高級な食事より当たり前の団らんを。発達障害の私が幼少期に夢見たもの

ライター:宇樹義子
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私は、ちょっと変わった育ち方をしています。幼児期はクセのある祖母に預けて育てられ、小学生ともなるとバブル景気に乗って出世した父が高級感のある外食を演出するようになり…

このコラムでは、私が幼少期に感じていた家族との関係性の中で感じていた生きづらさ、そして「家族と普通のファミレスに行きたい」と切望するになるまでのできごとについてお伝えします。

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監修: 三木崇弘
社会医療法人恵風会 高岡病院 児童精神科医
兵庫県姫路市出身。愛媛大学医学部卒・東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士課程修了。早稲田大学大学院経営管理研究科修士課程修了。 愛媛県内の病院で小児科後期研修を終え、国立成育医療研究センターこころの診療部で児童精神科医として6年間勤務。愛媛時代は母親との座談会や研修会などを行う。東京に転勤後は学校教員向けの研修などを通じて教育現場を覗く。子どもの暮らしを医療以外の側面からも見つめる重要性を実感し、病院を退職。 2019年4月よりフリーランスとしてクリニック、公立小中学校スクールカウンセラー、児童相談所、児童養護施設、保健所などでの現場体験を重視し、医療・教育・福祉・行政の各分野で臨床活動を行う。2022年7月より社会医療法人恵風会 高岡病院で児童精神科医として勤務。

物心ついたときから生きづらかった

私は発達障害があると大人になってから診断されました。幼少期は私も家族も、私に発達障害の特性があると気づいていませんでした。

そんな私が幼稚園ぐらいのころのことです。私はなぜか古ぼけてカビ臭い離れの部屋で父方の祖母と寝かされていました。

祖母は私のことを邪険に扱いました。私が母を恋しがって泣くとあからさまに面倒くさそうな反応をしたり、幼児の私にもわかるような狸寝入りをしたりする。いっぽう両親と兄は新しい母屋で川の字になって寝ていたので、私は「自分は悪い子だから両親から嫌われているんだ」と思っていました。

あとから母に聞いたことには、「自分が小さいころおばあちゃんに育てられて幸せだったから」というのが、母が私を祖母(母にとっては義母)に任せた理由でした。

虚弱で神経質な身を押して都心までフルタイムの仕事に出ていた母は、週末になると毎度のように寝込んでいました。子ども二人の世話を十分できるような余裕がなかったのでしょう。また、「祖母に育てられた自分は幸せだったのだから、娘も祖母に育てられたら幸せに違いない」という思い込みもあったのかもしれません。

父は昔でいう典型的な企業戦士で、有能でよく働きますが家族との情緒的な交流というとてんで苦手でした。今から40年近く前、家父長制的な雰囲気のまだ色濃く残っていた家族の中で、娘に十分なケアを施さない妻(私の母)と母親(私の祖母)の代わりに自分が、と思うには至らなかったようです。

友達が行っているようなファミリーレストランに行きたかった

私が小学生になったのはちょうどバブルの時期。家の近所にはカジュアルなファミレスがどんどんできました。クラスメートは皆、「このあいだあそこのファミレスに行ってお子さまセットを食べたんだ」などと自慢しあっていました。

その様子を見た私は「私もみんなみたいにファミレスでお子さまセットを食べたい」と父に頼むのですが、毎度「ああいうレストランにわざわざ出かけて(高級でもない食事を)食うなんて」と一蹴されるのです。

バブルの空気に乗ってあっという間に出世した父。戦後の貧しさを見ながら育ち、自分の努力で今の豊かさを勝ち取ってきたと信じていた彼は、妻子には贅沢なものを与えたいと思っていたのでしょう。

高級レストランでの顔色を読みあう食事

そして、私たちが連れていかれるのは和牛や伊勢海老といった贅沢な食べ放題や、仲居さんのいるような個室の高級料亭、コース料理のレストランなどでした。

私と兄はデパートで買ったちょっといい服を着せられ、テーブルマナーを小声で教えられながら席に着きます。

ここでほぼ毎回、父が胸を張って言う台詞がありました。「いちばん高いものを食え」。

私は「うちはそんなに金持ちなんだ」と少し誇らしくなると同時になんだかモヤモヤします。それでもASD特性があり、額面通りに解釈する私は、それならばといちばん高いものを注文するのでした。兄はそんな私に顔をしかめながらほどほどに高いものを注文するのが常でした。

珍しくて美味しいものをお腹がはちきれそうになるほど食べながら、私がとても不思議だったのが、父が伝票を私たち子どもには見せようとしないことでした。「ものの値段について子どもに気にさせたくない」と言うのです。

よくわかりません。いちばん高いものを食えといつも言う父こそが、いつも真っ先に子どもに(特に大人の顔色を気にしがちな兄に)ものの値段について気にさせているように思うのですが…

いま思えば、このようなところに「たくさん稼げていることを自慢したいけどあまりあからさまにやると下品かな」という葛藤が見えると感じます。

私があの場でどの程度の値段のものを頼み、料理や伝票に対してどんな反応をすればよかったのか、正解はいまだにわかりません。正解がわからないのが私がASDがあるからなのか、それとも父の子どもに要求することのハードルが高すぎるからなのかもわかりません。

高くて美味しいものを食べさせてもらえたことは感謝しています。しかしそもそも、子どもを連れての外食が「家族サービス」であるならば、子どもに(無意識にせよ)感情労働させようとするのではなくて、当のサービス相手である子ども本人の意向をできるだけ汲むことをメインにしてほしかったなと思ったりします。
次ページ「外食先で「空気」が悪くなる」

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