不登校の親の会で、仲間に出会う
誘われて参加するようになった【不登校の親の会】で出会ったのが、一緒にJERRY BEANSを始めることになる八田くんだ。
八田くんや、ほかの不登校の仲間をみて、
「自分だけじゃなかった」
「同じように学校に行けない人がいるんだ」
と知ることができた。
八田くんは家が近所だった。出会ってすぐに仲良くなり、翌日からは毎日会うようになる。
僕と双子の兄弟、八田くんの3人でいつも一緒にいた。
それまで家に籠もりきりだったのが自分でも嘘のようだった。
八田くんや、ほかの不登校の仲間をみて、
「自分だけじゃなかった」
「同じように学校に行けない人がいるんだ」
と知ることができた。
八田くんは家が近所だった。出会ってすぐに仲良くなり、翌日からは毎日会うようになる。
僕と双子の兄弟、八田くんの3人でいつも一緒にいた。
それまで家に籠もりきりだったのが自分でも嘘のようだった。
思い切り遊び、思い切りぶつかれる仲間
みんなが学校へ行っている時間に、山で探検したり琵琶湖に釣りにいったり、山の中の公園で野球したり、と今までやりたかったことが溢れだした、本当に楽しい毎日。
それでも常に、僕らの心の中にはうしろめたさがあった。
だから、学校が終わる時間までには絶対帰っていたし、人に会わないようにと自然にそういう場所を選んだ。わざわざ言わなくても3人は同じ気持ちを共有していたんだと思う。
当時の僕らは、コミュニケーションで相手に気を遣うことができなかった。嫌なことがあったらすぐに爆発していたし、穏やかだったのに、一瞬で顔色が変わって険悪になったり。
空気を読むのがとても苦手だった。
でも、共通の趣味である音楽を聴いている時や、楽器を合わせている時は、言葉がなくても自然と打ち解けていた。
それでも常に、僕らの心の中にはうしろめたさがあった。
だから、学校が終わる時間までには絶対帰っていたし、人に会わないようにと自然にそういう場所を選んだ。わざわざ言わなくても3人は同じ気持ちを共有していたんだと思う。
当時の僕らは、コミュニケーションで相手に気を遣うことができなかった。嫌なことがあったらすぐに爆発していたし、穏やかだったのに、一瞬で顔色が変わって険悪になったり。
空気を読むのがとても苦手だった。
でも、共通の趣味である音楽を聴いている時や、楽器を合わせている時は、言葉がなくても自然と打ち解けていた。
音楽にのめり込んだのは、親が背中を押してくれたから
その頃、八田くんがギターを習っていて、それに憧れてみんなで音楽をやり始めた。
楽器がほしいからと、新聞配達のアルバイトを始めたりもして。
「仲間とバンド活動をする」ということが、僕たちの生活に希望を与えてくれた。
夢中で楽しんでいる、その気持ちが親たちに伝わったのか、なんと自宅の部屋をスタジオみたいに改良してくれた!
「のびのびできるものを見つけたんだから、思い切りやったらいい」、そう言って背中を押してくれた。
不登校で困らせていたはずの親が喜んでくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて必死で練習した。
ある時、「自分はこれで生きていくんだ!」と決意した。
楽器がほしいからと、新聞配達のアルバイトを始めたりもして。
「仲間とバンド活動をする」ということが、僕たちの生活に希望を与えてくれた。
夢中で楽しんでいる、その気持ちが親たちに伝わったのか、なんと自宅の部屋をスタジオみたいに改良してくれた!
「のびのびできるものを見つけたんだから、思い切りやったらいい」、そう言って背中を押してくれた。
不登校で困らせていたはずの親が喜んでくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて必死で練習した。
ある時、「自分はこれで生きていくんだ!」と決意した。
自分にも存在価値がある、と思えるように
自分なんて大嫌いで、存在価値もないと思っていたけれど、そんな考えを変えてくれたのは、自分と本気で向き合ってくれる周りの人たち。
例えば、ずっと部屋から出られず、ご飯も食べられない時期に、リビングでご飯を食べただけで、本当に喜んでくれたり。
そうやって1つひとつの小さな変化を喜んでもらえることで、「自分も生きていていいんやな」って思えるようになった。
バンドを始めたら、どこから聞いたのか、同級生が文化祭の時期に「楽器を教えてほしい」と言って訪ねてきてくれたことがある。
「ずっと学校行ってないのに、同級生が会いに来てくれた。褒めてくれた。」
こんな嬉しい気持ちになったことはなかった。
「僕らでも、何か出来る事が1つあれば、コミュニケーションしていけるんや」、「こうやって認めてもらえるんだな」と、少しずつ自信を持てるようにもなった。
例えば、ずっと部屋から出られず、ご飯も食べられない時期に、リビングでご飯を食べただけで、本当に喜んでくれたり。
そうやって1つひとつの小さな変化を喜んでもらえることで、「自分も生きていていいんやな」って思えるようになった。
バンドを始めたら、どこから聞いたのか、同級生が文化祭の時期に「楽器を教えてほしい」と言って訪ねてきてくれたことがある。
「ずっと学校行ってないのに、同級生が会いに来てくれた。褒めてくれた。」
こんな嬉しい気持ちになったことはなかった。
「僕らでも、何か出来る事が1つあれば、コミュニケーションしていけるんや」、「こうやって認めてもらえるんだな」と、少しずつ自信を持てるようにもなった。
次回は
道徳の授業や特別授業の一貫として、生徒たちに過去の経験や未来への思いを伝えるという「講演ライブ」を行っている山崎さん。
不登校に悩み苦しむ子どもたちやその親御さんに、いま伝えたいことを語っていただきました。
不登校に悩み苦しむ子どもたちやその親御さんに、いま伝えたいことを語っていただきました。
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