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[第1回]

「愛される資格なんてない」睡眠薬を手にした僕を救ったのは

双子の兄弟であるヴォーカル&ギター山崎史朗さん、ドラム山崎雄介さん、そしてベース八田典之さんからなるロックバンド「JERRY BEANS」。3人の出会いは、今から20年ほど前の1994年、不登校をきっかけに親同士が知り合ったことです。今回はドラムの山崎雄介さんに、今の活動を行うようになった経緯と気持ちをお聞きしました。

不登校は、「乗り越える」ものじゃない。

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僕たち「JERRY BEANS」は、全国の小中学校を回って、講演と音楽ライブを組み合わせた「講演ライブ」という活動を実施している。

講演ライブを行うのはほとんどが道徳や人権の授業で、僕たちの不登校経験をもとにメッセージを伝えている。多い年は年間で約130件。

こうやって書くと、「不登校経験者が過去を乗り越えて教育活動へ…」という感動ストーリーに見えるかもしれない。

だけど、僕の中では、不登校っていうのは「乗り越える」ようなものじゃない。学校に行くと“講師”や“先生”だなんて呼ばれるけど、正直、心は今も“当事者”だと思っている。

自分が特別な経験をしているとは思っていないし、「人に元気を与える」なんて言えるほど立派な人間じゃない。でも、講演に行くたび、当時の自分と同じような悩みを抱えている人に出会う。

「自分と一緒の思いを持って生きている人がいるんだ」って知ってもらえたら、その人の気持ちがほんの少しでも楽になるかもしれない。そう思って活動を続けている。

そして何より僕自身が出会った人たちに沢山心や命について教わったから。

そのことを伝えたい。

「どうして人と違うんだろう…」自分のペースを認めてもらえなかった幼少期

子どもの頃から他人に自分の気持ちを伝えることが苦手で、友達もずっといなかった。同じく不登校を経験している、双子の弟の史朗とは、そこが違うところ。史朗には友達がたくさんいた。

幼稚園の時は、毎日親に引きずられて泣き叫びながら通園していた。小学校1年生になって、泣き叫ぶことはなくなったけれど、はじめて他人と自分との距離というか、違和感があることに気づいたんだと思う。

楽しいのに笑顔になれなかったり、悲しいのに涙が流れなかったり。うまく表現できないまま、自分の気持ちを置いてけぼりにしてしまう、そんな冷めた子どもだった。

自然が大好きで、段ボールで秘密基地を作って自然の中で遊んだりしていた。アースカラーの民族衣装を好む、今のファッションスタイルにもつながっているかもしれない。学校でも好きな授業は理科。とにかくマイペースな性格だった。

学校にいて一番しんどかったのが、そんな“自分のペース”をまわりに認めてもらえなかったこと。自分では行きたいと思って登校するんだけど、時間が違うというだけで出席を認められなかったり、絵を描くことが好きで特に妖怪やホラーを好んで描いていた。その絵を見て、腫れ物をさわるように扱われたり。

当時、不登校は本当に珍しいことだったから、先生も友達もそれを認めること自体が難しかったんだろう。

今だからこうやって振り返ることができるけど、当時はわけもわからずしんどかった。自我が不確定でぼんやりしていて、なんとなく「人と違う」ってことしかわからなかった。

毎日の居残り授業。先生の一言で、ついに心が折れる

3年生の時、ある日学校に行こうとすると腹痛が襲ってきた。病院にいっても原因不明。でも、翌日からも身体のあちこちが痛くなって、それからは毎日遅刻して学校へ行くようになった。

3年生から5年生までの2年間は、遅刻しながらも登校を続けていたけれど、だんだん自分が悪いことをしているような気持ちになっていった。

同級生から「どうしたん?」とか「なんで遅れてくるん?」と軽いノリで聞かれるけど、うまく答えられない。

医者に行っても「病気でもなんでもない」と言われるから、身体は本当に痛いけど、嘘ついていると思われたくなくて、何も言えなかった。

そのうち、周囲の子からも「ズルしてる」って思われるようになって、遅刻する前よりもますますひとりぼっちになった。その疎外感といったら。

5年生の頃、勉強が遅れていたので、担任の先生と1対1で放課後にも勉強するようになる。熱血先生で、毎日居残り授業をすることを、帰りの会でみんなの前で宣言するような人だった。

そんな状況が、ますます僕を限界に追い込んでいったんだと思う。

ある日の居残り授業で、その先生に「字が汚いな」と言われたとき、完全に心が折れてしまった。先生には、励ましてくれる味方でいてほしかったのに、その一言で全人格を否定されたように感じたんだろう。

今思えばきっと先生に悪気はなく、むしろ僕の事を思って言ってくれていたんだと思う。

翌日から、僕は不登校になった。

「今日は終わりの日だ」 睡眠薬を飲もうとしたその瞬間

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学校へ行かなくなると、罪悪感で自分を責めるようになった。先生や親にとって、自分は迷惑な存在で、「ここには自分のいる価値なんてないなぁ」と思っていた。

しばらくして、いじめを苦に自殺をした少年のニュースをテレビで観て、“自殺”に興味を持つようになる。

「もう僕は愛されていないし、愛される資格なんてないから、いなくなった方がいい、みんな喜ぶやろうな。誰か一人でも泣いてくれるんかな。」

そんな考えが生まれるぐらいに迷走してしまっていて、自殺を愛されるための方法の一つだと思うようになった。


「今日は終わりの日だ」


ある朝、ふとそう思った。

母親が飲んでいた睡眠薬をこっそり部屋に持って行き、自殺をしようとした。

全く怖さはなく、むしろ無感情だった。


睡眠薬を飲もうとしたその時、ものすごい音がして、扉が開いた。

母だった。

いつもと違うぼくの様子に、母は感づいていたのだ。

母はすぐに僕をもの凄い力で抱きしめた。

そしてボロボロに泣きながらこう言った。

「学校に行かへんて死ななあかんほど悪いことなんか? あんたが元気に生きていてくれたら、それだけで十分なんや。あんたが何をしたって、誰がどう思ったって、お母さんはあんたの味方やねんで」

そう言ってずっと僕を抱きしめてくれた。

怒られると思っていたのに、自分は愛されてないと思っていたのに、どうして……。
ボロボロと泣く母の涙に自分の背中が濡れていく。


今までほとんど感情が出てこなかったのに、気づけば僕も、止められないくらいめちゃくちゃに泣いていた。
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