発達障害の僕も、いじめを乗り越えられた。でも周りと壁を感じ続けていた

ライター:穹峰蒼志
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「発達障害のあるこの子は、将来社会で生きていけるのか?」そんな不安を抱えている保護者の方は多いのではないでしょうか。このコラムでは発達障害当事者である私が、どのような幼少期を過ごし、安定した就労に至ったかについてお話したいと思います。

今回は、私が過ごした幼少期についてです。

初めまして、この記事に目を留めて下さりありがとうございます。

これを読まれている皆様は発達障害との縁が多少なりともある方だと思います。
お子様への接し方が分からない。学校などの集団生活になじめない。他人と考え方・感じ方が異なるため誤解されやすい。
抱えていらっしゃる悩みごとは様々だと思います。

そこで発達障害当事者である私が、自分の障害とどのようにして付き合い、受け入れ、いまの仕事をしているかについて書かせていただきました。

今回は、私の幼少期の学校生活についてです。

「障害」を周りの大人たちが認識したのは小学生のとき

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小学生のころ、私は自分自身に障害があることを認識しておりませんでした。

私の異常を最初に気づいたのは周囲の大人達で、小学1年生のときでした。
この時期になっても未だに私だけ読み書きができなかったためです。

私は文字の形を認識することができず、平仮名が書けませんでした。
ようやく書けるようになっても、文章を書くことはとても難しかったです。
作文の宿題が出ると、机に向かって書こうとするのですが、2~3時間頑張ってやっと2~3行書けたぐらいでした。

読解については、文字を1文字ずつしか読めず、意味も理解できませんでした。
例えば「がっこう へ あるいて いく」なら「が、つ、こ、う、へ、あ、る、い、て、い、く」か「が、つこう、へある、いていく」としか読めず、単語の認識ができなかったようです。

さらに算数も、数字の意味や計算の仕組みを理解する事ができませんでした。1+1すらできなかったそうです。

自分の努力と適切な支援のおかげで、勉強ができるようになった

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私の様子を担任の先生から指摘され、手を尽くして原因を調べた母は、「発達障害」の存在を知りました。
当時はまだあまり知られていない障害でしたが、運よく発達障害を研究している機関を見つける事ができました。

そこで私に下された診断は学習障害(LD)。でもこのとき私はまだ、自分に障害があるということをきちんと認識できていませんでした。研究機関に通って母と医師が何やら話しているものの、私は内容が自分に関することだとは思いもせず、退屈だったので同じ部屋内で遊んでいました。

しかしこの診断があったことで、母は「根気よく繰り返し、できなくてもイライラせずに、できた事があれば必ず褒める」という教育方針のもとで私を勉強させてくれました。最初なかなか進歩は見られませんでしたが、学校の授業で漢字が出てきてから変化が見られました。

例えば「つき」という平仮名だけだとその意味がわからなかったのですが、漢字の「月」は三日月の絵が崩れて漢字になったという成り立ちを見ながら教えてもらうことで、漢字の形と意味を理解できました。

漢字を覚えたことがきっかけで、「文字を組み合わせて単語をつくる」ということもだんだんと理解できるようになり、これをきっかけに文章も徐々に読めるようになりました。

作文はやはりかなり苦手で、宿題はいつも母が隣で手助けをする必要がありました。
しかし、私が強く「書きたい」と思ったことについては、周囲が驚くほど筆が進んだそうです。

算数については、数を数字以外のもので視覚化する事で分かるようになりました。
例えば先ほどの1+1は、りんごを用意して実際に数える事で理解できました。ただし、文章問題は問題を読み解く必要があるため、できるようになるまでかなり時間がかかりました。

このように私は、苦手なことを他の子どもたちとは違う方法で勉強することで、学習の遅れを補うことができました。

いじめもあった。でも得意なことをがんばることで、周りに認めてもらえた

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同級生達を始めとした人間関係ですが、小・中・高のどこでも入学してから数ヶ月の間よくいじめられていました。幸い私の周りには助けてくれる大人たちがたくさんおり、大事には至りませんでした。

ただ、担任の先生は私の扱いに困っていたようで、よく怒られていたのを覚えています。でも私自身は何が問題で怒られているのかさっぱりわかりませんでした。

何が原因だったのか、はっきりとした事は不明ですが、私は授業中に逃げ出して行方不明事件になる一歩手前まで大騒ぎになった事がありました。
このように、後先考えず衝動的に行動するところが、恐らく周りから見て異質に見えたのではと思います。

このように書くと「発達障害のある子どもは学校になじめないんだ」と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。

そして、私自身の得意分野が周りに認められたことも、同級生たちとの関係が良くなった一因でした。
小学校3~4年生のころ、クラスメイトの誕生日カードを作る宿題がありました。
私はこの宿題に夢中になり、夜中の12時頃まで絵を描き続けて、本来は作る必要のない表紙の絵まで描いたそうです。

そのとき母は「学校の成績ではあまり重要ではないことに時間を割いて…」と思ったそうですが、夢中になって完成させたカードはクラスメイトの間で好評になり、同級生たちと仲良くなるきっかけになりました(ちなみに誕生カードを贈ったクラスメイトとは、特に親しい間柄ではありませんでした)。

何かを作りだすと夢中になり、図工や美術の科目で良い評価を受けることは、その後もたくさんありました。

こういった経緯で、周りから見た私は「変わり者だが、すごいやつ」という認識になっていき、次第に同級生たちから認められるようになっていきました。
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