園・学校に行きたくない!夏休み明けの子どものSOS。親だからわかること、できないこと、対応方法もーー精神科医・田中康雄先生

ライター:田中 康雄
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夏休み明けの9月は、子どもの心身に影響がでやすい時期でもあります。
今回は、子どもがどのようにSOSを出すのかや、学校に行きたくないというときの対応などについてお伝えしたいと思います。

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執筆: 田中康雄
北海道大学名誉教授
医療法人社団倭会 こころとそだちのクリニック むすびめ 院長
発達障害の特性を持つ子どもとその家族、関係者と、つながり合い、支え合い、認め合うことを大切にした治療・支援で多くの人から支持されている。

思いをわかってもらうために

人は、他人のことにはあれこれ気がついても、自分のことはわかっているようで、実はよくわかっていないところがあります。疲れ具合や顔色など、周囲から指摘され、そうかなぁと思い至るなんてことは少なくないはずです。

育児や家事、仕事を優先している間は、体の痛みや食事、睡眠の具合がちょっと不安定でも、後回しにしたりして、身体の不調に鈍感で、一息ついたときに、変調に気がつくようなことです。

子どもの場合、楽しいことがあれば、多少の不調感は一時的に隠れてしまうようです。研修医時代の遙か昔、総合病院でローテーションで夜間救急対応をしたとき、夕方から夜にかけて、発熱したり体調を崩す子どもとよく出会いました。小児科の先生から、子どもは夜になってから体調がくずれるもの、と教えてもらい、「どうして昼間に受診してくれなかった」という言葉を飲み込んだ記憶があります。

また、自身の体の不調感だけでなく、気持ちのつらさを言葉に表しにくいのも子どもにはよくあります。3歳の子が「最近、いろいろと人間関係で悩んで」とか、小学生が「この学びが将来においてどのような意味があるのか」と言葉にすることは、ほとんどないかもしれません。言葉にしていないからといって困っていない、悩んでいないわけではありません。
僕自身振り返ると、大嫌いな運動会の前夜に奇妙な喘息発作に襲われるという経験を毎年のようにしていました。さあ、明日だという切迫したときに、僕は参加したくない思いを発作に置き換えていたのです。

すると、周囲に気づいてほしいのは、喘息発作のつらさより、運動会に参加したくないという僕の思いのほうだったのです。

つまり、子どもは言葉よりも体で、あるいは行動で、その思いを表出することが少なくありません。そのためには、気がついてほしい大人に対して、いやでも気がつくほどの目立つ症状であること、容易に解決しない症状であること、そして大人がとても慌てて困り果てるほどの症状であることが絶対条件になります。それでも気づいてくれない場合、さらに症状は激しくなるわけです。僕の場合は、共働きの両親が、疲れて寝付く夜から深夜が病院にも連れて行けず、もっとも困り果てる時間帯だったのです。

例えば園や学校に行きたくないとき

経験上多いのは、寝るまでは元気だったわが子が、起床から不調を訴えることです。お腹が痛いとトイレにこもる、頭が痛いと布団から出て来ないなどです。

朝起きができない、眠たいという訴えは、だって夜にずっと携帯を見ていたから、ゲームや映像を見ていたから、ということになると、症状でなく自業自得となります。大人にとって原因がわかっていると、起きられないことよりも、ゲームなどを早く終えるように、ちゃんと寝るように言っても、したがってくれず、結局は叱られることになります。


言動では、ぐずったり癇癪をおこしたり、イライラして大声を上げたり、慌てて困り果てることにもなります。

ここで、腹痛や頭痛を軽減する方法、あるいは癇癪を抑える方法を試行錯誤しても、ほとんど解決しないはずです。子どもにとって、わかってほしいのは、これらの「症状」を取り払うことでなく、園や学校に行きたくない思いのほうです。

これを「症状にある本当の意味」と言います。
症状をSOSとして捉えることができると、SOSというサインより、その意味が大切なはずです。

なので、僕はこうしたサインを持って相談に来られた親子に対して、園や学校に行かない日にそのサインが登場するかどうか確認し、もしお休みのときはサインもお休みしているときは、『体と心が休ませて』と言っていると解釈します。

そしてその子に「明日から症状がなくてもちゃんと家で休んでくださいね。1週間、学校(園)には行ってはいけませんよ」と伝え、「次に来たときにその1週間の様子を教えてね」とお願いします。

この公認されたお休みの間、多くの子どもは、症状が薄まり、次回相談に来る前日から症状が強くなることがあれば、学校(園)に行くことが大きな負担であるという仮説が成り立ちます。時に、それでも症状が改善しない場合もあり、そのときは、それ以上に「今を生きる」ことに難しさを痛感していると仮説します。

ただいずれにしても、症状を無理になくすことより、どうすれば、生活が楽になるかを検討します。

休んで多少なりとも楽になったときは、症状でなく、その学校(園)の生活のなにが負担かを確認します。

学校(園)は、①そこで学ぶこと、②そこにある友人関係、③担当してくれる大人との関係が、いかにうまくいっているかで良い場所かどうかがわかります。僕はこの3点について子ども本人に確認し、負担に感じている項目を探ります。

あとは当然のように、登校(登園)よりも、そこにある課題の解決を関係者を交えて一緒に考え続けます。

親の悩み

それでも親は、SOSとわかっていても、乗り越えてほしいという思いもあります。子どもが歩む道で、大きく躓かせたくないという思いから、SOSに目をつぶり、それに屈せずに強くなってほしいと願うものです。

先の公認の休暇を僕が提案したとき、一番親が「あー、いっちゃった。これで堂々と休んでしまう。困った」と思われているかもしれません。だから「最初の2日は黙ってみていたのですが、3日目にお医者さんはああいったけど、そろそろ行ってみない?と確認してしまいました。案の定、症状が強くなりました」と、わかっているけど、焦ってしまうものです。

そこで、僕は、どうして、そこを乗り越えることが難しいのかについて、親と一緒に考えていくことをします。すると、以前から実はこういったことが苦手、あれが苦手というエピソードを教えてもらうことになります。

横断的な理解が主だった僕に、縦断的な情報が加わり、さらに僕たちはこの子理解を深めることができるのです。

SOSはヘルプサインと同時に、その子に近づくチャンスをくれるものでもあるのです。「そんなふうに考えているんですね」、「子どもだと思っていたけど、ちゃんと考えていることがわかり、ちょっと安心っていうか、すごい子だったんだと思いました」と感想を述べる親もいます。

目の前のことだけでなく、その子の思いに近づけたことは、ある意味親にとって喜びでもあります。

それも一瞬で、やはりしばらくすると「そろそろ登校(登園)しないと、これから先が心配で」、「いつまで待てばよいでしょうか」と、当然の悩みと焦りが再び登場します。

親であることの大変さ、悩み、痛みは、そうそう簡単には消えないということも、重々承知しているのですが、ゴールが見えないことの不安は、当然僕にもあります。僕も次の一歩を先走りして、子どもから「先生も同じ大人なんですね」というような目で見透かされるときが幾度もあります。
次ページ「生きる上での悩み」

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