「あなたは、だあれ?」と呟いた。娘は私の名前もわからなかった

家に入ると、「あなたは、だあれ?」と娘は呟きました。

一瞬ドキッとしました。

ですが、以前にも薬を飲んだ後に意識がぼんやりしていたとき、この言葉をつぶやいていた覚えがあったので、今回も一瞬の出来事だろうと軽く考えておりました。

ところが「あなたは、だあれ?」と何度も尋ねる娘の様子に、私は初めてとんでもない事が起きているのかもしれない…と、気づいたのでした。

「家に帰りたいの。おばあちゃんのところに帰らなきゃ。」娘はしきりに家に帰ると言っては、玄関から出て行こうと試みました。

玄関のドアの前で、両手を広げて立ち塞がり、娘が外に出ないように必死に止めると「どうして止めるの?おばさん、だれ?」と、 娘は声を荒げて怒りながら言いました。

私は言葉を失いました。目の前にいる娘は、さっきまでの娘と違っていたのです。声のトーンも、言葉づかいも、確かに娘とは違っていたのでした。

「お母さんだよ!」

「お母さんって、だれ?」

私が名前を告げると娘は「知らないわ」とぽつりと言いました。この言葉で、ようやく何が起きているのか知ったのでした。
「あなたはだあれ?」アスペルガーの娘に起きた、突然の解離症状の画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10736003967
以前、医師から娘に解離症状があると告げられてから、ずっと 解離性同一性障害の心配をしていました。まさか…今、目の前にいる娘に起きているのは、もしかして…。私は、恐るおそる娘に聞いてみたのでした。

「あなたはだあれ?お名前は?」

「知らないわ!」


本当に何も知らない様子の娘に、私は娘の名前を告げました。「だれ?それ。変な名前!そんな名前嫌いよ!」娘は、嫌そうに顔をしかめて言ったのでした。

「お母さんは?お父さんは?」「いないわ!死んじゃったの。」

「どこから来たの?」「ずうっと遠くの外国。船に乗って来たの。」

「どうしてここに来たの?」「お花がたくさん咲いていて、綺麗な絵があったからホテルだと思って入ったの。」

「家族もみんな死んじゃった。おばあちゃんと住んでるの。おばあちゃん 病気だから早く帰らないと死んじゃうわ。」

そう言ってすぐに玄関から出ようとするのです。

私は、引き止めるので精一杯でした。
重度知的障害の二男は施設から帰宅したばかりでしたが、いつもの娘と異なる様子を察し、娘と私のやり取りを遠巻きに見ていました。

「この子はだあれ?」娘が二男を指差して尋ねるので、名前を告げると「可愛いわね!」と頭を撫でて微笑むのでした。

いつもなら、夕食の支度をする時間でした。このまま日が暮れていき、夜になって娘が外に飛び出してしまえば、もう私一人では対応出来ません。

友人から聞いた「交代人格」という言葉。まずは今夜を乗り切ろうと覚悟を決めた

娘の対応に困り、私は友人にメールをして相談しました。

「事故防止のためにも、交代人格には家にいて欲しいが、無理なら一緒に出かける事。
人格が戻るまでは、交代人格と対峙するしかない事。この時、交代人格を否定してはいけない。」

友人が下さったこのアドバイスは、解離について全く知識のない私にとって、ただ1つの救い。その後も情報を提供して下さり、ご自分の事のように心配して下さったのでした。

思いがけない娘の変異に驚き、何とかしてとにかく一晩を乗り切らなければという思いで必死でした。

無我夢中で、目の前の娘ではない別人格と話をして「今夜は遅いからここで泊まって欲しい」と話したのでした。

私との力づくの引っ張り合いで疲れたのでしょう。娘は、素直に私の言葉にうなずいて「今夜はこちらで泊めて下さい。」とやっと布団に入ったのでした。

そのとき既に23時をまわり、夕食の時間はとっくに過ぎていました。
その間は二男は放ったらかしでしたが、気づいたら自分でパンを焼いて黙って食べておりました。

重度の知的障害がある二男ですが、こんな時は事態を察知して私の手間を取らせずに自分でやってくれるのです。私はごめんねと謝り、感謝をしたのでした。

娘がやっと落ち着いて話ができる状況になったとはいえ、普段から服用している薬を飲ませるのにまた一苦労。
いつも通り「これを飲んでね。」と差し出すと、「毒じゃないの?」と疑って聞かないのです。必死で説得して飲んでもらい、やれやれでした。

深夜1時。大学病院に、やっとの思いで電話をかける

娘が眠ってから、すぐに大学病院に電話をかけました。深夜1時を過ぎていました。

当直医に状況を伝えると「うちの病院では、すぐに入院できないが、どうしてもと言うなら、緊急救急システムを使う方法がある。」と教えて下さいました。

他害や自傷などで命の危険があるときに、緊急で入院措置をとってくれる病院を紹介してもらえる、というような説明でした。すがるような気持ちで、緊急救急システムに電話をかけました。

しかし「おとなしく眠っている現在の状況ではシステムは使えない。もっと深刻な場合に限る。仮に使っても、遠隔地の病院しか空いていない」とのことで紹介してはもらえませんでした。

明日の朝まで、別人格と対峙しようと、私は覚悟を決めました。長い長い夜が過ぎて行きました。眠れない一夜を明かし「娘が目を覚ました時には、元の娘に戻っていますように」と、心の底から祈りました。
次ページ「朝が来て、別人格の娘との2日目が始まった」

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