息子の障害を受け入れられずにいた夫から届いた1通のメール。そこには…
ライター:Chie
周りの凸凹つながりのお母さんたちと集まると、必ず出てくる「夫が理解してくれない」「夫の理解を得ることが1番大変かも」という話題。幸運にも今でこそなかなかの理解者であるウチの夫ですが、数年前はやっぱり大変でした。
息子にADHDがあるとまだ知らなかった頃。夫は息子にとても厳しく…
我が家にはADHDがあり、現在不登校の小学4年生の息子がいます。
昔、息子にまだ発達障害があるとわからなかった頃、
言うことを聞かず、動き回る息子に対して夫はよくブチギレていました。
公共の場所で、皆が振り向くような大声を出して怒鳴り散らしたり、時には手を上げたりすることもありました。そこに来客がいようが、大勢の人が行き交う場だろうが関係ありません。
夫は基本的に柔和な性格ですが、プライドが高い一面もあります。
夫が息子を叱る様子を見ていると、どうやら息子の「行動そのもの」ではなく、「自分たち家族がどう見られているか」という世間体を気にして叱っているようでした。
私は夫の態度について諭すこともありましたが、夫は私の話を受け入れる様子はありませんでした。
昔、息子にまだ発達障害があるとわからなかった頃、
言うことを聞かず、動き回る息子に対して夫はよくブチギレていました。
公共の場所で、皆が振り向くような大声を出して怒鳴り散らしたり、時には手を上げたりすることもありました。そこに来客がいようが、大勢の人が行き交う場だろうが関係ありません。
夫は基本的に柔和な性格ですが、プライドが高い一面もあります。
夫が息子を叱る様子を見ていると、どうやら息子の「行動そのもの」ではなく、「自分たち家族がどう見られているか」という世間体を気にして叱っているようでした。
私は夫の態度について諭すこともありましたが、夫は私の話を受け入れる様子はありませんでした。
「息子は発達障害かもしれない」そう話したとき、夫の反応は
そんな夫に、「息子は発達障害かもしれない」という話をしたとき、どうだったと思いますか?
ご想像の通り全く受け付けませんでした。
「ワシの息子が頭おかしい言うんか!」
「息子を頭おかしい奴らと一緒にするんか!」
こんなことを言うのは日常茶飯事で、もっと聞いたこともないような差別用語のオンパレード。
世間体を気にする性格ゆえに、「障害」という二文字に過剰に反応してしまったのだと思います。
それにしても、認めないにもほどがありました。
私はそんな夫の様子をみて、心底呆れました。
私は発達障害の息子の頭の中がどうなっているか知りたい気持ちが大きかったのですが、自分の子どものことを受け入れられない夫を「心が狭い」と完全に軽蔑してしまっていました。
ご想像の通り全く受け付けませんでした。
「ワシの息子が頭おかしい言うんか!」
「息子を頭おかしい奴らと一緒にするんか!」
こんなことを言うのは日常茶飯事で、もっと聞いたこともないような差別用語のオンパレード。
世間体を気にする性格ゆえに、「障害」という二文字に過剰に反応してしまったのだと思います。
それにしても、認めないにもほどがありました。
私はそんな夫の様子をみて、心底呆れました。
私は発達障害の息子の頭の中がどうなっているか知りたい気持ちが大きかったのですが、自分の子どものことを受け入れられない夫を「心が狭い」と完全に軽蔑してしまっていました。
無理に理解を得る必要はないかもしれない。そんな葛藤を抱えながらも
そんなとき、前に幼稚園の親の会で園長先生が、
「お父さんの理解が得られるに越したことはないけれど、そんなことに神経すり減らして費やしている間に、子どもはどんどん成長してしまいます。
理解が得られないなら、もうお父さんを無視してお母さんだけで前に進むのも1つの手だと思います。」
とおっしゃっていたことを思い出しました。
この言葉は何度も私の脳裏をかすめました。
確かに、それも1つの方法ですし、子どもの成長は待ってくれません。
ですが私はやっぱり夫の理解を得ることにこだわりました。将来まで息子のことを1人で抱え込むことはやはり辛かったですし、自分たちの子どもは2人で育てていきたいと思っていたからです。
夫には色々なタイミングで、さまざまな角度から何度も何度もあきらめずに話をしていきました。
「お父さんの理解が得られるに越したことはないけれど、そんなことに神経すり減らして費やしている間に、子どもはどんどん成長してしまいます。
理解が得られないなら、もうお父さんを無視してお母さんだけで前に進むのも1つの手だと思います。」
とおっしゃっていたことを思い出しました。
この言葉は何度も私の脳裏をかすめました。
確かに、それも1つの方法ですし、子どもの成長は待ってくれません。
ですが私はやっぱり夫の理解を得ることにこだわりました。将来まで息子のことを1人で抱え込むことはやはり辛かったですし、自分たちの子どもは2人で育てていきたいと思っていたからです。
夫には色々なタイミングで、さまざまな角度から何度も何度もあきらめずに話をしていきました。