なぜ中2の息子は母にハグを求めるの?愛着と発達障害との関係とは
ライター:kaoru
最近よく耳にする「愛着」という言葉。発達障害とはどんな関係があるのでしょうか?中2の息子が母である私にハグを求める姿から、発達障害児の愛着形成プロセスを考えてみました。
中2の息子の甘え方=母にハグを求める!?
アスペルガー症候群の息子は現在中学2年生。
知的な遅れもなく、言語も達者。コミニケーションに問題を抱えながらも通常学級で学んでいます。
身長は両親を追い越し、170センチを超えています。
そんな年頃の息子ですが、思春期によくある反抗的な態度は一切なく、それどころか母親の私にべったり。さすがに「抱っこして」とは言いにくいのでしょうか、ときどき「ハグして」と言ってきます。
こんな中学生をみなさんはどう思いますか?
大きすぎてもはや抱き上げる事はできないので、やや引き気味な気持ちを抑え、膝枕をしたりマッサージをしたり、私はなるべく息子の要求に応えています。
そこまでして私が息子の「ハグ」に応える理由、そこには母親としてちょっと切実な気持ちがあるのです。
知的な遅れもなく、言語も達者。コミニケーションに問題を抱えながらも通常学級で学んでいます。
身長は両親を追い越し、170センチを超えています。
そんな年頃の息子ですが、思春期によくある反抗的な態度は一切なく、それどころか母親の私にべったり。さすがに「抱っこして」とは言いにくいのでしょうか、ときどき「ハグして」と言ってきます。
こんな中学生をみなさんはどう思いますか?
大きすぎてもはや抱き上げる事はできないので、やや引き気味な気持ちを抑え、膝枕をしたりマッサージをしたり、私はなるべく息子の要求に応えています。
そこまでして私が息子の「ハグ」に応える理由、そこには母親としてちょっと切実な気持ちがあるのです。
実はとってもドライだった息子。愛情を求めるようになったのは小4の頃でした
今でこそ、素直に母親に甘えてくる息子ですが、幼い頃の息子は今と全く違いました。むしろ私に対してドライな子どもに見えました。
抱っこを求めることも後追いもなく、迷子になっても泣くことすらしない息子を前に、母親としての自信を失いかけたことも。
弟が生まれた時期に、入院するほど大きく体調を崩したこともありましたが、それでも抱っこを求めることは、ほとんどありませんでした。
その後、パニックを頻発するようになり、自分の感情を泣いて暴れるという形で出す変化はありましたが、甘えてくることはありませんでした。
息子の方から私に抱っこを求めてくるようになったのは、息子が4年生になった頃です。
6歳年下の弟にやきもちを焼き、私の膝の上に割り込んできたり、もっと自分を見て欲しいというアピールをしたり、それはまるで遅れてやってきた赤ちゃん返りの様でした。
年齢にそぐわない、しかもあまりの変貌ぶりに戸惑いもありました。しかし、やっと出てきた息子の要求に、戸惑いつつも私は受け入れることにしたのです。
抱っこを求めることも後追いもなく、迷子になっても泣くことすらしない息子を前に、母親としての自信を失いかけたことも。
弟が生まれた時期に、入院するほど大きく体調を崩したこともありましたが、それでも抱っこを求めることは、ほとんどありませんでした。
その後、パニックを頻発するようになり、自分の感情を泣いて暴れるという形で出す変化はありましたが、甘えてくることはありませんでした。
息子の方から私に抱っこを求めてくるようになったのは、息子が4年生になった頃です。
6歳年下の弟にやきもちを焼き、私の膝の上に割り込んできたり、もっと自分を見て欲しいというアピールをしたり、それはまるで遅れてやってきた赤ちゃん返りの様でした。
年齢にそぐわない、しかもあまりの変貌ぶりに戸惑いもありました。しかし、やっと出てきた息子の要求に、戸惑いつつも私は受け入れることにしたのです。
赤ちゃん返りした息子を見て実感した、母としての喜び
息子はなぜ急に、赤ちゃん返りしたのでしょうか?私はこれまでの子育てを振り返り、あることに気付きました。
発達障害と診断された当時、会話はできても自分の気持ちを言葉にできなかった息子。
その頃、パニックを起こしては体調を崩していました。今思えば、抱えきれない心の重荷が言葉にできず、ストレスが体に出ていたのかもしれません。
当時を思い出すたび、感情を上手く表現できない子どもの苦痛は計り知れず、辛かっただろうなと思います。
たとえ赤ちゃん返りという、親にとって厄介なものでも、表現できるって素晴らしいことなのですね。
大きくなった息子が抱っこを求めてきたとき、赤ちゃんのようにわがままを言い出したとき、戸惑いつつもようやくお母さんとして認められたような気がしました。
そしてゆっくりではあるけれど、息子が発達していることを実感できたのです。
発達障害児が愛着を求める過程がゆっくりなのは、自分の気持ちを表現できるまでに、時間がかかるからなのかもしれません。
そして、愛着形成は子どもだけでなく、子どもに必要とされる安心感を得るため、お母さんにとっても必要不可欠なものだと痛感したのです。
発達障害と診断された当時、会話はできても自分の気持ちを言葉にできなかった息子。
その頃、パニックを起こしては体調を崩していました。今思えば、抱えきれない心の重荷が言葉にできず、ストレスが体に出ていたのかもしれません。
当時を思い出すたび、感情を上手く表現できない子どもの苦痛は計り知れず、辛かっただろうなと思います。
たとえ赤ちゃん返りという、親にとって厄介なものでも、表現できるって素晴らしいことなのですね。
大きくなった息子が抱っこを求めてきたとき、赤ちゃんのようにわがままを言い出したとき、戸惑いつつもようやくお母さんとして認められたような気がしました。
そしてゆっくりではあるけれど、息子が発達していることを実感できたのです。
発達障害児が愛着を求める過程がゆっくりなのは、自分の気持ちを表現できるまでに、時間がかかるからなのかもしれません。
そして、愛着形成は子どもだけでなく、子どもに必要とされる安心感を得るため、お母さんにとっても必要不可欠なものだと痛感したのです。