【新連載】よく泣く赤ちゃんだった自閉症の長男。円形脱毛症、うつ、不登校を経て自立するまで
ライター:トマコ
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はじめまして!イラストレーター、児童支援員をしているトマコと申します。わが家は5人家族、母トマコ、父マサオ、そして子どもは男ばかりの3きょうだい、みんなそれぞれ発達障害があり、それはもう壮絶な子育てでした。私自身うつになり、ずっとトンネルの中にいるようで、絶望して未来を諦めたりもして。そんな彼らも、今では社会人です。あの頃は、こんな未来があるとは思わなかった。そんな、子育てが終わった中から、今回は長男の幼少期のお話をしようかと思います。
監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
【長男なぁ太の場合】「自閉症なのかな?」赤ちゃんのときから消えなかった違和感
皆さんは、わが子の異変にいつ頃気がつきましたか?
私は長男が赤ちゃんのときです。
当時、私は妊婦サークルに入っていて、サークルのメンバーは順番に出産。その後、それぞれ生まれた赤ちゃんを連れて集まったのですが、長男のなぁ太はとにかく良く泣く赤ちゃんでした。
ずっと泣き叫んでいるのが普通だったので、周りの赤ちゃんがニコニコ笑ったり、大人しくオモチャで遊ぶことに驚いたりして……。
「あれ?うちの子なんだかほかの子と違うぞ??」という気づきがあったのがこの頃です。
私は長男が赤ちゃんのときです。
当時、私は妊婦サークルに入っていて、サークルのメンバーは順番に出産。その後、それぞれ生まれた赤ちゃんを連れて集まったのですが、長男のなぁ太はとにかく良く泣く赤ちゃんでした。
ずっと泣き叫んでいるのが普通だったので、周りの赤ちゃんがニコニコ笑ったり、大人しくオモチャで遊ぶことに驚いたりして……。
「あれ?うちの子なんだかほかの子と違うぞ??」という気づきがあったのがこの頃です。
「もしかして自閉スペクトラム症(ASD)なのかな?」
子どもが歩き出し、しゃべり始め、成長を喜ぶとともにずっと消えない違和感がありました。
それでも、長男なぁ太には、いわゆるASD(自閉スペクトラム症)の特徴と言われるクレーン現象や他者が話した言葉をオウム返しのように繰り返すエコラリア、強いこだわりはありません。
ないことにホッとしつつも、それでも何かあるのでは??と疑惑は消えず不安は残ったままです。
「ただ育てにくい子なのかな?」
当時、発達障害という名前はあまり認知されておらず、私自身も良く分かっていませんでした。私以上に分かっていなかったのが親族で、不安がる私の様子を「大げさ」「子どもはみんなこんなもの」と、パートナーですら一蹴する始末……。
迷いの中、幼稚園に入園したのは5歳の頃。
2年保育の公立幼稚園で、そこで初めてなぁ太の抱える問題が大きく露呈したのでした。
子どもが歩き出し、しゃべり始め、成長を喜ぶとともにずっと消えない違和感がありました。
それでも、長男なぁ太には、いわゆるASD(自閉スペクトラム症)の特徴と言われるクレーン現象や他者が話した言葉をオウム返しのように繰り返すエコラリア、強いこだわりはありません。
ないことにホッとしつつも、それでも何かあるのでは??と疑惑は消えず不安は残ったままです。
「ただ育てにくい子なのかな?」
当時、発達障害という名前はあまり認知されておらず、私自身も良く分かっていませんでした。私以上に分かっていなかったのが親族で、不安がる私の様子を「大げさ」「子どもはみんなこんなもの」と、パートナーですら一蹴する始末……。
迷いの中、幼稚園に入園したのは5歳の頃。
2年保育の公立幼稚園で、そこで初めてなぁ太の抱える問題が大きく露呈したのでした。
幼稚園の入園で露呈したパニック症状。なぁ太の頭に現れた複数の円形脱毛症
「同年代の友だちができる!」と希望を持って入園した幼稚園でしたが、違和感はすぐに現れました。
朝になると、いつも「幼稚園楽しみ!」と言いながら家を出て、行きの道中でも心から楽しそうにはしゃいでいるのに、いざ到着すると身体がこわばって固まってしまい、靴箱の前に座ったまま動かないなぁ太。
朝になると、いつも「幼稚園楽しみ!」と言いながら家を出て、行きの道中でも心から楽しそうにはしゃいでいるのに、いざ到着すると身体がこわばって固まってしまい、靴箱の前に座ったまま動かないなぁ太。
そのときの、力の抜けたような顔つきが独特で、今ならあれはなぁ太特有のパニック症状だと分かるのですが、当時はまるで理解できなくて、なぁ太の感情の落差にただただ困惑していました。
そうこうしているうちに、なぁ太の頭にたくさんの円形脱毛症がみつかります。
「やっぱりこれは何か理由があるに違いない!」と慌てて病院に駆け込み、発達検査を受けたのですが……。
当時の診断は、「ただの性格で、障害ではありません」とのこと。
幼稚園生活で困りごとが多いと訴え、身体に症状も出ているのに診断名がつかなかったことに絶望したものの、「とりあえず様子を見ましょう」という先生の言葉とともに、地域の専門の発達相談へ通い始めたなぁ太に変化があったのは年長の頃です。
頭皮が丸見え状態だったひどい円形脱毛症は完治し、幼稚園行事にも問題なく参加できるようになったので、子どもは見守っていれば落ち着くのだと安心したものでした。
そうこうしているうちに、なぁ太の頭にたくさんの円形脱毛症がみつかります。
「やっぱりこれは何か理由があるに違いない!」と慌てて病院に駆け込み、発達検査を受けたのですが……。
当時の診断は、「ただの性格で、障害ではありません」とのこと。
幼稚園生活で困りごとが多いと訴え、身体に症状も出ているのに診断名がつかなかったことに絶望したものの、「とりあえず様子を見ましょう」という先生の言葉とともに、地域の専門の発達相談へ通い始めたなぁ太に変化があったのは年長の頃です。
頭皮が丸見え状態だったひどい円形脱毛症は完治し、幼稚園行事にも問題なく参加できるようになったので、子どもは見守っていれば落ち着くのだと安心したものでした。
小学3年で突如始まった教室からの脱走。ついに判明した「うつ」の二次障害
さて、幼稚園の問題はなくなったものの、小学校入学です。
年長になり落ち着きを見せたなぁ太ですが、小学校という新しい環境に進めばどうなるか分からなかったため、特別支援学級も視野に入れて教育委員会の面談を受け、その結果なぁ太は通級指導教室に通いながら通常学級に進むことになりました。
小学1年では、毎日の小学校生活に疲れ果て、帰宅しては泣きわめいたり、宿題をこなすことが難しかったりと、いろいろと問題はありましたが、幼稚園時代と同じように、時の経過とともに問題は薄れ、小学2年は何事もなく過ごし、もう大丈夫だろうと安心した小学3年。
問題は突如として現れました。
なんと、なぁ太は授業中、教室から逃げ出すようになったのです。
学校から何度も連絡があり、本人に聞いてもさっぱり要領を得ません。
ならばこの目で見るしかないと学校を訪れ、授業を参観させてもらうと、明らかに様子のおかしいわが子の様子に驚きました。
年長になり落ち着きを見せたなぁ太ですが、小学校という新しい環境に進めばどうなるか分からなかったため、特別支援学級も視野に入れて教育委員会の面談を受け、その結果なぁ太は通級指導教室に通いながら通常学級に進むことになりました。
小学1年では、毎日の小学校生活に疲れ果て、帰宅しては泣きわめいたり、宿題をこなすことが難しかったりと、いろいろと問題はありましたが、幼稚園時代と同じように、時の経過とともに問題は薄れ、小学2年は何事もなく過ごし、もう大丈夫だろうと安心した小学3年。
問題は突如として現れました。
なんと、なぁ太は授業中、教室から逃げ出すようになったのです。
学校から何度も連絡があり、本人に聞いてもさっぱり要領を得ません。
ならばこの目で見るしかないと学校を訪れ、授業を参観させてもらうと、明らかに様子のおかしいわが子の様子に驚きました。
かつて、なぁ太がまとっていた元気いっぱいな子ども特有の生気が消え、顔色は常に青白く、生きているのに死んでいるかのような……。
そんな状態なので小学校に行くことができなくなり、不登校に。ここで2回目の発達検査を受けます。そして告げられた診断が、「ASD(自閉スペクトラム症)※当時の診断名は広汎性発達障害」。そして「小児性うつ」。
小学校の担任の先生と通級指導教室の先生、さらには病院も、みんなで連携して厚く見守っていたので二次障害を起こすことはないと過信してしまっていました。
長男なぁ太がうつを発症してしまったことで、私自身も己の無力さを痛感した出来事でした。
この診断書を提出し、小学4年から特別支援学級に移れることになり、ここから中学校卒業まで、なぁ太は特別支援学級で過ごしたのでした。
そんな状態なので小学校に行くことができなくなり、不登校に。ここで2回目の発達検査を受けます。そして告げられた診断が、「ASD(自閉スペクトラム症)※当時の診断名は広汎性発達障害」。そして「小児性うつ」。
小学校の担任の先生と通級指導教室の先生、さらには病院も、みんなで連携して厚く見守っていたので二次障害を起こすことはないと過信してしまっていました。
長男なぁ太がうつを発症してしまったことで、私自身も己の無力さを痛感した出来事でした。
この診断書を提出し、小学4年から特別支援学級に移れることになり、ここから中学校卒業まで、なぁ太は特別支援学級で過ごしたのでした。
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