日本語学習者みたいなコミュニケーションをしていた

日本語教師の資格をとった今振り返ってみると、当時の私はまるで日本語学習者(日本語が母語でない人)みたいだったと思います。私のような誤りは言語学習中に実際によくあるもので、「語用論的転移(プラグマティックトランスファー)」という名前がついています。

語用論的転移とは、「言語学習者が自分の母語の文化的ルールをそのまま対象言語に当てはめてしまった結果、対象文化の社会的場にそぐわない表現をしてしまうこと」を言います。

私は日本語が母語なのに、日本のコミュニケーションルールを理解できていなかったので、「外国人のような日本語の使い方」しかできていなかった/思いつかなかった のですね。

「質問したら怒られるかも」という緊張が強かった

私が相手の名前を訊き直せない理由のもう1つにトラウマがありました。

私は精神的に不安定だった母のケア役として育った面があります。この中で私は、「人というのは刺激すると想定外の反応をする怖い存在だ」という感覚を身に着けてしまいました。

想定外の反応をするのは母だけなのですが、“怖い対象”が他者全体に広がっていました。これはトラウマのある人によくあるもので、「過剰汎化」と呼ばれます。

このため、私は「人に対して質問する」こと自体が怖くなってしまいました。それで、会話の中で何か分からないことや聞き逃したことがあっても、「質問しない」「分かったふりをする」で無理やり乗り切ることが多かったのです。

新しい人・新しいことの多い新学期はハードモード

こんな感じなので、新学期はやはり心身の負担がとても大きく、どんどん疲れがたまっていくのがいつものことでした。

大型連休でちょっと緩んだ瞬間にどっと疲れが出て体調悪化。休みが終わってまた必死に教室環境に適応しなおそうとしているうちに、クラスメートたちは何かイベントがあるごとにみんなどんどん打ち解けていっている。

そんな中、私は何ヶ月もクラスメートの名前を覚えられないまま。気がつけば初夏も後半、さすがにさすがに訊けない雰囲気……ということの繰り返しでした。
次ページ「今の「新しい環境」の乗り切り方」

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