ノートを見て「やる気がない」と激怒され。成績がいいのに不器用すぎた発達障害の私、先生に嫌われた学生時代
ライター:宇樹義子
発達障害のある私。小さな頃から、字を書くのが苦手、体育が極端に苦手など、身体の不器用さが目立ちました。30歳を過ぎて自分の発達障害を知ることになり、発達障害の症状の1つに「発達性協調運動障害(DCD)」があるとも知って、初めて納得がいきました。今回は小さな頃の発達性協調運動障害らしきものについて思い返してみます。
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
あまりにも字が下手
私は字を書くのが苦手でした。字をきれいに書くことができず、きれいに書こうと気をつけるとやたら時間がかかってイライラする。算数でノートの計算式がだんだん歪んでいって桁がわからなくなり、盛大に計算ミスする。
私は手書きのノートで勉強するにあたって常にイライラしていました。その理由が当時は思い当たらず、自分のフラストレーションについて言語化もできず。ぼんやりと、皆こうして我慢しているものだと思っていました。
私は手書きのノートで勉強するにあたって常にイライラしていました。その理由が当時は思い当たらず、自分のフラストレーションについて言語化もできず。ぼんやりと、皆こうして我慢しているものだと思っていました。
あまりに球技ができなかった
苦手な体育の中で特に苦手だったのが球技です。ともかくボールが怖い。
ボールをよく見ろ、逃げるなと言われても、ボールを正しく「見る」というのがどういうことなのかわからないし、必死に目をひんむいて見ようとしたところで、怖くて反射的に目をつぶってしまう。自らボールを迎えにいけと言われても、やはり身体が勝手にボールを避けようとします。そんなこんなで、いくら練習しても、投げられたボールが取れない。
ボールを力いっぱい投げても飛びません。ボールに的確に力がかかる方向に投げる動きができないのです。たとえば理屈で「◯度の角度で投げろ」「ボールがここに来た瞬間に手を離せ」という感じで説明してくれる人はおらず、ともかく「真面目に」「本気で」「やる気を出して」やれと叱咤されるばかりでした。
ボールをよく見ろ、逃げるなと言われても、ボールを正しく「見る」というのがどういうことなのかわからないし、必死に目をひんむいて見ようとしたところで、怖くて反射的に目をつぶってしまう。自らボールを迎えにいけと言われても、やはり身体が勝手にボールを避けようとします。そんなこんなで、いくら練習しても、投げられたボールが取れない。
ボールを力いっぱい投げても飛びません。ボールに的確に力がかかる方向に投げる動きができないのです。たとえば理屈で「◯度の角度で投げろ」「ボールがここに来た瞬間に手を離せ」という感じで説明してくれる人はおらず、ともかく「真面目に」「本気で」「やる気を出して」やれと叱咤されるばかりでした。
同級生からのいじめ、先生からの叱責
苦手な体育の種目は球技ばかりではありません。走るのも遅くて走り方が変、長縄が怖くていつまでも入れない。小学校時代は、ドッジボール、リレー、長縄などのクラス間競争で「お前のせいで負けた」「真面目にやらないからだ」とクラスメートから罵声を浴びせられる。突き飛ばされ、動きを真似されて笑われる。私の身体の不器用さは、私をいじめるための格好の理由になっていました。
身体の不器用さにまつわる私の苦難は、中学生になっても続きます。中学生の頃、あるとき数学の先生が私の数学のノートを見て激怒しました。「こんなに汚く書くのには悪意があるに違いない。私をバカにしているのでしょう」と言います。
私は心底驚きました。そんなふうに捉えられるなどとは思ってもみなかったのです。「いや、もともとノートを書くのが苦手なうえに数学が苦手なので、苦痛でこうなってしまうだけです」と説明しましたが、先生の怒りは治まらず。結局、反省文の提出を要求される事態にまで発展してしまいました。
いま思えばこれらのできごとは30年前後前、発達障害について世間的な認知のない頃のこと。私はほかの教科の成績はよかったし、ともかく口は立ったので、特定の教科・特定のことだけ苦手かもしれないことに、クラスメートも先生も思い至らなかったのかもしれません。
私としては精一杯頑張っているつもりなのに、悪意で手を抜いている、性格が悪いと解釈されるのです。私はこうしたできごとのせいでかなり傷つきましたし、どうしてわかってくれないのかと怒りも覚えました。そうしたモヤモヤの理由も、持っていきどころもわからず…。
身体の不器用さにまつわる私の苦難は、中学生になっても続きます。中学生の頃、あるとき数学の先生が私の数学のノートを見て激怒しました。「こんなに汚く書くのには悪意があるに違いない。私をバカにしているのでしょう」と言います。
私は心底驚きました。そんなふうに捉えられるなどとは思ってもみなかったのです。「いや、もともとノートを書くのが苦手なうえに数学が苦手なので、苦痛でこうなってしまうだけです」と説明しましたが、先生の怒りは治まらず。結局、反省文の提出を要求される事態にまで発展してしまいました。
いま思えばこれらのできごとは30年前後前、発達障害について世間的な認知のない頃のこと。私はほかの教科の成績はよかったし、ともかく口は立ったので、特定の教科・特定のことだけ苦手かもしれないことに、クラスメートも先生も思い至らなかったのかもしれません。
私としては精一杯頑張っているつもりなのに、悪意で手を抜いている、性格が悪いと解釈されるのです。私はこうしたできごとのせいでかなり傷つきましたし、どうしてわかってくれないのかと怒りも覚えました。そうしたモヤモヤの理由も、持っていきどころもわからず…。