【不登校の進路選び】「人生終わった」からの再出発。第一志望に落ちて絶望した私が運命の母校を見つけた話【読者体験談】
ライター:ユーザー体験談
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20年前、中学に10日しか登校できなかった私。内申不問で「不登校児も受け入れる」と謳う公立高校に未来への希望をすべて託していました。しかし、結果は不合格。目の前が真っ暗になり、過呼吸になるほど絶望した私が、あの日たどり着いた「自分らしくいられる場所」についてお話しします。【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「不登校からの進路選択と、自分に合う環境との出合い」についてのエピソードをご紹介します】
監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。
多様な子育てを応援するアプリ「のびのびトイロ」の制作スタッフ。
投稿者のプロフィール
(※このエピソードは投稿者が約20年前の中高生時代を振り返った体験談です。当時に比べ、現在は不登校支援などの環境も多様化していますが、一つの事例としてお読みください)
- 現在の年齢:30代
- 診断名:ASD(自閉スペクトラム症)、読み書きのLD・SLD(限局性学習症)、ADHD(注意欠如多動症)傾向、境界知能、双極性障害(双極症)、軽度脳性麻痺
- 診断時期:20代(エピソード当時は未診断)
- エピソード当時の年齢:中学3年生〜高校生
(※このエピソードは投稿者が約20年前の中高生時代を振り返った体験談です。当時に比べ、現在は不登校支援などの環境も多様化していますが、一つの事例としてお読みください)
泣き崩れ、過呼吸になった合格発表
中学時代、私は不登校でした。学校に行けたのはわずか10日。そんな私にとって、「不登校児も受け入れる」と謳う都立のチャレンジスクールは、魅力と希望しかありませんでした。
「内申関係なし」という条件は、学校に行けていない私にとって大きな救いでした。もともと私は目からの情報処理や、抽象的な指示を理解することに苦手な特性を持っていました。それでも周りからは「真面目だね」とよく言われる性格で、だからこそ「不登校という今の状況をどうにかしたい」と強く願っていたのです。
当時お世話になっていた先生と「高校でどんなことをしたい?」と話す時間は、不安など微塵もない、まだ見ぬ未来への期待に溢れていました。
しかし、現実は甘くありませんでした。中3の担任は自宅まで来て熱心にサポートしてくれましたが、学校に行けない私は、一番必要な面接対策も作文指導も満足にできませんでした。
学校説明会の段階で、会場にいたのは「不登校」の生徒よりも、「内申を気にせず、新しい学校だから受けてみよう」という雰囲気の生徒たち。面接試験を2日に分けるほどの出願数を前に、私は力尽きました。
そして合格発表の日――自分の番号がないと知った瞬間、「人生が終わった!」と本気で思いました。あまりのショックに泣き崩れ、過呼吸になり、母が職場から駆けつける事態に。
「不登校児も受け入れるなんて嘘だ。結局、学校に行けている子の方が有利なんだ……」 そう強く思って、どん底に突き落とされた気持ちになったことは、今も忘れられません。
「内申関係なし」という条件は、学校に行けていない私にとって大きな救いでした。もともと私は目からの情報処理や、抽象的な指示を理解することに苦手な特性を持っていました。それでも周りからは「真面目だね」とよく言われる性格で、だからこそ「不登校という今の状況をどうにかしたい」と強く願っていたのです。
当時お世話になっていた先生と「高校でどんなことをしたい?」と話す時間は、不安など微塵もない、まだ見ぬ未来への期待に溢れていました。
しかし、現実は甘くありませんでした。中3の担任は自宅まで来て熱心にサポートしてくれましたが、学校に行けない私は、一番必要な面接対策も作文指導も満足にできませんでした。
学校説明会の段階で、会場にいたのは「不登校」の生徒よりも、「内申を気にせず、新しい学校だから受けてみよう」という雰囲気の生徒たち。面接試験を2日に分けるほどの出願数を前に、私は力尽きました。
そして合格発表の日――自分の番号がないと知った瞬間、「人生が終わった!」と本気で思いました。あまりのショックに泣き崩れ、過呼吸になり、母が職場から駆けつける事態に。
「不登校児も受け入れるなんて嘘だ。結局、学校に行けている子の方が有利なんだ……」 そう強く思って、どん底に突き落とされた気持ちになったことは、今も忘れられません。
「ここなら」と感じた、挨拶の響く校舎
どん底の中で、次の進路を決めなければなりませんでした。不合格に備えて中3の夏からピックアップしていた私立高校2校のうち、私はある1校を改めて見学することにしました。
私にはこだわりがありました。それは「きちんと制服と校則がある学校」であること。緩い環境よりも、規律がある方が自分の性格に合っていると感じていましたし、何より中学でほとんど着られなかったセーラー服への未練があり、ブレザーへの強い憧れがあったのです。
ギリギリのタイミングで見学に駆け込んだその学校は、ちょうど卒業式の練習中でした。 案内された各クラスや職員室を通るたび、先生も生徒も「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれました。その明るい声を聞いたとき、直感的に心がホッとしたのを覚えています。それが最後の決め手となり、私はその学校へ進むことを決めました。
私にはこだわりがありました。それは「きちんと制服と校則がある学校」であること。緩い環境よりも、規律がある方が自分の性格に合っていると感じていましたし、何より中学でほとんど着られなかったセーラー服への未練があり、ブレザーへの強い憧れがあったのです。
ギリギリのタイミングで見学に駆け込んだその学校は、ちょうど卒業式の練習中でした。 案内された各クラスや職員室を通るたび、先生も生徒も「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれました。その明るい声を聞いたとき、直感的に心がホッとしたのを覚えています。それが最後の決め手となり、私はその学校へ進むことを決めました。
職員室が教えてくれた、一人ではないという安心感
滑り込みで決まった母校となる高校でしたが、そこには思いがけない「温かな場所」が待っていました。私の特性上、どうしても出席できない授業が出てしまうことがありました。そんな時、「個別で1コマだけ、自分が見ますよ」と言ってくれる先生がいたのです。分からないことを質問したり、困りごとを相談したり。職員室は、いつでも気軽に立ち寄れる温かな場所でした。
2年生への進級時、始業日にわざわざ面談の時間を作ってくれた担任の先生。卒業後も関係が続く、一生モノの恩師との出会い。第一志望に落ちたときはあんなに絶望していたのに、気づけば私は、後悔のない充実した3年間を過ごしていました。
2年生への進級時、始業日にわざわざ面談の時間を作ってくれた担任の先生。卒業後も関係が続く、一生モノの恩師との出会い。第一志望に落ちたときはあんなに絶望していたのに、気づけば私は、後悔のない充実した3年間を過ごしていました。
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