父として考えた。発達障害と知って、なぜ悲しくなったのだろう。
ライター:あいちゃんパパ
わが子が発達障害とわかったとき、ショックでした。でも、悲しい理由がわかりませんでした。今、娘の成長を願い、向き合う中で感じていることを綴ります。
子どもを授かったときは
通常、私たち親は子どもを授かった時、「産まれたら名前は何と付けようか」とか「どのような育て方をしようか」「将来はどんな仕事に就くだろうか」などと考えます。
あまりネガティブに物事を考えることはしません。
仮に「もし発達障害だったら」と一瞬思っても、あまり深くまでは考えないですよね。
当時、私もそうでした。
あまりネガティブに物事を考えることはしません。
仮に「もし発達障害だったら」と一瞬思っても、あまり深くまでは考えないですよね。
当時、私もそうでした。
発達障害があるとわかって
娘が1歳を過ぎても、ハイハイも上手くできず言葉もろくに出ないことに、私は「少し発達が遅いんだな、個人差があるもんなあ」とあまり気にしていませんでした。
しかし、妻は「何かわからないけど、一人目の子と違って育てにくい」と言うのです。私は少し気にしすぎではないかと妻に言いました。
娘の4歳上に息子が居るのですが1歳で立って歩けるほどだったので、きょうだいで比較しているからそう思うのではないかと感じていました。
しかし、今から思うと母親の「勘」というものはすごいと思います。その後、私も娘の発達の遅れが気になり始め、ついに大学病院で診察してもらうことになったのです。
私はこの場に及んでも、「大丈夫、異常ありませんでした」という言葉を先生から聞けるのを期待していました。
が、年が明けたある日、無残にも期待は打ち砕かれました。
前々からネットで調べたりして薄々気づいていたにも関わらず、診断名が文字ではっきり書かれていたのを見ると、やはり心が張り裂けそうでした。
しかし、妻は「何かわからないけど、一人目の子と違って育てにくい」と言うのです。私は少し気にしすぎではないかと妻に言いました。
娘の4歳上に息子が居るのですが1歳で立って歩けるほどだったので、きょうだいで比較しているからそう思うのではないかと感じていました。
しかし、今から思うと母親の「勘」というものはすごいと思います。その後、私も娘の発達の遅れが気になり始め、ついに大学病院で診察してもらうことになったのです。
私はこの場に及んでも、「大丈夫、異常ありませんでした」という言葉を先生から聞けるのを期待していました。
が、年が明けたある日、無残にも期待は打ち砕かれました。
前々からネットで調べたりして薄々気づいていたにも関わらず、診断名が文字ではっきり書かれていたのを見ると、やはり心が張り裂けそうでした。
なぜ悲しいのだろう…?
娘は春から療育施設に通い始めました。
ある日、その施設で父親だけの懇談会があり、参加することに。
そこでは皆さん口々に、「わが子が発達障害と判り、妻が鬱になってしまった」「将来を考えると辛い」「悲しくてどうしていいか分からない」など、悲痛な思いを話されていました。
当然、私も同じ想いで耳を傾けます。
帰宅してからも、「まさか、自分の子がそうだなんて……悲しいよなあ。」とずっと思っていました。
しかし、無邪気に走り回っている幼い娘を見て「なぜ、悲しくなるのだろうか」と思うようになりました。
ある日、その施設で父親だけの懇談会があり、参加することに。
そこでは皆さん口々に、「わが子が発達障害と判り、妻が鬱になってしまった」「将来を考えると辛い」「悲しくてどうしていいか分からない」など、悲痛な思いを話されていました。
当然、私も同じ想いで耳を傾けます。
帰宅してからも、「まさか、自分の子がそうだなんて……悲しいよなあ。」とずっと思っていました。
しかし、無邪気に走り回っている幼い娘を見て「なぜ、悲しくなるのだろうか」と思うようになりました。
「なぜだろう?」
数日間ずっとその事ばかり考えていました。
そしてある日ふと、「もしかしたら、『悲しい気持ち』は子どもの気持ちを代弁したものではないんじゃないか?」と思うようになったのです。
親が悲しくなるのは、「世間体が気になる」「育てるのが面倒だ」、それらから逃れたいけど逃れられないという親自身の自分本位な気持ち。
あるいは、親が我が子に「こうなって欲しい」が現実はそうならないことに対するあきらめの気持ち、ではないかと。
いずれにしても、全て親の都合で物事を考えているから悲しくなるのではないか、と思い至りました。
数日間ずっとその事ばかり考えていました。
そしてある日ふと、「もしかしたら、『悲しい気持ち』は子どもの気持ちを代弁したものではないんじゃないか?」と思うようになったのです。
親が悲しくなるのは、「世間体が気になる」「育てるのが面倒だ」、それらから逃れたいけど逃れられないという親自身の自分本位な気持ち。
あるいは、親が我が子に「こうなって欲しい」が現実はそうならないことに対するあきらめの気持ち、ではないかと。
いずれにしても、全て親の都合で物事を考えているから悲しくなるのではないか、と思い至りました。
結局、考える軸は「子育て」だから
よく考えてみれば、健常の子どもの育児だって大変なのです。
私は、親は子どもを『発達障がい児』『健常児』と区別するのではなく、「人間」として見ることが大事なのではないかと考えます。
そして、その子にどういうサポートが必要かを考える。すると結局、「発達障がい児の育児も普通の育児と変わらないのだ」という事に気付かされました。
「発達障害だ」「障害児だ」と特別に考える必要はないのです。それからというもの、私は肩の荷が下りた感じがして気持ちが少し楽になり、我が子の成長をゆっくり見守ろうと思っています。
私は、親は子どもを『発達障がい児』『健常児』と区別するのではなく、「人間」として見ることが大事なのではないかと考えます。
そして、その子にどういうサポートが必要かを考える。すると結局、「発達障がい児の育児も普通の育児と変わらないのだ」という事に気付かされました。
「発達障害だ」「障害児だ」と特別に考える必要はないのです。それからというもの、私は肩の荷が下りた感じがして気持ちが少し楽になり、我が子の成長をゆっくり見守ろうと思っています。
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