自分の特性を仕事に活かして、ポップス作曲家・広瀬香美が誕生するまで
――そうした感覚、感性を、今のお仕事に活かせるようになったのはいつごろから?
広瀬 音楽しか教育されなかったし、親は音楽家にしたかったんだと思うんですよね。センスがあると思うからこそ、音楽のレッスンや、いい先生を見つけてくれたりして、音楽の才能を伸ばそうとしてくれました。私自身も、音楽の勉強しかしませんでした。
自分でも音楽のセンスがあると思っていました。音楽を分析して、直す能力が自分にはあるんだな、って。子ども時代、テレビからや街で聴こえてくる音楽を、「自分ならもっといいメロディーにするのにな~」「そこ、ちょっと違うんだよな~」なんて考えていました。
ただ、親が勉強させようとしたクラシックの音楽は自分の中ではしっくりこなくて、変なの!暗い音楽だなと思っていて、学ばせられる音楽にはまったく共感しませんでした。
とはいえ、これは違うとは思っても、どうしていいか分からなくて……。その当時、ポップス音楽大学のようなものも、コンピューターミュージック科といったものもなかったし。だから、好きじゃなくてもクラシック音楽の勉強をするしかなかったわけです。どの科に行くかについても、行くなら作曲学科かな、というところでした。
そこで、大学1年で行ったロスで聴こえてきた音楽に「ああ、この音楽がいい!」って思ったんです。マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、ボビー・ブラウン、そうした人たちの音楽を聴いて、「すごい!そうそう、これよ!!」って、思いましたよね。
じゃあ、こういう音楽を勉強するにはどうしたらいい?というところから、先生を探しました。ポップスの勉強を始めて、やっぱりこういう音楽を作るには技術が要るし、クラシックとは書き方、作り方が全然違うんだなと知りました。
好きなことだから、がむしゃらに勉強しました。そうこうするうちに曲が書けるようになったけれど、お金が足りないんですよ! ロスでのアパート代だけは親に出してもらっていましたが、勉強を続けるお金が足りなくて、曲を買ってもらうことはできないか、と考えたんです。その当時はバブルで、予算がたっぷりあった日本のレコード会社さんたちが、ロスにレコーディングのために来ていました。そこで、日本語ができる現地のアシスタントとなり、自分の楽曲をレコーディングクルーに売り込んでみたんです。そしたら、曲も褒めてもらえたけど、仮歌で入っていた私の声が気に入られて、歌の仕事をするようになりました。結局そのときは、曲はあんまり買ってもらえなかったんですけどね。
そのうち、日本に帰国したときに、スタジオに行って歌うようにもなりました。ただ歌うだけでなく、音楽大学の頃の技術が重宝されました。譜面をパッと見てすぐに歌えたり、アレンジャーさんから「コーラスの和音が濁るので、ハーモナイズを直してください」と言われたり。どんどん仕事が入って、日本にいる間に1年分の家賃稼げちゃう、というくらいでした。
日本で稼いで、アメリカで3ヶ月勉強して、それでまた日本に戻って…という生活。そこから私の遊牧民生活が始まりました!(笑)。気がついたら、アメリカと日本を行ったり来たりの人生ですね。
広瀬 音楽しか教育されなかったし、親は音楽家にしたかったんだと思うんですよね。センスがあると思うからこそ、音楽のレッスンや、いい先生を見つけてくれたりして、音楽の才能を伸ばそうとしてくれました。私自身も、音楽の勉強しかしませんでした。
自分でも音楽のセンスがあると思っていました。音楽を分析して、直す能力が自分にはあるんだな、って。子ども時代、テレビからや街で聴こえてくる音楽を、「自分ならもっといいメロディーにするのにな~」「そこ、ちょっと違うんだよな~」なんて考えていました。
ただ、親が勉強させようとしたクラシックの音楽は自分の中ではしっくりこなくて、変なの!暗い音楽だなと思っていて、学ばせられる音楽にはまったく共感しませんでした。
とはいえ、これは違うとは思っても、どうしていいか分からなくて……。その当時、ポップス音楽大学のようなものも、コンピューターミュージック科といったものもなかったし。だから、好きじゃなくてもクラシック音楽の勉強をするしかなかったわけです。どの科に行くかについても、行くなら作曲学科かな、というところでした。
そこで、大学1年で行ったロスで聴こえてきた音楽に「ああ、この音楽がいい!」って思ったんです。マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、ボビー・ブラウン、そうした人たちの音楽を聴いて、「すごい!そうそう、これよ!!」って、思いましたよね。
じゃあ、こういう音楽を勉強するにはどうしたらいい?というところから、先生を探しました。ポップスの勉強を始めて、やっぱりこういう音楽を作るには技術が要るし、クラシックとは書き方、作り方が全然違うんだなと知りました。
好きなことだから、がむしゃらに勉強しました。そうこうするうちに曲が書けるようになったけれど、お金が足りないんですよ! ロスでのアパート代だけは親に出してもらっていましたが、勉強を続けるお金が足りなくて、曲を買ってもらうことはできないか、と考えたんです。その当時はバブルで、予算がたっぷりあった日本のレコード会社さんたちが、ロスにレコーディングのために来ていました。そこで、日本語ができる現地のアシスタントとなり、自分の楽曲をレコーディングクルーに売り込んでみたんです。そしたら、曲も褒めてもらえたけど、仮歌で入っていた私の声が気に入られて、歌の仕事をするようになりました。結局そのときは、曲はあんまり買ってもらえなかったんですけどね。
そのうち、日本に帰国したときに、スタジオに行って歌うようにもなりました。ただ歌うだけでなく、音楽大学の頃の技術が重宝されました。譜面をパッと見てすぐに歌えたり、アレンジャーさんから「コーラスの和音が濁るので、ハーモナイズを直してください」と言われたり。どんどん仕事が入って、日本にいる間に1年分の家賃稼げちゃう、というくらいでした。
日本で稼いで、アメリカで3ヶ月勉強して、それでまた日本に戻って…という生活。そこから私の遊牧民生活が始まりました!(笑)。気がついたら、アメリカと日本を行ったり来たりの人生ですね。
ようやく、自分の話をできるときがきた!
――最近、こうして自分のことを発信するようになったきっかけは?
広瀬 自分のことを、発信したいという気持ちはずっとあったんですが、「広瀬香美」という人格は、私だけのものではないんですよね。レコード会社の人のものであり、事務所のものであり、ファンの方々のものなんです、ありがたいことに。だから、自分の個人的な話や悩みを、そうそう話すわけにはいかなかったんです。
元気に明るく楽しく、「冬の女王」として突っ走っていくということで、最初の15年ぐらいはトークもしてこなかったんです。歌声だけを、冬の時期に元気に届ける人として生きてきたのが、「広瀬香美」でした。
その後、ちょっと病気をしたこともあって少しお休みしたあと、第2期として復活したころに、ちょうどTwitterなどのSNSが流行り始めました。当時、事務所はそういう発信を絶対許してくれなかったんです。だって冬の女王様のはずなのに、「寒いのはちょっと苦手」なんて絶対言えないじゃない?(笑) そんな制約もあって、個人的につぶやくことが咎められた時代だったんですよね。
だけど、何度も事務所に呼び出しをくらいながらも、やめなかった(笑)。そのうち、広瀬香美のSNS面白いよねと言われるようになり、それがYouTube配信へとつながっています。その間に、オールナイトニッポンやUstreamでの発信もありました。
広瀬 自分のことを、発信したいという気持ちはずっとあったんですが、「広瀬香美」という人格は、私だけのものではないんですよね。レコード会社の人のものであり、事務所のものであり、ファンの方々のものなんです、ありがたいことに。だから、自分の個人的な話や悩みを、そうそう話すわけにはいかなかったんです。
元気に明るく楽しく、「冬の女王」として突っ走っていくということで、最初の15年ぐらいはトークもしてこなかったんです。歌声だけを、冬の時期に元気に届ける人として生きてきたのが、「広瀬香美」でした。
その後、ちょっと病気をしたこともあって少しお休みしたあと、第2期として復活したころに、ちょうどTwitterなどのSNSが流行り始めました。当時、事務所はそういう発信を絶対許してくれなかったんです。だって冬の女王様のはずなのに、「寒いのはちょっと苦手」なんて絶対言えないじゃない?(笑) そんな制約もあって、個人的につぶやくことが咎められた時代だったんですよね。
だけど、何度も事務所に呼び出しをくらいながらも、やめなかった(笑)。そのうち、広瀬香美のSNS面白いよねと言われるようになり、それがYouTube配信へとつながっています。その間に、オールナイトニッポンやUstreamでの発信もありました。
私みたいな人たちが、たくさんいることを知ってほしい!
――そのYouTubeの配信が、オフィシャルチャンネルで人気の「歌ってみた」シリーズですね。
広瀬 曲の解説は、子どものころから有名な曲をああだこうだ言っていたわけで(笑)、得意だから、弾いた曲を自分なりに解説をして、自分のキャラクターを発信するようになりました。それがちょうど、あの自粛生活の時期で、なかなか外に出られないときだったので、皆さんがたくさん聴いてくださることになり、楽しいねと評価されて今に至ります。
そして、メインチャンネル以外に「バックヤードチャンネル」を開設して、自分の思いや演奏以外のことをお話するようになったんです。そこで話しているうちに、ふっと昔のことがフラッシュバックしてしまって、話が止まらなくなっちゃったときがあって。そのときは、これはどうせボツだからいいやと思って、泣きながら喋ったんです。そしたら、そのボツだと思ったほうの内容をスタッフが選んだんですよ。
広瀬 曲の解説は、子どものころから有名な曲をああだこうだ言っていたわけで(笑)、得意だから、弾いた曲を自分なりに解説をして、自分のキャラクターを発信するようになりました。それがちょうど、あの自粛生活の時期で、なかなか外に出られないときだったので、皆さんがたくさん聴いてくださることになり、楽しいねと評価されて今に至ります。
そして、メインチャンネル以外に「バックヤードチャンネル」を開設して、自分の思いや演奏以外のことをお話するようになったんです。そこで話しているうちに、ふっと昔のことがフラッシュバックしてしまって、話が止まらなくなっちゃったときがあって。そのときは、これはどうせボツだからいいやと思って、泣きながら喋ったんです。そしたら、そのボツだと思ったほうの内容をスタッフが選んだんですよ。
【広瀬香美】浜崎あゆみ/Mを歌い終えて…まさかの号泣【今だから言える】
――こうした発信は、生きにくさを感じているお子さんとその保護者の希望になると思います。
広瀬 ありがとうございます。そう言ってもらえると本当に嬉しいです。
私は、この国の仕組みに弾圧されたと思っているんです。弾圧のおかげで今があると思っているから、あえて弾圧という言葉を使うけれど、弾圧されてギューって抑え込まれたからこそ、パーン!とはじけることができました。
日本には、パーンとはじけられないまま一生を終えてしまう人たちだってたくさんいるし、苦しんでる人たちが今もたくさんいると思います。だからといって、そういう方たちに、「あなたたちもはじけてごらん!」なんて言う気持ちは全然ないです。だけど、私が自分のこういうお話をすることによって、皆さんが何か考えるきっかけのひとつになったら嬉しいです。
こういう、私みたいな人たちがたくさんいるということを、ある一部の特別な人たちではないということを、みなさんを代表として世の中に伝える広報になりたいと、心から思っています。
――最後に、「発達ナビ」読者の皆さんへひとことお願いします。そういう子どもに、親はどう関わったら、いいでしょうか。
広瀬 私の親も、いろいろな病院に連れていってくれたり、勉強させてくれたりしました。ただ、私にとっては、別にありがたいことだったかといえば、そうではありませんでした。でも、子を思う親の気持ちは、みんな同じで、よかれと思っているわけですよね。こうした方がいいですよ、ということは私には言えません。
私からの「こうしたら」という回答はないけれど、ひとつの例として、今していることをそのまま続けていったら、私みたいにはじけるときがくるかもしれません。こういう実例があるということを私がお話することによって、誰かの救いになればいいなと思っています。
広瀬 ありがとうございます。そう言ってもらえると本当に嬉しいです。
私は、この国の仕組みに弾圧されたと思っているんです。弾圧のおかげで今があると思っているから、あえて弾圧という言葉を使うけれど、弾圧されてギューって抑え込まれたからこそ、パーン!とはじけることができました。
日本には、パーンとはじけられないまま一生を終えてしまう人たちだってたくさんいるし、苦しんでる人たちが今もたくさんいると思います。だからといって、そういう方たちに、「あなたたちもはじけてごらん!」なんて言う気持ちは全然ないです。だけど、私が自分のこういうお話をすることによって、皆さんが何か考えるきっかけのひとつになったら嬉しいです。
こういう、私みたいな人たちがたくさんいるということを、ある一部の特別な人たちではないということを、みなさんを代表として世の中に伝える広報になりたいと、心から思っています。
――最後に、「発達ナビ」読者の皆さんへひとことお願いします。そういう子どもに、親はどう関わったら、いいでしょうか。
広瀬 私の親も、いろいろな病院に連れていってくれたり、勉強させてくれたりしました。ただ、私にとっては、別にありがたいことだったかといえば、そうではありませんでした。でも、子を思う親の気持ちは、みんな同じで、よかれと思っているわけですよね。こうした方がいいですよ、ということは私には言えません。
私からの「こうしたら」という回答はないけれど、ひとつの例として、今していることをそのまま続けていったら、私みたいにはじけるときがくるかもしれません。こういう実例があるということを私がお話することによって、誰かの救いになればいいなと思っています。
取材・文/関川香織(K2U)
撮影/COWfilms
撮影/COWfilms
【書道家・武田双雲さん】多動、衝動、トラブルも多いけれど「自分が大好き」で、「唯一飽きないのは書道だけ」。根底にある親子関係、会社員時代の驚きエピソードも
世界的ベストセラーついに映画化!自閉症のある人が見てる世界とは?『僕が跳びはねる理由』映画化によせて――原作者、東田直樹さんインタビュー
- 1
- 2