【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今

ライター:くろまる
【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今のタイトル画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28058000127

初めまして、くろまるです。今回から発達ナビでエッセイを連載していくことになりました。私は幼少期から特性の偏りや家庭環境などによる生きづらさを感じながら生きてきて、大学の時に精神疾患を発症、ひきこもりも経験しました。人生に絶望する中で福祉と出会い、現在は過去をモチベーションに変えて生活しています。連載初回は、私の幼少期から現在までの経歴を紹介していきます。

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監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

40代、愛猫と暮らすフリーランス。診断こそないけれど「特性の偏り」に悩んだ過去

名前はくろまる、年齢は40代、都内で愛猫とともに一人と一匹で暮らしています。幼少期から生きづらさを感じており、大学生で双極性障害(双極症)を発症。その後はひきこもり期間を経て就労移行支事業所に通い就職、約10年勤めたのちに独立し現在はフリーランスのWebライターとして活動しつつ、通信制高校の「居場所カフェ」のスタッフもしています。

発達障害の診断はありませんが、小学校の頃から特性の偏りはいくつか見られました。特定の教科だけ極端にできなかったり、いわゆる空気が読めなかったりと。そこに家庭環境や時代性も加わり、ずっと生きづらさを感じていたのが大学生の頃に精神疾患として現れたのではと考えています。

このエッセイではこれまで困ったことやその対策、もっとこういうケアがあったら良かった!など、読者の皆さんのヒントになるようなことを書いていきたいと思います。今回は初回なので、私の幼少期から現在までの経歴を紹介していきます。どうぞお付き合いください。

九九ができない、空気が読めない……生きづらさが「精神疾患」として顕在化するまで

誤解され、生きづらさを抱えていた子ども時代
誤解され、生きづらさを抱えていた子ども時代
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家庭での最初の記憶は母親がいなくなったことです。5歳の時、朝起きたら家からいなくなっていました。その出来事が強烈すぎたのか、それ以前の記憶はあまりはっきりしていません。そこから父方の実家で祖父母と生活することになります。

この経験から私は「自分が悪い子だからお母さんが出て行った」と自分を責めるようになりました。何か理由をつけないとショックに耐えきれなかったのだと思います。

そして、小学校に入ってからは特性の偏りも見られるようになりました。例えば小学校2年生の頃、かけ算は九九だけまったくできず、先生や祖父母からは叱られたり呆れられたりしました。また、いわゆる空気が読めない子どもで、先生が「合唱コンクールの朝練は任意参加で」と言ったので行かなかったら、あとで職員室に呼び出されて「何で来なかった」と怒られたことを覚えています。任意とは建前で実際は強制だったようですが、私にはその空気が分かりませんでした。

ここで反発できたらまた違ったのかもしれません。しかし、「自分が悪い」という観念が根底にあるため、何かを訴えたりすることもなく「僕が悪かった」「自分のせいだ」とただ自分を責めるだけでした。自己肯定感というものが皆無でしたね。

同様の失敗は数多くあり学校が好きではなかったのですが、「育ててもらっている」という意識が強く休むこともできませんでした。

現在だったらいろいろと気づかれるかもしれませんが、30年前の私の環境では違いました。当時は仕方なかったのでしょうか?もうみんないなくなったので答えは分かりません。ただ、私を含めて皆適切な対応はできていなかったなと感じています。

それが障害として顕在化したのは大学3年生の頃でした。就職活動をしていたのですが、そのストレスからあるとき体が動かなくなり、精神科を受診したところ「うつ病」と診断を受けました。のちに双極性障害(双極症)へと診断が変わっています。

「自分はダメだ」からの脱却。就労移行支援で自分の特性を活かすことを知った

就労移行支援事業所が転機に。「自分の特性を活かす」という概念を知った
就労移行支援事業所が転機に。「自分の特性を活かす」という概念を知った
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大学を卒業したあとはひきこもり状態でした。数年経ってイベント系のアルバイトを始めたのですが、ちょうど東日本大震災が起こり、イベントが軒並み中止に。その影響でアルバイトもなくなりました。

そこから障害者雇用を考え始め、いろいろと調べたのちに就労移行支援事業所の利用を開始します。そして、これが転機となりました。福祉につながったのは初めてだったのですが、「自分の特性を活かす」という概念を知ったことがとても大きかったです。それまでは「自分はダメだ」「人より劣っている」という認識でしたから。

その後も紆余曲折ありましたが、アルバイトで入った会社で正社員としてステップアップし、一人暮らしをして念願だった猫を迎え入れることもできました。

現場を経験したあとは管理部門も経験しました。この時に児童発達支援の部署も担当しました。それからフリーランスとして独立し、現在に至ります。
次ページ「怒りも悲しみも原動力に。すべての過去が今につながっている 」

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