子どものゲーム中毒が不安!?私の「問題解決能力」を育んでくれた、デジタルゲームの力とは…?
ライター:凸庵(とつあん)
私は昔からゲームが好きで、不登校で学校を休んでいた時もほとんどゲームをやって過ごしていました。現在は、社内システムを開発する部署の管理職をつとめていますが、子ども時代にゲームに没頭していた経験は、大人になってから役立っていると感じることが多くあります。
そこで今回は、ネガティブなイメージを持たれているゲームについて私の経験や、私の周りのゲーム仲間を見て感じていることを紹介します。
長時間のゲームで、子どもの体や成績に影響が…?
私は昔からデジタルゲームが大好きで、義務教育の期間は暇な時間はほぼずっとやっていました。
それだけ魅力があるデジタルゲームですが、一般的にはあまりいいイメージを持たれていません。
・目が悪くなる
・攻撃的になる
・勉強をやらなくなる etc...
悪いイメージを挙げていくとキリがありません。長時間ゲームをやることにはさまざまな悪影響があると言われてもいるようです。
デジタルゲームが大好きなお子さんを持つ方の中にも、長時間のゲームによる悪影響が心配だったり、勉強をしないために成績が芳しくないなど、対応に困っている方もいらっしゃると思います。
それだけ魅力があるデジタルゲームですが、一般的にはあまりいいイメージを持たれていません。
・目が悪くなる
・攻撃的になる
・勉強をやらなくなる etc...
悪いイメージを挙げていくとキリがありません。長時間ゲームをやることにはさまざまな悪影響があると言われてもいるようです。
デジタルゲームが大好きなお子さんを持つ方の中にも、長時間のゲームによる悪影響が心配だったり、勉強をしないために成績が芳しくないなど、対応に困っている方もいらっしゃると思います。
デジタルゲームには「いい影響」もある
子どものころの私にも、長時間ゲームをやることでの悪影響があったと思います。しかし、デジタルゲームをやっていたからこそ身についた能力もいくつかあり、現在の仕事で役に立っているものもあります。
次に、私が感じているデジタルゲームが持ついい影響について書いてみようと思います。もちろん科学的根拠があるわけではないので、そこはご了承のうえ参考にしてみてください。
次に、私が感じているデジタルゲームが持ついい影響について書いてみようと思います。もちろん科学的根拠があるわけではないので、そこはご了承のうえ参考にしてみてください。
決められたルールの中での問題解決能力が抜群に
子どものころからゲームをやっていたという周りの人たちを見ると、ある程度ルールが明確になっている状態での問題解決能力がずば抜けている印象があります。例えば、システム開発で問題が発生したとき、問題が発生した状況が分かればすぐに原因と対応策を考えることができる人が多いです。
私自身プログラミングをしていて、つくったプログラムが想定しない動きをすることがよくあります。そういうとき、私はそのプログラムが何をできて何ができないのか分かっているため、頭の中でプログラムを実行して問題個所と原因究明を行い、すぐに修正対応を行うことができます。これは世の中のプログラマと比較しても私が飛びぬけて得意な分野だと考えています。
私自身プログラミングをしていて、つくったプログラムが想定しない動きをすることがよくあります。そういうとき、私はそのプログラムが何をできて何ができないのか分かっているため、頭の中でプログラムを実行して問題個所と原因究明を行い、すぐに修正対応を行うことができます。これは世の中のプログラマと比較しても私が飛びぬけて得意な分野だと考えています。
問題解決能力を鍛えることができた理由
最近は自由度が高いデジタルゲームが増えていますが、それでも多くのゲームではやれることに限界があります。プレイヤーはその限界の中で目的を達成するための方法を考えます。そして実際に試してみて、うまくいかなければ別の方法を試していきます。つまり、制約の中で最善を尽くすためにトライアンドエラーを繰り返すわけです。
このトライアンドエラーはプログラムが想定しない動きをしたときの私の対応ととても良く似ています。「プログラムがやれることの限界を考慮したうえでなぜこのような動きになったのかを考え、その考えが正しいかどうかを検証する。うまくいかなければ別の方法を試す」。どちらも表面上やっていることはまったく違うように見えますが、ある程度定められたルールの中で目的を達成するために試行錯誤するという点は共通しています。
デジタルゲームが好きな人はこのトライアンドエラーが苦にならないのだと思います。この能力をひたすら鍛え続けることになり、それが問題解決能力の向上に役に立っているのだと思います。
このトライアンドエラーはプログラムが想定しない動きをしたときの私の対応ととても良く似ています。「プログラムがやれることの限界を考慮したうえでなぜこのような動きになったのかを考え、その考えが正しいかどうかを検証する。うまくいかなければ別の方法を試す」。どちらも表面上やっていることはまったく違うように見えますが、ある程度定められたルールの中で目的を達成するために試行錯誤するという点は共通しています。
デジタルゲームが好きな人はこのトライアンドエラーが苦にならないのだと思います。この能力をひたすら鍛え続けることになり、それが問題解決能力の向上に役に立っているのだと思います。
ルールが不明確なときは「自分でルールを設定する能力を鍛える」
しかし実社会では明確になっているルールはほとんどありません。私が社会人になった時に感じたように、いたるところにさまざまな暗黙のルールがあります。ルールが分かっていればどうすればいいのか考えることができるのに、肝心のルールが分からないのでどうすればいいのか分からない。20代前半の私はよくそんなことを考えていました。
また、ゲーム好きだという、経験が浅いプログラマをフォローしたときに印象的なことがありました。最初は問題が起きても途方に暮れてしまい、どこから手を付けてよいのか分からない様子だったのが、私が質問しながらプログラムができること・できないことをまとめていくと「あっ!」と言って自分で問題を修正できるということがよくありました。
つまり、「何を解決すればよいのかを見つける」ことができれば力を発揮できるのに、ルールが分からないために十分な力を発揮できず途方に暮れてしまうのです。問題の周辺にあるルールを探す能力は、発達障害があってもなくても身につけることが難しい能力だと思っています。そもそもルールを探す必要があることにすら気づかない人もいるでしょう。
しかしこの能力を身につけることができれば、デジタルゲーム好きの人が持っている問題解決能力と合わさって、強力な武器になると私は考えています。
また、ゲーム好きだという、経験が浅いプログラマをフォローしたときに印象的なことがありました。最初は問題が起きても途方に暮れてしまい、どこから手を付けてよいのか分からない様子だったのが、私が質問しながらプログラムができること・できないことをまとめていくと「あっ!」と言って自分で問題を修正できるということがよくありました。
つまり、「何を解決すればよいのかを見つける」ことができれば力を発揮できるのに、ルールが分からないために十分な力を発揮できず途方に暮れてしまうのです。問題の周辺にあるルールを探す能力は、発達障害があってもなくても身につけることが難しい能力だと思っています。そもそもルールを探す必要があることにすら気づかない人もいるでしょう。
しかしこの能力を身につけることができれば、デジタルゲーム好きの人が持っている問題解決能力と合わさって、強力な武器になると私は考えています。