癇癪、手を繫げない、声掛けを無視…外出が難しかった自閉症娘の乳幼児期。5歳になった今は
ライター:サチコ

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わが家の長女マユユは2歳の時に発達障害の診断を受けています(ASD/自閉スペクトラム症・軽度知的障害/知的発達症)。5歳での療育手帳の更新では、中度判定となりました。
先日、そのマユユとのお出かけで一万歩も歩くことができました。こんなに歩いたのは初めてのことでした。バスにも乗って、手を繋いで、ごはんも食べて、お買い物をして帰宅しました。以前はお出かけすると癇癪を起して大変でしたが、その日、お出かけ中に癇癪は起きませんでした。

監修: 室伏佑香
東京女子医科大学八千代医療センター 神経小児科
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
筑波大学医学部卒。国立成育医療研究センターで小児科研修終了後、東京女子医科大学八千代医療センター、国立成育医療研究センター、島田療育センターはちおうじで小児神経診療、発達障害診療の研鑽を積む。
現在は、名古屋市立大学大学院で小児神経分野の研究を行っている。
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
当たり前になっていた“外出のための万全の荷物・人員の確保・心の準備”
わが家の長女マユユは2歳の時に発達障害の診断を受けています(ASD/自閉スペクトラム症・軽度知的障害/知的発達症)。5歳での療育手帳の更新では、中度判定となりました。
私はマユユが小さい頃「一緒に外出する難しさ」を感じていました。そのため、マユユとお出かけするときは、万全の荷物・人員の確保・心の準備が必要でした。でも、5歳になってしばらく経った頃から、それらの準備すべてが必須ではなくなってきたのを少しずつ感じていました。
ある日、マユユとのお出かけで一緒に一万歩、歩くことができました。うれしさはもちろんありましたが、改めて“どうしてこんなふうにお出かけできるようになったんだっけ……”と不思議な感覚になりました。今回の外出で困らなかったのは偶然ではないだろうか……という不安もよぎりました。しかし、その後も何度か二人で出かけてみて、偶然ではなく成長の結果なのだと実感でき、また“難しい”とあまり感じなくなった理由も見えてきました。
外出の難しさを感じ始めた頃から今までを振り返ってみたいと思います。
私はマユユが小さい頃「一緒に外出する難しさ」を感じていました。そのため、マユユとお出かけするときは、万全の荷物・人員の確保・心の準備が必要でした。でも、5歳になってしばらく経った頃から、それらの準備すべてが必須ではなくなってきたのを少しずつ感じていました。
ある日、マユユとのお出かけで一緒に一万歩、歩くことができました。うれしさはもちろんありましたが、改めて“どうしてこんなふうにお出かけできるようになったんだっけ……”と不思議な感覚になりました。今回の外出で困らなかったのは偶然ではないだろうか……という不安もよぎりました。しかし、その後も何度か二人で出かけてみて、偶然ではなく成長の結果なのだと実感でき、また“難しい”とあまり感じなくなった理由も見えてきました。
外出の難しさを感じ始めた頃から今までを振り返ってみたいと思います。
わが道を行く?育てにくい?
外出のことで悩みはじめたのは、マユユが歩き出した1歳頃からでした。
マユユは睡眠の難しさも抱えていたので、夜眠れるように……と日中は毎日公園に連れ出していました。しかし、マユユは母である私を気にかけることなく、気になったものに一目散に走っていってしまうような様子でした。
マユユは睡眠の難しさも抱えていたので、夜眠れるように……と日中は毎日公園に連れ出していました。しかし、マユユは母である私を気にかけることなく、気になったものに一目散に走っていってしまうような様子でした。
手を繋げない、引き止めると癇癪が起こる……逆に抱っこばかりで全く歩きたがらなくなった時期もあり、周囲に迷惑をかけないようにとお出かけのとき、私はいつも必死でした。
マユユを楽しませたいという気持ちと、またトラブルが起こるかもしれない……という不安の間で常に揺れていました。
マユユを楽しませたいという気持ちと、またトラブルが起こるかもしれない……という不安の間で常に揺れていました。
癇癪に悩まされた2〜4歳頃
2〜3歳頃もこだわりや癇癪が日常的に起きており大変でしたが、さらに体が大きくなってきた4歳頃になると、外で強い癇癪が起きたり大きな声が出てしまうと“とても目立っているのではないか”と緊張し、その度に私の頭の中は真っ白になりました。
“もう大きいのに……”と冷たい視線を向けられているような気がして勝手に追い詰められていました(実際にそう思われていたこともあったでしょう)。
“もう大きいのに……”と冷たい視線を向けられているような気がして勝手に追い詰められていました(実際にそう思われていたこともあったでしょう)。
帰宅してドアを閉めたとたんに、いろんな感情が込み上げて玄関で泣いてしまうことが度々ありました。
そして療育先でも……
同じく4歳の頃、通っていた療育施設での外出イベントをお断りされたこともありました。
イベントの案内の用紙が連絡帳に入っていたので尋ねると「マユユちゃんは今回は難しいかもしれません」と告げられました。安全面を踏まえての先生の判断もあるので、落ち込んではいけない……そう思い、その場ではなるべく明るく返しましたが、療育施設という場所でも「マユユはお出かけすることが難しい」と判断されたという現実にとても悲しくなりました。
「マユユとただ、ごく当たり前にお出かけしたい」それは、今は叶わないのだとその時思いました。
夫にもマユユとの外出に関してとてもつらく感じていることや私自身の精神状態も伝え、しばらくは“あまり出かけないようにする”ことしかできませんでした。
イベントの案内の用紙が連絡帳に入っていたので尋ねると「マユユちゃんは今回は難しいかもしれません」と告げられました。安全面を踏まえての先生の判断もあるので、落ち込んではいけない……そう思い、その場ではなるべく明るく返しましたが、療育施設という場所でも「マユユはお出かけすることが難しい」と判断されたという現実にとても悲しくなりました。
「マユユとただ、ごく当たり前にお出かけしたい」それは、今は叶わないのだとその時思いました。
夫にもマユユとの外出に関してとてもつらく感じていることや私自身の精神状態も伝え、しばらくは“あまり出かけないようにする”ことしかできませんでした。
家で過ごす様子に変化の兆し
ただ同時に、家にいる時は以前よりマユユが母の私にも興味を持っているのでは?と思えることが出てきた時期でもありました。マユユがふれあいを嫌がらなくなり、笑顔も増え、声かけが伝わりやすくなってきていたのです。家の外ではやはりその声かけも届きにくくなってしまうのですが……。
この時期は、外出は近所の公園程度にして、家の中やお庭でできる遊びを試して過ごしました。
この時期は、外出は近所の公園程度にして、家の中やお庭でできる遊びを試して過ごしました。
遊びの一環でちょっとした家事のお手伝いを教えてみると、思いのほか気に入ったマユユ。
料理道具の使い方や洗濯物のたたみ方などをやってみせると、うれしそうに真似をしてくれました。
一緒には遊ばずほとんど見守るだけの公園とは違い、家で長く過ごしてみるといくつか発見もありました。
マユユの「一人の世界」だった遊びに、少しだけ大人の介入を受け入れてくれるようになってきたのです。
例えば、これまでは拒否されてきていた、遊び方を伝えたいときの「こうしてみて」といった声かけにも耳を傾けてくれることが増えました。
それまでマユユは“人”に注目することがあまりなかったので、大きな変化でした。
料理道具の使い方や洗濯物のたたみ方などをやってみせると、うれしそうに真似をしてくれました。
一緒には遊ばずほとんど見守るだけの公園とは違い、家で長く過ごしてみるといくつか発見もありました。
マユユの「一人の世界」だった遊びに、少しだけ大人の介入を受け入れてくれるようになってきたのです。
例えば、これまでは拒否されてきていた、遊び方を伝えたいときの「こうしてみて」といった声かけにも耳を傾けてくれることが増えました。
それまでマユユは“人”に注目することがあまりなかったので、大きな変化でした。

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