「運動会がどんなに嫌か」を作文に。小2発達障害娘が完全な不登校へ至るまで【読者体験談】
ライター:ユーザー体験談
【発達ナビでは読者からのエピソードを募集中!今回は「行事トラブル」についてのエピソードをご紹介します。】わが家の10歳の娘は6歳で自閉スペクトラム症、ADHDの診断を受け、小学3年生からは不登校を選んでいます。家庭ではユーモア溢れる好奇心旺盛な楽しい子なのですが、環境への過剰適応が激しく、周りに合わせられない自分に劣等感を持っています。そんな娘が大嫌いだった運動会は、やっぱりトラブルだらけでした。
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
環境の変化が苦手で聴覚過敏が強い娘。避けて通りたいNO.1行事は運動会!
わが家の10歳の娘は、小3から不登校を選んでいます。
6歳で自閉スペクトラム症、ADHDの診断を受けた娘は、元々は「積極奇異型」で、知らない人にもガンガン話しかけていくタイプでした。しかし、幼稚園や小学校で合わない環境で無理をさせたためか過剰適応が激しくなり、周りに合わせられない自分に劣等感を持つようになりました。家庭では、ユーモア溢れる好奇心旺盛で明るい様子の娘なのですが、外では感覚過敏や不安が強くなるという面があります。
そんな性格の娘なので、幼稚園の頃から行事が苦手でした。特に運動会! 人が多かったり普段と違う環境が苦手であり、また聴覚過敏もあるため、運動会はできたら避けて通りたい行事NO.1でした。
6歳で自閉スペクトラム症、ADHDの診断を受けた娘は、元々は「積極奇異型」で、知らない人にもガンガン話しかけていくタイプでした。しかし、幼稚園や小学校で合わない環境で無理をさせたためか過剰適応が激しくなり、周りに合わせられない自分に劣等感を持つようになりました。家庭では、ユーモア溢れる好奇心旺盛で明るい様子の娘なのですが、外では感覚過敏や不安が強くなるという面があります。
そんな性格の娘なので、幼稚園の頃から行事が苦手でした。特に運動会! 人が多かったり普段と違う環境が苦手であり、また聴覚過敏もあるため、運動会はできたら避けて通りたい行事NO.1でした。
集団行動を重視する幼稚園に入園。初の運動会前から癇癪が激しくなり、園に相談したら…
幼稚園入園の際、発達障害の知識が全くなかった私は、(就学に備えて集団行動に慣れさせるほうがいいだろう)と、多動傾向が強い娘を集団行動を重視する幼稚園に入園させました。
入園直後から毎日激しく行き渋り、無理やりバスに乗せる日々。娘はさぞかしストレスを感じていたと思います。そして運動会前になると練習で疲れているのか、帰宅後にひどい癇癪を起こすようになりました。
入園直後から毎日激しく行き渋り、無理やりバスに乗せる日々。娘はさぞかしストレスを感じていたと思います。そして運動会前になると練習で疲れているのか、帰宅後にひどい癇癪を起こすようになりました。
幼稚園に相談したのですが、みんなと同じようにやるということを大事にしている園だからなのでしょう、心無い言葉を投げかけられてしまいました。配慮を受けるどころか、逆に娘に練習を無理強いするような形になってしまいました。もちろん癇癪は増える一方……。
そして運動会当日、娘が出るお遊戯の時間では、最初だけは少し踊っていたのですが、すぐ踊りもやめぼーっとただ立っているだけ……。(このままずっと立ってるだけなのかな……)と固唾をのんで見守っていると、急にしゃがみこんだと思ったら、園庭の砂をいじりだしました。(ああ、やっぱりお遊戯は難しかったか……)と思いました。
そして運動会当日、娘が出るお遊戯の時間では、最初だけは少し踊っていたのですが、すぐ踊りもやめぼーっとただ立っているだけ……。(このままずっと立ってるだけなのかな……)と固唾をのんで見守っていると、急にしゃがみこんだと思ったら、園庭の砂をいじりだしました。(ああ、やっぱりお遊戯は難しかったか……)と思いました。
ただ、年少さんの時はほかにも同じようなことをしているお子さんも多かったため、私自身はあまり問題に感じなかったのです。きっと来年には成長して参加しているよね、というくらいでした。
特別支援学級では、教室の床にステップの足型と番号のシールを貼ってダンスを特訓
その後、年中の運動会では目立ったことはなく無事に終了、年長ではリレーでの入場直前に大泣きして断固拒否! 結局不参加となりました。
この頃には娘に特性があるかもしれないと分かっていたので、就学相談を経て、娘は少人数で個別対応してもらえる特別支援学級に入学しました。これでどうにかやっていけるかと思ったのですが、娘は学校という場に馴染めず、入学後まもなく行き渋りがはじまり、小3からは完全な不登校となりました。
聴覚過敏のため学校のどこにいてもうるさいと感じてしまうことや、触覚過敏で教科書やノートや粘土などさわれないものが多いことも、学校がつらい原因だったと思います。
ただ、特別支援学級では手厚く見てくださり、小1のときの運動会前は通常学級より早くからダンスを教えていただくことができました。教室の床にステップの足型と番号のシールを貼るなどの工夫をして教えていただいたおかげで、苦手なダンスも覚えることができた娘。苦手ながらも前向きに取り組むことができ、この年が一番自信をもって臨めた運動会だったと思います。
この頃には娘に特性があるかもしれないと分かっていたので、就学相談を経て、娘は少人数で個別対応してもらえる特別支援学級に入学しました。これでどうにかやっていけるかと思ったのですが、娘は学校という場に馴染めず、入学後まもなく行き渋りがはじまり、小3からは完全な不登校となりました。
聴覚過敏のため学校のどこにいてもうるさいと感じてしまうことや、触覚過敏で教科書やノートや粘土などさわれないものが多いことも、学校がつらい原因だったと思います。
ただ、特別支援学級では手厚く見てくださり、小1のときの運動会前は通常学級より早くからダンスを教えていただくことができました。教室の床にステップの足型と番号のシールを貼るなどの工夫をして教えていただいたおかげで、苦手なダンスも覚えることができた娘。苦手ながらも前向きに取り組むことができ、この年が一番自信をもって臨めた運動会だったと思います。
聴覚過敏も不安も強いため、運動会自体は楽しくはない様子でしたが、コロナ禍で短時間の運動会だったためどうにか乗り切りました!