そもそも人生を勝ち負けで考えることをやめる

今は「人を差別するのはいけない」と考えている私ですが、発達障害を自覚する前には「勉強のできない人」を見下し、差別していたことがありました。

みっともない言い訳をすると、私は生きづらさの裏返しで傲慢になっていたのです。周囲になじめずに生きづらさを感じたとき、「見てろ、自分は勉強ができるのだからエリートになって見返してやる!」と思い込むことでなんとか生きる気力を振り絞っていたところがありました。

こんなありさまだったので、新卒採用の就活がうまくいかなかったことは、なんとかしがみついていた最後の希望を絶たれるもので、人生最大の挫折でした。絶対に受かると思っていた会社の面接でなぜだか面接官に怒られまくって落ちたときは、文字通り三日三晩泣き続けて、目がパンパンに腫れて開けられなくなったものです。

嫉妬や差別の話は、「勉強ができるタイプの発達障害者はかわいそう」というものではありません。「残念ながら、誰もが思いもよらない属性をきっかけに嫉妬されたり差別されたりしうる」という話です。

私は、嫉妬や差別の根本原因は、誰かが自分と誰かの人生を比較して「この人の人生は自分の人生よりもイージーモードだ」と勝手に断じることにあるのではと思っています。

だから私は、互いを無個性な「敵」と認定して比較しあう価値観から「いちぬけた」しようと思いました。勝ち組とか負け組とか、人を十把一絡げにすることもやめる。見返してやるとか仕返ししてやるとかいった気持ちも手放す。

「勉強ができる」ことは、「勝ち組へのパスポート」などではない。そもそも世の中には、勝ち組も負け組もない。ただ、それぞれの多種多様な、他者には想像もつかない人生の苦労を抱えた個人がいるだけ。その中で私は常に、自分が自分史上最高に楽で、最高に自分らしくいられる場所を求めていければいい――「勉強のできる」発達障害児であった私は、現在このように考えています。
体を壊しても求めた高学歴、でも就職失敗――将来のために私に必要だったのは「得意を活かし苦手を避ける」選択肢だったのタイトル画像

体を壊しても求めた高学歴、でも就職失敗――将来のために私に必要だったのは「得意を活かし苦手を避ける」選択肢だった

小学校生活はお遊戯会。誰にも理解されず、浮きこぼれていた私――違和感だらけの子ども時代を振り返って【宇樹義子さん連載開始!】のタイトル画像

小学校生活はお遊戯会。誰にも理解されず、浮きこぼれていた私――違和感だらけの子ども時代を振り返って【宇樹義子さん連載開始!】


追加する

バナー画像 バナー画像

年齢別でコラムを探す


同じキーワードでコラムを探す



放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

コラムに対する投稿内容については、株式会社LITALICOがその内容を保証し、また特定の施設、商品及びサービスの利用を推奨するものではありません。投稿された情報の利用により生じた損害について株式会社LITALICOは一切責任を負いません。コラムに対する投稿内容は、投稿者の主観によるもので、株式会社LITALICOの見解を示すものではありません。あくまで参考情報として利用してください。また、虚偽・誇張を用いたいわゆる「やらせ」投稿を固く禁じます。「やらせ」は発見次第厳重に対処します。