに生きること。
これは、私が今実践している生き方です。
私たちがこの世に生まれてきたのは、たくさんのお金を持ったり、いい家に住んだり、格好いい車に乗ったり、高級品を身につけたり、他人からの高い評価を得たりするためではありません。
自分の全てを丸ごと受け入れ、肯定し、人生を楽しみ、幸せに生きるために生まれてきたのです。
だからまずは、親が自分自身の人生をどうしたいのか(ここで大切なのは「どうすべきか」ではありません)を探ること、何が「自分にとっての幸せ」なのかを見つけることが大切です。
今、ご自身のベクトルがお子さんにしか向いていない自覚がおありなら、ご家族皆さんの幸せのためにも、是非そのベクトルをご自身にも向けて頂きたいな~…と思うYELLOWなのでした。
(。>ω<。)ノ またネェ~ッ!
努力すれば報われる?
コラム
24/02/03 17:07