完璧主義な自閉症息子、登校中もイライラが止まらない。「お母さんが悪い!」に母も限界…【読者体験談】
ライター:ユーザー体験談
【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「登下校トラブル」についてのエピソードをご紹介します】9歳でASD(自閉スペクトラム症)、反抗性挑戦障害(反抗挑発症)と診断を受けた中学1年生の息子は、小学校4年生から不登校になりました。でも「授業は受けられなくてもいいから学校へ挨拶へ行く」という担任の先生との約束があり、一人で登下校できなくなった息子に私は毎日付き添って母子登校を開始。そんな日々の中息子のこだわりは強くなり、とても困りました。
監修: 森 しほ
ゆうメンタル・スキンクリニック理事
ゆうメンタルクリニック・ゆうスキンクリニックにて勤務。産業医として一般企業のケアも行っている。
・ゆうメンタルクリニック(上野/池袋/新宿/渋谷/秋葉原/品川/横浜/大宮/大阪/千葉/神戸三宮):https://yuik.net/
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自閉症息子、悪循環の無限ループで不登校に
現在12歳、中学1年生の息子は、9歳でASD(自閉スペクトラム症)、反抗性挑戦障害(反抗挑発症)と診断を受けています。完璧主義で衝動性が強い息子は、興味の限局性があり、他責的、怖がり、人見知り、分離不安、自己肯定感の低さなど、母親としては心配な面が多々あります。
そんな息子は、小学校3年生の後半からまだら登校が始まり、4年生からは完全に不登校となりました。勉強についていけなくなったことが不登校に繋がったと感じています。
勉強についていけなくなった→完璧な自分じゃない→劣等感→不登校→学校へ行けない自分が許せない→劣等感→みんなに白い目で見られたくない→怖い→さらに行けない……という悪循環の無限ループに陥った息子。
ただ、「挨拶だけでいいから学校へ顔を出す」と担任の先生と約束したため、一人で登校できなくなってしまった息子に私は毎日付き添いをしました。イライラしながらも学校へ顔を出しに行ける日もあれば、途中で引き返すこともある日々でしたが、この母子登校でさまざまなことがありました。
そんな息子は、小学校3年生の後半からまだら登校が始まり、4年生からは完全に不登校となりました。勉強についていけなくなったことが不登校に繋がったと感じています。
勉強についていけなくなった→完璧な自分じゃない→劣等感→不登校→学校へ行けない自分が許せない→劣等感→みんなに白い目で見られたくない→怖い→さらに行けない……という悪循環の無限ループに陥った息子。
ただ、「挨拶だけでいいから学校へ顔を出す」と担任の先生と約束したため、一人で登校できなくなってしまった息子に私は毎日付き添いをしました。イライラしながらも学校へ顔を出しに行ける日もあれば、途中で引き返すこともある日々でしたが、この母子登校でさまざまなことがありました。
信号を渡れないと「最悪!」。歩行者を「あの人避けてくれなかった!」常にイライラしながら歩く日々
一人で登校できない理由について、本人は「虫がいるから怖い」と言っていました。ですが、虫除けや、帽子や上着を勧めても全て拒否。「この世から虫を全部消して!」と騒ぐので困りました。
ただ、本当の理由は虫ではなかったのだと思います。以前は1人で登校できていたので、不登校になってしまったことが原因なのでしょう。
また、幼少期はそれほどでもなかったこだわりが、この不登校期間に強くでるようになりました。一番困ったこだわりは「信号が青だったら絶対に渡る」こと。これは、信号までの距離が離れていたとしても、青の信号が見えたら適用されます。数十メートル先の信号に向かって急に走りだし「お母さん!早く!」と私に怒り出します。到底間に合わない距離なのにです。
結局渡れず次の青信号を待つことになると「お母さんが遅いから!」と怒りながら、「さっきの青で渡れなかった!最悪!」と責め立てるので困りました。「別に急ぎの用事もないから、次の青で大丈夫だよー」と話しても、納得してくれませんでした。
ただ、本当の理由は虫ではなかったのだと思います。以前は1人で登校できていたので、不登校になってしまったことが原因なのでしょう。
また、幼少期はそれほどでもなかったこだわりが、この不登校期間に強くでるようになりました。一番困ったこだわりは「信号が青だったら絶対に渡る」こと。これは、信号までの距離が離れていたとしても、青の信号が見えたら適用されます。数十メートル先の信号に向かって急に走りだし「お母さん!早く!」と私に怒り出します。到底間に合わない距離なのにです。
結局渡れず次の青信号を待つことになると「お母さんが遅いから!」と怒りながら、「さっきの青で渡れなかった!最悪!」と責め立てるので困りました。「別に急ぎの用事もないから、次の青で大丈夫だよー」と話しても、納得してくれませんでした。
また、自分のペースで目的地まで行きたい息子は、歩くペースを乱されることを極度に嫌がりました。出会い頭で自転車の人やほかの歩行者がいて、お互い右に避けるか左に避けるか……という場面になると「あの人避けてくれなかった!」と不機嫌になりました。私は「仕方ないよ。相手の人も上手く避けられない場合があるからね……。息子君は運動神経がいいから避けるのが上手いでしょ?避けてあげたら良いんじゃない?」と、持ち上げてみましたが、あまり変わりませんでした。
我慢できず「そんなことで今後どうするの?」と言ってしまった私。息子はパニックに
毎日毎日、家でも外でもこのようなことが繰り返され、私は息子と一緒にいること自体憂鬱になっていました。それでも厳しい言葉を浴びせてはいけないと気持ちに蓋をしていましたが、ある日の登校中、その蓋が壊れてしまいました。
通学路に虫がいることに対して怒り始めた息子に対して
「世の中の虫を全部消すなんてできないのは分かるよね?ある程度は克服しなきゃいけないことなんだよ。外に出ない生活なんて無理だし、自分ができることをするしかないんだよ」
いけないと分かっていましたが、耐えられなくなってしまったのです。そしてこれを聞いた息子はパニックになってしまいました。私に「生まれてきたくなかった!」と叫び走って家に帰ってしまいました。私は息子を追いかけながら、やはり言ってはならなかったと心底後悔しました。
通学路に虫がいることに対して怒り始めた息子に対して
「世の中の虫を全部消すなんてできないのは分かるよね?ある程度は克服しなきゃいけないことなんだよ。外に出ない生活なんて無理だし、自分ができることをするしかないんだよ」
いけないと分かっていましたが、耐えられなくなってしまったのです。そしてこれを聞いた息子はパニックになってしまいました。私に「生まれてきたくなかった!」と叫び走って家に帰ってしまいました。私は息子を追いかけながら、やはり言ってはならなかったと心底後悔しました。
息子は機嫌のいい日は私と手を繋ぎたがったり、おちゃらけたりすることがありました。
通学路でのトラブルの後、私は息子が繋ぎたければ繋ぐし、離したければ離す、息子が安心して学校までたどり着けるように心を砕き続けました。
通学路でのトラブルの後、私は息子が繋ぎたければ繋ぐし、離したければ離す、息子が安心して学校までたどり着けるように心を砕き続けました。