「気がつけばいつも孤立」いじめの標的だった10代、敬遠された20代、発達障害に気づいた30代。40代となった今は――発達障害の私の悲しみの軌跡

ライター:宇樹義子

私は発達障害からくるコミュニケーション障害や能力の凸凹により、小さい頃から常に孤立し、排除やいじめなどの標的となってきました。今回は私の「定型的コミュニティからの孤立」についてお話しします。

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監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

心の中に常にある悲しみ

40代となった今、数は少ないですが理解者もでき、幸せに暮らしている私。それでも根底には常に、「私は絶対的なマイノリティだ」「自分が自分であるだけで周囲から排除されがちなのは事実だ」という思いがあります。

この思いは簡単な言葉で言えば悲しみです。しかし、「マジョリティとしての人生を喪(うしな)いつづける状態」に焦点をあてれば、私は長い人生にわたって喪失体験の中にあり、私はそうした喪失の「悲嘆」を感じているのだ、と言えるのかもしれません。

※悲嘆とは、グリーフケアの文脈で使われる、親密な人や慣れ親しんだ環境など、何か非常に大切な対象を喪失したときの感情的な反応のことです。多くは死別による強い悲しみの反応に使われます。

私が本当に頻繁に、最低でも週に1回は見る悪夢に、「みんなと同じように振る舞えないことへの恥」が表されていると思われるものがあります。

私は中学高校時代の制服を着ていて、複数の友達から囲まれて怒られていたり、電車に乗り遅れて遅刻したり、道に迷ったり、持ち物をなくしてしまったり、自分だけちょっと違った制服を着ていたりするのです。

制服は「皆と同じように振る舞うプレッシャー」の象徴なのでしょう。上記のような夢の中で起こることは実際には経験していないことばかりですが、いつもリアルに身に迫ってきます。

定型発達の同級生の中で浮いていた学生時代

小学校時代

学校の中で、私は常に浮いていました。地元の公立校に通っていた小学校時代は、常にいじめのターゲット。担任教師からも冷遇されていると感じていました。

私はクラスで一番ぐらい身体が小さく、動作はスローモーなのに座学の教科は常にトップクラスの成績。児童・教員問わず、相手が間違っていると思ったら徹底的に理屈で追い詰めました。

こうした私が、横並びが求められる公立小学校コミュニティでうまくやっていけるはずがありませんでした。

あるとき、いじめについて父に相談したところ、「お前をいじめるようなやつらは軽蔑して、お前の知識と論理で論破してやれ。学級会で『憲法違反だ』と演説すればいい」と言います。今思えばこれは不適切なアドバイスですが、幼かったうえになんでも字義どおりに解釈する傾向のある発達障害児だった私は、父のアドバイスを鵜呑みにして実行しました。

「憲法違反」とか、「いつか実名で被害を公表してやる」という強い言葉に恐怖した同級生は、表面的にはいじめの手をやや緩めました。しかし私はこの日以来、完全に同級生の「敵」になってしまったのです。

当時、父も私も気づいていなかったのは、多くの人は「何を言うか」よりも「(どんな立場の)誰が言うか」に着目しているということです。

父は何か理不尽な目に遭ったときには理詰めで反論して成功してきたのでしょうが、それは彼が迫力のある体躯の、運動神経抜群な、クラスのボス的な立ち位置の存在だったからでしょう。私のように、身体がひょろひょろで小さく運動も苦手、普段から浮いた言動ばかりしている、スクールカーストの低い女の子が父と同じ方法で戦おうとしたから、残念ながら「分不相応な振る舞い」とされ、マイナスのジャッジをされたのかもしれません。

※周囲の反応が正しいと言う意図はありません。私や父の所属していたコミュニティには残念ながらこういう傾向があったという事実を言っています。

中高・大学時代

小学校時代のいじめは勉強ができることへの嫉妬もあったと思います。いじめから逃れるために中高を私立の女子進学校にしたところ、あからさまないじめはなくなりました。しかし「なぜかなんとなく浮く」傾向はなくならず、グループの中でうっすら除け者にされることはよくありました。

おとなしくて控えめな子が大半の女子同属コミュニティの中で、なんでも歯に衣着せずものを言い、教員ともすぐに口喧嘩を始めて激怒させてしまうような私は、なんとなく敬遠されました。

お互いに距離を置いてはいましたが、特にグループ内での強い同調圧力の中で絆を確認しあっているタイプとは反りが合いません。自分にはまったく面白さの分からないことでやたらと盛り上がってきゃあきゃあと騒ぎ、笑い転げているので「何が面白いの? うるさいんだけど。少しは静かにしてくれない?」と言い放ったことも何度もありました。

私としては、彼女たちの騒ぐ声が聴覚過敏の耳をつんざくように聞こえ、頭痛が起きそうになるほど苦痛だったからもあるのですが、彼女たちにとっては、せっかくの仲間うちの楽しみに絡んできて台無しにしようとする悪意の者に見えたことでしょう。

たまたまこの中のボス格の子と同じ大学に進学したのですが、高校のときのことを根に持っていたようで、彼女の周囲の友人を巻き込んで集団で執ように嫌がらせしてきたことがあります。

必死に定型発達に擬態しようと失敗を繰り返した20代

中高でぼんやりと感じていたコミュニケーション上の不全感は、大学以降どんどん膨らんでいきました。

職場でもしょっちゅう先輩や上司と衝突して、反抗的だとか変わってるとか言われるし、同僚の中ではやはり浮いてしまう。当時まだ自分が発達障害だと気づいていなかった私なりに、どうしたら「みんなと同じ」に周囲とつきあえるのか試行錯誤していましたが、どうしてもうまくいきませんでした。

20代半ばで関わった職場では、古参の人たちの中に私が新しく入った形のところがありました。古参の人たちの中で、ある「いじられキャラ」の人をからかって皆が楽しそうにしているので、私も同じようにすれば皆と同じようになれると思い、その人を皆と同じようにからかってみたら、その場の全員が明らかに引いた反応をしました。

ここでも私は、先にも書いた「何を言うかよりも誰が言うかが重要」ということを分かっていませんでした。当時は「どうして同じことをやっているのに私がやると歓迎されないんだろう」と全く理解できず、ずっとモヤモヤ…。
次ページ「発達障害を自覚、なぜ周囲と違うのかがわかるようになった30代以降」

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