「比較→気になる→凹む…」負のスパイラルから脱した、発達障害児育児のターニングポイント
ライター:SAKURA
娘に発育の遅れがあると指摘されたのは、2歳5か月の時。私と娘の療育生活が始まりました。
それから2年間ほど、診断のつかないグレーゾーンのまま療育を続け、娘が4歳の時、「広汎性発達障害」と診断を受けました。娘は現在7歳(小学2年生)。気がつけば、療育を始めて6年目に突入しました。療育を始めた頃、とても不安定だった私が、娘と一緒に頑張ってみようと前を向けたきっかけは…
発育の遅れを指摘されてから、どうしても気になる他の子の様子
娘に発育の遅れがあると指摘されたのは、2歳5か月の頃。初めて「この子は発育が遅れている」と言われた時、本当にショックでした。まさか自分の子が?なんで?と暗い気持ちになったのです。
当時の私は、よく娘のことで落ち込むことがありました。私の場合、それは、娘と他の子を比べてしまう時でした。
当時の私は、よく娘のことで落ち込むことがありました。私の場合、それは、娘と他の子を比べてしまう時でした。
「あの子はできるのに、なんでうちの子はできないんだ」
私の中に、他の子と同じようにできてほしい、恥ずかしいという思いが無意識に出てくるのです。
私の中に、他の子と同じようにできてほしい、恥ずかしいという思いが無意識に出てくるのです。
落ち込む日々の中で気づいたこと
しかし、何度か同じことで落ち込むなかで、だんだんと私の考え方は変わってきました。
私がそう思っても、娘のプラスになることは一つもない…と気がついたのです。今、私が他の子と娘を比べることは、娘にとっても私にとっても負担にしかなりません。
大事なのは、今…ではなく、これから先のこと。
大事なのは、今…ではなく、これから先のこと。
これから先のために、今できることは療育
私と主人の目標は、「娘が大人になって社会へ出た時、自分でお金を稼ぎ、自分で生活できるようになること」でした。
私たちは、ずっとそばにいて助けてあげることはできません。いつかは一人で考え、一人で行動しなければならない時が娘にもやってきます。その時が来るまで…その時が来ても娘が困らないために、私たちが娘にしてあげられることが、療育なのです。今はまだ、その過程でしかない、そう考えていたからです。
私たちは、ずっとそばにいて助けてあげることはできません。いつかは一人で考え、一人で行動しなければならない時が娘にもやってきます。その時が来るまで…その時が来ても娘が困らないために、私たちが娘にしてあげられることが、療育なのです。今はまだ、その過程でしかない、そう考えていたからです。
過程の段階で、他の子と比べたり、競ったりしても仕方ないとわかりました。それを自分の中で完全に消化できた時、私は娘の発育状態のことで、落ち込むことが少なくなりました。