「療育」はその子の多様性を否定するのか?私が願うニューロダイバーシティの未来

ライター:林真紀
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息子が発達障害だと診断されたとき、「とにかく早期療育が大切」という沢山の声を頂きました。私たちは親子で早期療育をとても楽しむことができ、今でもそこにたどり着けたことを感謝しています。けれども、最近聞くことが増えてきた「ニューロダイバーシティ」においては、療育についての考え方がちょっと違うようです。「発達障害」という言葉に置き換えて使われることもある「ニューロダイバーシティ」、その言葉が広がりつつある社会的背景を探りつつ、療育に対する私の考えを語りたいと思います。

息子が受けた療育と私の思い

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私の息子は自閉症スペクトラム障害と診断を受けてすぐ、3歳になると同時に早期療育を受けました。専門家から「早期療育を受けてください」と言われたのです。

私はすぐに言語療法や音楽療法にアプローチし、息子にできる限りの療育を授けました。特に助けられたのはABA(応用行動分析学)でした。人と目を合わせる、人の模倣をする、人の話に耳を傾けて適切に返答をする…等々、「好ましい行動」を増やし、「好ましくない行動」を減らしていく方向で療育を進めました。

それまでただただ手こずった息子の育児が、療育を受けて大きく変わりました。

息子の表現力やソーシャルスキルが格段に上がったことで、パニックになることもなくなり、行動の幅もグーンと広がりました。それまで苦手だった他者との協力ができるようになったことで、出かけられる場所もやれることもどんどん増えていきました。療育を受ける前の息子は、他者との協力など全く受けつけない子どもだったため、親子で何かを一緒に楽しむということがほとんどできなかったのです。

あの療育があったから、今の息子と私の生活があると思っています。療育は私たちと同じような親と子を救ってくれているに違いない。そう思っていた私にとって療育について別の考え方があるなんて思ってもみないことでした。

ある小説から調べ始めた「ニューロダイバーシティ」

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療育に対する別の考え方との遭遇…。

それは、自閉症スペクトラム障害の子どもが主人公の海外小説を読んでいたときのことです。

その小説の主人公の男の子は、幼少期から多くの療育を受け、普段の生活でも努力して「好ましい行動」をし続けていました。療育で教わった通りの行動をすると、家族は喜びます。すると、主人公の男の子が母親にこう言うのです。「自閉症(発達障害)は治すべき病気なの?」そして、自閉症は「ニューロダイバーシティ」の一つなのだと母親に訴えるのです。

私はこの場面を見て、「ん?」と手が止まりました。小説の中で使われている「ニューロダイバーシティ」という言葉が気になったからです。

そういえば…私は思い出しました。ここ1~2年でしょうか。発達障害関連の研究会やNPO団体等の講演会やニュースレターなどでも「ニューロダイバーシティ」という言葉をたまに見かけるようになりました。

あれ?「発達障害」ではなく「ニューロダイバーシティ」?

調べてみたところ「神経多様性」や「神経学的多様性」といった日本語訳があてられていました。どうやら、発達障害は脳の神経学的な構造が異なっているだけであり、病気でもなければ「治すべき」ものでもない、というような考え方がもとになって使われるようになった用語のようです。

「ニューロダイバーシティ」の背景を知って、自問自答

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ニューロダイバーシティという言葉が生まれた背景を探っていくほど、複雑な気持ちになっていきます。

そもそもの始まりは、定型発達の人たちの振る舞いやコミュニケーション手段を「正しいもの」として、発達障害の子どもたちをそこに近づけるように矯正する療育に対して発達障害当事者たちが声をあげたことがきっかけだったようです。

特に「子どもの行動を変えようとする」という点で、「ABA(応用行動分析学)」は厳しい批判の対象となったようです。

けれども私は覚えています。アイコンタクトを嫌がる息子がABAを受けた後に初めて目を見て話してくれて、涙が出るほど嬉しかったこと。自分の好きな話を一方的に喋るばかりでコミュニケーションがほとんど成り立たなかった息子が、きちんと私の話を聞いて応答してくれるようになったときのこと。私はABAを施してくれた先生方には足を向けて寝られないと思うほど感謝していました。

私はあのとき、息子を「普通」に近づけたかっただけだったのか…?彼の神経学的な多様性を握りつぶしてしまうことをし続けてきたのか…?

私は療育の成果について「息子の成長」として喜んできたことに自問自答しました。
次ページ「社会の変化として考える私なりの受け止め方」

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