帰省拒否は親不孝?発達障害への無理解、両実家からの「しつけ論」…心を守るために私が選んだ道【読者体験談】
ライター:ユーザー体験談
Upload By ユーザー体験談
「女の子なんだから、もっとしっかりしつけないと」。そんな言葉に、心をすり減らしたことはありませんか?特性がある娘を育てる中で、周囲からの何気ない「持論」や「アドバイス」が、時に刃となって私に突き刺さることがありました。実母や義実家、親戚との距離感に悩み、選んだのは「帰省を拒否する」という自衛の道でした。小6になった娘との帰省に関しての12年間の歩みをお話しします。【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「親族との距離感や理解の得方」についてのエピソードをご紹介します。】
監修: 室伏佑香
東京女子医科大学八千代医療センター 神経小児科
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
筑波大学医学部卒。国立成育医療研究センターで小児科研修終了後、東京女子医科大学八千代医療センター、国立成育医療研究センター、島田療育センターはちおうじで小児神経診療、発達障害診療の研鑽を積む。
現在は、名古屋市立大学大学院で小児神経分野の研究を行っている。
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
「母親が怠けている」と言われているようで……義実家での孤立
この記事で分かること
- 特性への無理解や「しつけ」を問う周囲の言葉に、どう対処したか
- 母親にだけ向けられる批判から身を守るための「物理的な距離」の重要性
- 周囲の環境が変わることで、少しずつ好転していった現在の状況
お子さんのプロフィール
- 年齢:12歳
- 診断名:ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)
- 診断時期:3歳
- エピソード当時の年齢:4歳頃
娘が保育園年少の時に発達障害(のちにASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断)があることが分かり、年中からは保育園と並行して児童発達支援にも通い始めました。私自身も本やネットで専門家の文献を熱心に調べ、娘への言葉がけ一つひとつを自分なりに試行錯誤して過ごす毎日でした。
そうして迎えた年中の盆、義実家へ帰省した際のことです。人見知りで多動傾向のある娘は、大好きな従兄弟と遊びたい一心で、挨拶もそこそこに走り出してしまいました。その様子を見た親戚の女性から放たれたのは、「女の子なんだから、挨拶とかしっかり教えなきゃダメよ」という言葉でした。
これまでも会うたびに「歩くようになった?話すようになった?」「食べ物の好き嫌いが多いね」などと言われ続けてきましたが、この時ばかりは私の中で「ピキッ」とくるものがありました。さらに、前髪が長いことや髪を結っていないことを指摘され、まるで「母親として怠けている」と責められているような感覚に陥ったのです。
実際には、娘には強い感覚過敏があり、クシで髪をとかすことさえ一苦労。寝ている間に前髪を切る作戦も失敗し、やれることはすべてやってきました。それなのに、隣で夫はヘラヘラとスマホをいじっている……。
「もうイヤだ。なんで私だけが責められなきゃいけないの?」
私は、夫に「義実家や親戚たちへ娘の特性を説明しないうちは、義実家に行かない」と告げ、帰省を拒否する決断をしました。
そうして迎えた年中の盆、義実家へ帰省した際のことです。人見知りで多動傾向のある娘は、大好きな従兄弟と遊びたい一心で、挨拶もそこそこに走り出してしまいました。その様子を見た親戚の女性から放たれたのは、「女の子なんだから、挨拶とかしっかり教えなきゃダメよ」という言葉でした。
これまでも会うたびに「歩くようになった?話すようになった?」「食べ物の好き嫌いが多いね」などと言われ続けてきましたが、この時ばかりは私の中で「ピキッ」とくるものがありました。さらに、前髪が長いことや髪を結っていないことを指摘され、まるで「母親として怠けている」と責められているような感覚に陥ったのです。
実際には、娘には強い感覚過敏があり、クシで髪をとかすことさえ一苦労。寝ている間に前髪を切る作戦も失敗し、やれることはすべてやってきました。それなのに、隣で夫はヘラヘラとスマホをいじっている……。
「もうイヤだ。なんで私だけが責められなきゃいけないの?」
私は、夫に「義実家や親戚たちへ娘の特性を説明しないうちは、義実家に行かない」と告げ、帰省を拒否する決断をしました。
実母との間に作った「自衛の壁」
実は、実母との間にも深い溝がありました。結婚後、なかなか子宝に恵まれず不妊治療をしていた時期、遠方に住む母から届いたのは「結婚しているのに孫も見せないで親不孝だ」というメールでした。泣きながら仕事に向かったあの日のことは、今も忘れられません。不妊治療を中断した後にようやく授かった娘でしたが、出産後も母は「母乳じゃなきゃダメだ」「抱き癖がつく」と持論を展開しました。写真を送れば「斜視だ」と言われる。何をしても否定され、うんざりするだけの関係。私は母に対し「自衛の壁」を作るようになりました。
幸い、実家までは車で8時間という距離。母が認知症を発症し、近くに引っ越してきてからも、娘の特性(多動や感覚過敏)と母の症状がぶつかり合うのを避けるため、帰省は盆と正月に限定しました。「理解してもらおう」と期待するのをやめることで、ようやく自分の心の平穏を保てるようになったのです。
幸い、実家までは車で8時間という距離。母が認知症を発症し、近くに引っ越してきてからも、娘の特性(多動や感覚過敏)と母の症状がぶつかり合うのを避けるため、帰省は盆と正月に限定しました。「理解してもらおう」と期待するのをやめることで、ようやく自分の心の平穏を保てるようになったのです。
夫の「気づき」と、変化した協力体制
私が義実家に行かなくなった間、夫は娘だけを連れて帰省するようになりました。かつて、娘が1歳半の時に発達検査を検討した際、夫は「娘を障害者にしたいのか!」と強い言葉で拒絶したことがありました。私はただ育て方のアドバイスが欲しいだけだったのですが、当時、その想いは届きませんでした。
しかし、私が不在の環境で、夫はついに現実に直面します。娘のお風呂は義母が担当し、ドライヤーと歯磨きは夫が担当。そうして直接娘の世話をすることで、夫も「娘のちょっと違うところ」に否応なしに気づかざるを得ませんでした。その後、小学校入学にあたって夫は「通常学級でも大丈夫だろう」と言っていましたが、最終的には私が希望していた特別支援学級への進学が決定。夫も、これまでの娘の様子や私の訴えから、ようやく現実を受け入れ始めたようでした。
しかし、私が不在の環境で、夫はついに現実に直面します。娘のお風呂は義母が担当し、ドライヤーと歯磨きは夫が担当。そうして直接娘の世話をすることで、夫も「娘のちょっと違うところ」に否応なしに気づかざるを得ませんでした。その後、小学校入学にあたって夫は「通常学級でも大丈夫だろう」と言っていましたが、最終的には私が希望していた特別支援学級への進学が決定。夫も、これまでの娘の様子や私の訴えから、ようやく現実を受け入れ始めたようでした。