自閉症娘とピアノ。将来有望と言われるもコンテスト拒否…18歳でこぼした一言に衝撃
ライター:寺島ヒロ

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3歳でピアノを始め、5歳で推薦を受け大手ピアノ教室の専門課程に進んだ娘。絶対音感があり、作曲も演奏もこなす娘に、私も先生方も期待を寄せていましたが、コンテストや課題曲には取り組まず、「好きな時に好きな曲を弾きたい」と小学6年でピアノ教室もやめてしまいました。最近になって「コンテストって出た方がよかったのかな?」と言いだした娘に、あの頃伝えたつもりだったことが、実は伝わっていなかったと気づきました。

監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。
多様な子育てを応援するアプリ「のびのびトイロ」の制作スタッフ。
「コンテストって、出た方がよかったのかな?」
うちの娘、ASD(自閉スペクトラム症)と睡眠障害があるいっちゃん(18歳)が、ふと「コンテストって、何歳までに何級を取らないといけないとか、あったのかな?」と言い出しました。
最近流行っているフィギュアスケートのアニメで、オリンピックを目指す少女とそのコーチの成長を描いたストーリーを見ていたときのことです。娘は昔、ピアノを習っていました。
3歳から始め、5歳のときには講師の先生の勧めでピアノ教室の専門課程へ。絶対音感があり、音楽に向いていると褒められて、娘もピアノ教室のある日は前日から楽しみにしていました。
専門課程では、教室でできるだけ早くピアノのグレードを上げ、コンテストで優秀な成績を修めることが求められます。しかし、娘は「コンテストには出たくない」「課題曲よりも好きな曲を弾きたい」というスタンスでした。
先生方も柔軟に娘の意思を汲み、良いところを伸ばすようにメソッドを超えて指導してくれましたが、校外のコンテストとなると特例を押し通すわけにはいきません。将来、特にクラシックでプロの演奏家を目指すには、遅くとも10歳までにコンテストに出場して賞レースに加わるのが望ましいとされていたのです。
コンテストに出ることを強要しなかった私
先生方は娘に何度もコンテストについて説明し、「いっちゃんにコンテストに出るよう説得してください!会場に連れてきてくれたら、私たちが雰囲気で持って行きますから!」とも言ってくれました。
しかし、ASD(自閉スペクトラム症)があり、同学年の子どもより情緒的にかなり遅れがあった娘。だまし討ちのようなことをして、ピアノやピアノ教室を嫌いになったら……と心配しました。私は「どうしてもプロになってほしいわけではないし、娘が理解できるようになってからでいいだろう」と考え、そのままにしていました。結果、娘は小学校6年生で一度もオフィシャルタイトルを取らないままピアノ教室を退会しました。
ところが今になって、「コンテストって、出ておいた方が良かったのかな?」などと言い出したのです。私は心の中で昭和の漫画のようにズッコケました。
でも、やはりと思いました。あのときの娘は、本当に「分かっていなかった」のだと。
コンテストに出なかった娘なりの理由とは?
「何か説明されたとは思うけど、まっっったく憶えてない!ピアノ教室の演奏会って、いつも出ても表彰されるのは一番年長のお姉さんばかりじゃない。だったら、眠いの我慢して遠くまで行ってまで出る意味ないと思って」と、娘は言います。まさかの、コンテストと所属する音楽教室内のイベントとの区別もついていなかったのです。そのお姉さんは卒業するお祝いをもらっていたのですよ……。
また、現在でもそうですが、いっちゃんは「こうすればこれが得られる」のような一往復の考え方までは理解できるものの、「こうすればこれを得られて、これが得られれば次にあれを取れる資格になって……」のようなフローチャート的な考え方になると、「分からーん」となり倒れ伏してしまいます。
お兄ちゃんのタケル(ASD・大学院生)も、大学の履修登録で「どの科目を取っておけば来年必修科目が取れるのか」を意識しながら登録する科目を選ぶことができず、結局4年間、履修登録をうまくできませんでした。もしかしたら、二人ともこのあたりが認知的な穴なのかもしれません。
当時の娘も、先生の話は一応聞いていた。しかし、それが「今この級を取らないと、将来こういうチャンスにつながるよ」という意味だとは理解できていなかったのだと思います。