「遊びの時間が終わりだよ、ご飯だよって言っても、『まだ! まだ!』って聞かなくて。全然切り替えられないんです」
「毎日毎日、同じことの繰り返しで……。いい加減にしてほしいって思っちゃうんです」
お母さんとお話をしていると、こんな声をいただくことがあります。
そうですよね。
大人がどれだけ声をかけても、返ってくるのは同じ言葉です。
「まだやってない」
「ぜんぶやってない」
そんなやり取りをしている間にも、大人にはやることがたくさんあります。
ご飯の準備。お風呂。片づけ。明日の支度・・・
だから、つい言ってしまいます。
「もう十分やったでしょう」
「いつまでやってるの」
「いい加減にして」
けれど、子どもにとっては、まだ十分ではないのかもしれません。
大人には見えていない「続き」が、子どもの中にはあるからです。
────
大人には、ただのビーズに見えていた。
ある日の夕方。
4歳のゆいちゃんは、机に向かってビーズを並べていました。
赤、青、黄色。
赤、青、黄色。
お迎えに来たお母さんが、玄関で待っています。先生が声をかけました。
「ゆいちゃん、お母さん来たよ」
けれど、ゆいちゃんは手を止めません。
「まだやってない。ぜんぶやってない」
「今日はここまでにして、続きは明日にしようか」
「だめ。ぜんぶやってない」
お母さんは、少し困った顔で言いました。
「いつもこうなんです。家でも、一度始めたら全然終われなくて」
そして、ゆいちゃんに声をかけます。
「ほら、ゆい。今日はお母さんが迎えに来るからねって言ってたじゃない。帰りにおばあちゃんの家に行くの喜んでたじゃない。もういいよ。帰るよ」
それから先生に向かって、少し申し訳なさそうに言いました。
「先生、すみません」
大人から見れば、ビーズはもう十分に並んでいました。
けれど、ゆいちゃんは、大人と同じ場所を見ていたわけではありません。
ゆいちゃんの頭の中には、完成した形がありました。
「ここまで並べたい。」
「この色まで置きたい。」
「この形にして終わりたい。」
目の前のビーズは、大人にとっては「遊びの途中」。
けれど、ゆいちゃんにとっては、「まだ完成していない作品」だったのです。
────
「もう終わり」は、何を終わらせているのか
大人は、時計を見て行動します。
何時までに帰る。何時からご飯を食べる。次の予定に間に合わせる。
けれど、小さな子どもは、時計よりも体験の中を生きています。
「完成した。」
「納得した。」
「できたと思えた。」
子どもにとっての終わりは、時刻ではなく、感覚です。
だから大人が突然、「時間だから終わり」と区切ると、子どもには、途中で自分の世界を閉じられたように感じることがあります。
もちろん、毎回好きなだけ続けさせることはできません。
生活には時間があります。次の人の予定もあります。帰らなければならない日もあります。
大切なのは、子どもの要求をすべて通すことではありません。
子どもの中にある「終わり」を一度見に行くことです。
────
子どもの完成図を言葉にしてみる。
先生はゆいちゃんに聞きました。
「どこまでできたら、終われそう?」
ゆいちゃんは手を止め、並べたビーズを見ました。
少し考えてから、指を3本立てました。
「あと3個」
「あと3個並べたら、今日はおしまいにする?」
「うん」
ゆいちゃんは、ゆっくり3個のビーズを並べました。
そして、自分でビーズを箱に戻しました。
大人に無理やり終わらされたのではありません。
自分の中にあった完成図と、現実の時間との間に、自分で折り合いをつけたのです。
これが、「切り替える力」の始まりです。
切り替える力は、言われた瞬間にすぐ動ける力だけではありません。
「自分の気持ちを知る。」
「どこまでやりたいのかを考える。」
「今できる範囲を決める。」
「自分で終わりに向かう。」
そうした経験が積み重なって、少しずつ育っていきます。
────
「まだ」の中には、子どもの考えがある。
お母さんは、並べられたビーズを見て、少し驚いたように言いました。
「家では、散らかしてばかりだと思っていました」
「まだやってない」
「ぜんぶやってない」
その言葉だけを聞くと、わがままや、切り替えの悪さに見えるかもしれません。
けれど、その奥には、
「ここまでやりたい」
「こういう形にしたい」
「自分で終わりを決めたい」
という、子どもなりの考えがあります。
子どもは、自分の中にある思いや完成図を、まだ十分に言葉にすることができません。だから、ときどき、
「まだ」
「やだ」
「ぜんぶ」
という強い言葉でしか、自分の中にあるものを表せないことがあります。
あびラボ学園は、その言葉だけで子どもを判断しません。その言葉の奥に、何があるのかを見ます。
今日もどこかで、「もう終わり」「早くして」「いつまでやっているの」と声をかけているお母さんへ。
毎日、子どもの都合に合わせる必要はありません。
疲れる日は、疲れて当然です。ただ、ときどき聞いてみてください。
「どこまでやったら、終われそう?」
その一言で、子どもの中にある世界が少し見えるかもしれません。
あびラボ学園は、その『まだ』の奥にあるものを見ながら、一人ひとりの『ねっこ』を育てていきたいと思っています。
「毎日毎日、同じことの繰り返しで……。いい加減にしてほしいって思っちゃうんです」
お母さんとお話をしていると、こんな声をいただくことがあります。
そうですよね。
大人がどれだけ声をかけても、返ってくるのは同じ言葉です。
「まだやってない」
「ぜんぶやってない」
そんなやり取りをしている間にも、大人にはやることがたくさんあります。
ご飯の準備。お風呂。片づけ。明日の支度・・・
だから、つい言ってしまいます。
「もう十分やったでしょう」
「いつまでやってるの」
「いい加減にして」
けれど、子どもにとっては、まだ十分ではないのかもしれません。
大人には見えていない「続き」が、子どもの中にはあるからです。
────
大人には、ただのビーズに見えていた。
ある日の夕方。
4歳のゆいちゃんは、机に向かってビーズを並べていました。
赤、青、黄色。
赤、青、黄色。
お迎えに来たお母さんが、玄関で待っています。先生が声をかけました。
「ゆいちゃん、お母さん来たよ」
けれど、ゆいちゃんは手を止めません。
「まだやってない。ぜんぶやってない」
「今日はここまでにして、続きは明日にしようか」
「だめ。ぜんぶやってない」
お母さんは、少し困った顔で言いました。
「いつもこうなんです。家でも、一度始めたら全然終われなくて」
そして、ゆいちゃんに声をかけます。
「ほら、ゆい。今日はお母さんが迎えに来るからねって言ってたじゃない。帰りにおばあちゃんの家に行くの喜んでたじゃない。もういいよ。帰るよ」
それから先生に向かって、少し申し訳なさそうに言いました。
「先生、すみません」
大人から見れば、ビーズはもう十分に並んでいました。
けれど、ゆいちゃんは、大人と同じ場所を見ていたわけではありません。
ゆいちゃんの頭の中には、完成した形がありました。
「ここまで並べたい。」
「この色まで置きたい。」
「この形にして終わりたい。」
目の前のビーズは、大人にとっては「遊びの途中」。
けれど、ゆいちゃんにとっては、「まだ完成していない作品」だったのです。
────
「もう終わり」は、何を終わらせているのか
大人は、時計を見て行動します。
何時までに帰る。何時からご飯を食べる。次の予定に間に合わせる。
けれど、小さな子どもは、時計よりも体験の中を生きています。
「完成した。」
「納得した。」
「できたと思えた。」
子どもにとっての終わりは、時刻ではなく、感覚です。
だから大人が突然、「時間だから終わり」と区切ると、子どもには、途中で自分の世界を閉じられたように感じることがあります。
もちろん、毎回好きなだけ続けさせることはできません。
生活には時間があります。次の人の予定もあります。帰らなければならない日もあります。
大切なのは、子どもの要求をすべて通すことではありません。
子どもの中にある「終わり」を一度見に行くことです。
────
子どもの完成図を言葉にしてみる。
先生はゆいちゃんに聞きました。
「どこまでできたら、終われそう?」
ゆいちゃんは手を止め、並べたビーズを見ました。
少し考えてから、指を3本立てました。
「あと3個」
「あと3個並べたら、今日はおしまいにする?」
「うん」
ゆいちゃんは、ゆっくり3個のビーズを並べました。
そして、自分でビーズを箱に戻しました。
大人に無理やり終わらされたのではありません。
自分の中にあった完成図と、現実の時間との間に、自分で折り合いをつけたのです。
これが、「切り替える力」の始まりです。
切り替える力は、言われた瞬間にすぐ動ける力だけではありません。
「自分の気持ちを知る。」
「どこまでやりたいのかを考える。」
「今できる範囲を決める。」
「自分で終わりに向かう。」
そうした経験が積み重なって、少しずつ育っていきます。
────
「まだ」の中には、子どもの考えがある。
お母さんは、並べられたビーズを見て、少し驚いたように言いました。
「家では、散らかしてばかりだと思っていました」
「まだやってない」
「ぜんぶやってない」
その言葉だけを聞くと、わがままや、切り替えの悪さに見えるかもしれません。
けれど、その奥には、
「ここまでやりたい」
「こういう形にしたい」
「自分で終わりを決めたい」
という、子どもなりの考えがあります。
子どもは、自分の中にある思いや完成図を、まだ十分に言葉にすることができません。だから、ときどき、
「まだ」
「やだ」
「ぜんぶ」
という強い言葉でしか、自分の中にあるものを表せないことがあります。
あびラボ学園は、その言葉だけで子どもを判断しません。その言葉の奥に、何があるのかを見ます。
今日もどこかで、「もう終わり」「早くして」「いつまでやっているの」と声をかけているお母さんへ。
毎日、子どもの都合に合わせる必要はありません。
疲れる日は、疲れて当然です。ただ、ときどき聞いてみてください。
「どこまでやったら、終われそう?」
その一言で、子どもの中にある世界が少し見えるかもしれません。
あびラボ学園は、その『まだ』の奥にあるものを見ながら、一人ひとりの『ねっこ』を育てていきたいと思っています。