周りの評価は関係ない。大切なのは、本人が困っているかどうか。
人の何倍もの努力をすることで「苦手」を覆い隠してしまう、そんな生活がいつまでも続くわけがありません。息子は帰宅するとそのまま倒れてしまい、食事もとらずに眠ってしまうことがよくあります。
そんな息子の姿を見ていると、問題が表出していなくても、大きな困難を抱えている子どもが一定数いることを思わずにはいられません。
つまり、学校生活において「問題のない子」だからそれで良いわけではなく、「問題のなさ」に覆い隠された本人の困り感を見過ごしてはいけないと思うのです。
思い返せば、幼稚園の頃も「問題のない子」だった息子は、就学で特別支援学級に通級することを周りに随分反対されました。
けれども今は、通常学級でガチガチになっている息子が、唯一気持ちが休まる場所は、特別支援学級のようです。ですから、周囲から見て「問題がない」という評価に左右されず、特別支援学級への通級を選択したことは、今思えば正解だったと思っています。
外から見て問題があるかどうかを基準にしてしまうと、発達障害の子どもの困り感が置いてきぼりになってしまいます。他害がなくとも、立ち歩きがなくとも、いや、はたから見て何も「問題がない」としても、本人が困っているのであれば、それは本人にとっては大きな問題なのです。
息子に限らず、発達障害のある子どものことを考えるときにはその視点を忘れないようにしたいです。
そんな息子の姿を見ていると、問題が表出していなくても、大きな困難を抱えている子どもが一定数いることを思わずにはいられません。
つまり、学校生活において「問題のない子」だからそれで良いわけではなく、「問題のなさ」に覆い隠された本人の困り感を見過ごしてはいけないと思うのです。
思い返せば、幼稚園の頃も「問題のない子」だった息子は、就学で特別支援学級に通級することを周りに随分反対されました。
けれども今は、通常学級でガチガチになっている息子が、唯一気持ちが休まる場所は、特別支援学級のようです。ですから、周囲から見て「問題がない」という評価に左右されず、特別支援学級への通級を選択したことは、今思えば正解だったと思っています。
外から見て問題があるかどうかを基準にしてしまうと、発達障害の子どもの困り感が置いてきぼりになってしまいます。他害がなくとも、立ち歩きがなくとも、いや、はたから見て何も「問題がない」としても、本人が困っているのであれば、それは本人にとっては大きな問題なのです。
息子に限らず、発達障害のある子どものことを考えるときにはその視点を忘れないようにしたいです。
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