私の生きづらさを増していたADHD(注意欠如多動症)の傾向

この診察のとき、「頭の中がいつも何か散らかった感じで、情報や刺激がすぐに頭の中で溢れたようになってワーッとなってしまう」という話をしたら、「情報がうまくフィルタできていない、処理にも困難がある。これはADHD(注意欠如多動症)の特徴で、おそらく服薬でだいぶん楽になる」と言われました。

情報のフィルタと処理に困難がある……よく振り返ってみると自分の、ときどきとんでもないうっかりをするところにとても苦労していたことを思い出すのです。

ゆっくり時間があるときで、疲れておらず、プレッシャーもかかっていないときならまだいいのですが、「時間に追われていて慌てている」「初めての場所に行く」「泊まりがけで遠出する」「仕事や試験などで緊張している」など、何か負荷が大きい状態になると、おそらくギリギリで回していた処理能力を超えるのでしょう、しょうもないケアレスミスが頻発します。

ベースに完璧主義のASD(自閉スペクトラム症)と、不安の強い複雑性PTSDの傾向があるため、こうした自分のADHD(注意欠如多動症)的な傾向をどうにかコントロールしようと常に過剰に緊張・努力していたと思います。

負荷のかかるできごとの前にはものすごく不安が高まります。なるべく突発的な情報処理による大きな負荷を避けるためでしょう、必死にたくさんいろいろ調べ、脳内でシミュレーションするようになりました。無事に終えたあとにはもうすっかり疲労困憊です。

こうした極端な不安の強さや完璧主義は、不安症や強迫症のレベルだと思っていましたが、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の併存ではとりわけ不安症や強迫症の二次障害が多いらしいとも聞きました。

なぜ診断されていなかった?

32歳の時点でASD(自閉スペクトラム症)の診断はあり、以降かかってきた医師の中には「広汎性発達障害(ASDやADHDなどを分類しない発達障害)」と見立てた人もいました。しかし、私も含め誰も私のADHD(注意欠如多動症)的な部分に目を当てませんでしたし、それを前提としたアプローチもしませんでした。

なぜかを考えてみたのですが、おそらく私が精神科にかかったのは成人後で、目立った多動や分かりやすい衝動性がなかったうえ、ASD(自閉スペクトラム症)やトラウマの印象に引っ張られたからでしょう。医師に小学校の頃の通知表を見せたこともありませんでしたし、自分自身、ADHD(注意欠如多動症)の可能性を考えた目で通知表を見返してみたこともありませんでした。

成人や女性の場合、子どもの頃には多動や衝動性の傾向があっても、成長に伴い目立たなくなって不注意優勢型に移行することが多く、発覚しづらいとのこと。確かにそのつもりで通知表を見てみると、小学生の頃の私にはASD(自閉スペクトラム症)の傾向だけでなく、ADHD(注意欠如多動症)の衝動性や多動と思われる言動があったことがしっかりと見て取れます。

ADHD(注意欠如多動症)治療薬、複雑性PTSDや双極症傾向への影響も考えた処方

情報のフィルタや処理の機能のアップにはコンサータが最もよく効くようです。しかし、やはり強い薬であることと、私の場合、トラウマや双極症の傾向があるため、交感神経を刺激しすぎることによる過覚醒→躁転や不眠のリスクがあるとのことで、まずは少しマイルドなストラテラから開始することになりました。
次ページ「治療をスタートして1ヶ月を過ぎて」

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