アスペルガー症候群の私が親になり、つまづいた子育ての難しさ
ライター:ヨーコ
うちは娘と私のふたり暮らし。そして2人ともアスペルガー症候群と診断されています。小2から不登校になったこともあって、学校や関係機関との交渉、入院の付き添い、不安定な娘との2人っきりの生活などストレスフルなことがいっぱい。そんな育児を振り返って、親子で発達障害の育児ってどうなんだろうと考えてみました。
娘の診断がおりたとき、自分自身の障害にも気づいた
私は、娘の診断が出るまで「発達障害かもしれない」と疑ったことが全くありませんでした。
こだわりが強い、感覚が過敏、完璧にできないと嫌、友達付き合いがうまくいかない。
同じ特性を持つ私にとっては、これらは当たり前のことであり、「発達が凸凹なのかな」などの疑問も抱きませんでした。
娘が診断を受けて、これらが「特性」だと教えてもらってから、自分も発達障害があるのだと気付いたのです。
親子で発達障害というケースはけっこう多いようで、子どもの診断をきっかけに、父親か母親かあるいは両親のどちらも発達障害である、と診断されることもあります。
こだわりが強い、感覚が過敏、完璧にできないと嫌、友達付き合いがうまくいかない。
同じ特性を持つ私にとっては、これらは当たり前のことであり、「発達が凸凹なのかな」などの疑問も抱きませんでした。
娘が診断を受けて、これらが「特性」だと教えてもらってから、自分も発達障害があるのだと気付いたのです。
親子で発達障害というケースはけっこう多いようで、子どもの診断をきっかけに、父親か母親かあるいは両親のどちらも発達障害である、と診断されることもあります。
大人のアスペルガー症候群、アスペルガー症候群での仕事での困りごとや対処法まとめ【専門家監修】
娘の支援のために、と動くことが大きなストレスになっていた
娘が不登校になって学校や相談機関と何度も話し合う中で時には責められたり強引な指示を受けたこともありました。
私は定型発達の人と比べ、話をうのみにしてしまったり、また相手の話を理解できなかったりすることがよくあります。
物事を順序立てて考えることが苦手で、とっさに反応できずに何時間も経ってから「ああ言えばよかった」「よく考えたらひどいことを言われた」と気づく私は、そういった場面にひどくストレスを感じました。
傷ついた娘が私にぶつかってくるたび、娘の対応する事にストレスを感じ、周囲や家族との間で板挟みの私は対応に疲れ果て、心身共に調子が悪くなって寝込んでばかりいました。
想定外のことばかりの日々に、ただでさえ許容量の小さな心はズタボロに壊れていったのでした。
私は定型発達の人と比べ、話をうのみにしてしまったり、また相手の話を理解できなかったりすることがよくあります。
物事を順序立てて考えることが苦手で、とっさに反応できずに何時間も経ってから「ああ言えばよかった」「よく考えたらひどいことを言われた」と気づく私は、そういった場面にひどくストレスを感じました。
傷ついた娘が私にぶつかってくるたび、娘の対応する事にストレスを感じ、周囲や家族との間で板挟みの私は対応に疲れ果て、心身共に調子が悪くなって寝込んでばかりいました。
想定外のことばかりの日々に、ただでさえ許容量の小さな心はズタボロに壊れていったのでした。
娘の特性を理解していくと、自分自身のことも理解できるように
一方で、私たち親子はよく似た困り感で苦労しており、娘が耐え難いことを私は容易に想像できたのです。
娘の感覚や困り感を共感したり細かく把握していくと、自分自身を客観的に見つめることができ、ストレスを感じることが減りました。
娘を育てる中で、自分の感覚を追体験していくと「私も分かってほしかった…」という過去の自分の心を慰めることにつながっていたのです。
そして、娘の主治医は私たちにいいました。
「2人で一緒に治っていきましょう」
娘の感覚や困り感を共感したり細かく把握していくと、自分自身を客観的に見つめることができ、ストレスを感じることが減りました。
娘を育てる中で、自分の感覚を追体験していくと「私も分かってほしかった…」という過去の自分の心を慰めることにつながっていたのです。
そして、娘の主治医は私たちにいいました。
「2人で一緒に治っていきましょう」