発達障害者支援法から10年、現場の教師たちはどう変わってきたのか。スクールカウンセラーが見た風景
ライター:池田行伸
発達障害に対する教師の理解も年々深まりつつあります。 私は文部科学省が特別支援教育の制度を開始した当初から、大学教授の立場で小中高の先生方に向け研修会を開くなど、発達障害の理解を促す立場でもありました。この10年程、粉骨砕身する現場の声を知る度、知識とスキルを発展させている先生が増えていると感じています。先生たちとの奮闘記を交えお伝えします。
執筆: 池田行伸
東京都福生市の教育相談室で就学相談に従事
佐賀大学名誉教授
東京学芸大学特命教授
特別支援教育士スーパーバイザー
上智大学文学部卒業 上智大学大学院修了 博士(心理学)。
佐賀大学文化教育学部教授、國學院大学人間開発学部子ども支援学科教授を歴任。幼稚園。小学校、中学校、高等学校、特別支援学校のスクールカウンセラー歴任
佐賀大学名誉教授
東京学芸大学特命教授
特別支援教育士スーパーバイザー
多忙な学校現場に投じられた「個別の支援」というミッション
10年以上も前のことですが、日本にも発達障害の概念が広まり、学校で個別の支援についての研修がさかんに行われだした頃、大学教員である私も、研修会の講師として各地へ頻繁に出かけていました。
子どもの状態を正しく評価し、その子に応じた支援計画を立て、学内外と連携し、たとえ障害があっても活き活きと生きられるように支援するのだと、学校の先生に向けて話して回っていたのです。
そんな中、受講した教師の言葉が風の便りに聞こえてきました。
「大学教員は新しいことをやれやれと言うが、実際に行うのは自分たち教師だ。日常業務で多忙な中、評価だ、個別の支援計画だと次々に言われたらパンクする。無責任にあれやれこれやれと言わないで欲しい」
表立って口には出す人は少ないけれど、多くの現場の教員は心の中で叫んでいたことだと思います。
今思えば、発達障害についてよく理解していない上に誰も助けてくれない中で、個の特性に応じた教育をと言われても、ただただ難題を突きつけられただけだったのかもしれません。
現場の教員への負担の軽減や、育成体制の充実などは、今も残る課題の一つです。
しかし、子どもたちのための新たな教育を開発するためには、やはり多少のストレッチというか、現場の先生たちの自己変革がなければ前進しないと思います。そして実際に、心ある教師はこの10年間にその知識とスキルを目覚ましく発展させてきています。
子どもの状態を正しく評価し、その子に応じた支援計画を立て、学内外と連携し、たとえ障害があっても活き活きと生きられるように支援するのだと、学校の先生に向けて話して回っていたのです。
そんな中、受講した教師の言葉が風の便りに聞こえてきました。
「大学教員は新しいことをやれやれと言うが、実際に行うのは自分たち教師だ。日常業務で多忙な中、評価だ、個別の支援計画だと次々に言われたらパンクする。無責任にあれやれこれやれと言わないで欲しい」
表立って口には出す人は少ないけれど、多くの現場の教員は心の中で叫んでいたことだと思います。
今思えば、発達障害についてよく理解していない上に誰も助けてくれない中で、個の特性に応じた教育をと言われても、ただただ難題を突きつけられただけだったのかもしれません。
現場の教員への負担の軽減や、育成体制の充実などは、今も残る課題の一つです。
しかし、子どもたちのための新たな教育を開発するためには、やはり多少のストレッチというか、現場の先生たちの自己変革がなければ前進しないと思います。そして実際に、心ある教師はこの10年間にその知識とスキルを目覚ましく発展させてきています。
先生たちがフランクに話せる場所が生まれると…
今回の記事では、私が関係した心ある教師たちの進化と実践を紹介したいと思います。
地方の中高一貫校の教育相談担当教員に事例検討会の助言を頼まれた時のことです。2週間に1回の割合で夕方2時間くらい教育相談室に行き、学校教員と子どもたちの事例について話し合うという内容でした。
参加は自由、途中参加、途中退席可で始めましたが、最初はだれも来ず教育相談担当教員とよもやま話で時が過ぎてしまったこともありました。
そのうち、だんだんと若い教員が顔を出すようになりました。
「クラス運営がうまくいかない」、「保護者からきつい言葉をいただいた」などと、初めはほとんど、グチをこぼすために集まっているようなものでした。
ですが、そうした弱音も含めてフランクに吐き出せる場を続けていくと、いつしか真剣な生徒指導上の議論も飛び交うようになりました。
地方の中高一貫校の教育相談担当教員に事例検討会の助言を頼まれた時のことです。2週間に1回の割合で夕方2時間くらい教育相談室に行き、学校教員と子どもたちの事例について話し合うという内容でした。
参加は自由、途中参加、途中退席可で始めましたが、最初はだれも来ず教育相談担当教員とよもやま話で時が過ぎてしまったこともありました。
そのうち、だんだんと若い教員が顔を出すようになりました。
「クラス運営がうまくいかない」、「保護者からきつい言葉をいただいた」などと、初めはほとんど、グチをこぼすために集まっているようなものでした。
ですが、そうした弱音も含めてフランクに吐き出せる場を続けていくと、いつしか真剣な生徒指導上の議論も飛び交うようになりました。
先生同士で話せる場があれば、問題解決の根拠を見い出しやすくなる
事例検討会が軌道に乗ってきたそんなある日、赴任して間もない若い男性中学教員が会に顔を出しました。そしてクラスの女子生徒のことについて話し始めました。大柄なその女子生徒が教室の中で口論になりカッとなって木製の椅子を持ち上げ床にたたきつけて粉々にしたというのです。
「もしその椅子が他の生徒に当たったらと思うとぞっとする、どうしたらよいだろうか」という相談を持ちかけたのでした。その教員は生徒との面談の内容も話してくれました。
「幼稚園児の頃から体が大きく力が強かった。カッとなりやすい性格で、一度カッとなったらすぐ相手を殴ってしまうので、みんなから乱暴者と言われていた。小学校もずっとそんな調子だった。」生徒はこのようなことを話してくれたそうです。
その学校は私立でした。地元では評判が良くなく受け入れられていないと感じる子が、地元の公立ではなく遠く離れた知り合いのいない私立の学校に進学するケースがよくありますが、この生徒もそのような子でした。
ですが、相談してくれた担任教師自身が彼女に対して抱いている印象は、「乱暴者には見えない、自分のことをきちんと言える生徒」ということでした。
普段の姿と暴力的な姿とのギャップに戸惑いを感じて、対応に悩んでしまったのです。
「もしその椅子が他の生徒に当たったらと思うとぞっとする、どうしたらよいだろうか」という相談を持ちかけたのでした。その教員は生徒との面談の内容も話してくれました。
「幼稚園児の頃から体が大きく力が強かった。カッとなりやすい性格で、一度カッとなったらすぐ相手を殴ってしまうので、みんなから乱暴者と言われていた。小学校もずっとそんな調子だった。」生徒はこのようなことを話してくれたそうです。
その学校は私立でした。地元では評判が良くなく受け入れられていないと感じる子が、地元の公立ではなく遠く離れた知り合いのいない私立の学校に進学するケースがよくありますが、この生徒もそのような子でした。
ですが、相談してくれた担任教師自身が彼女に対して抱いている印象は、「乱暴者には見えない、自分のことをきちんと言える生徒」ということでした。
普段の姿と暴力的な姿とのギャップに戸惑いを感じて、対応に悩んでしまったのです。