娘の不登校を通してわかった、支援を受ける時に一番大切なこと

娘の不登校を通してわかった、支援を受ける時に一番大切なことのタイトル画像

小2で不登校になった娘は、小3で特別支援学校に転籍し、訪問指導を受けることになりました。初めて自宅を訪問した先生が娘にしたことは、泣いている娘を学校に無理やり連れていくことでした。先生が怖くて従っていた娘はだんだん壊れていき、最後に待っていたのは決定的な出来事だったのです。

0ca9277f91e40054767f69afeb0426711ca0fddd s
18043 View

特別支援学校の訪問指導とは?

小学校3年生になっても学校に行かない娘。

そんな日々が続き私はノイローゼ状態になってしまいました。

そこで、主治医が提案してきたのが「入院して特別支援学校に転籍し訪問指導を受けませんか?」ということでした。

その病院は院内学級がなく、入院している子どもは希望すれば特別支援学校に転籍し、空き部屋で勉強をみてもらえる。そして退院してからも自宅訪問を受けることができるという話で、私は「無料の家庭教師がつく」という感覚で了承したのです。

不登校は病弱児というカテゴリーに入り、住んでいる地域により都道府県立の特別支援学校に振り分けられました。骨折やぜんそくなどで学校に通えない子と同じ扱いでした。

そして、原籍校(今まで通っていた学校)からは籍は抜けますが、それは生徒たちには知らされず、在籍している扱いになります。というのは、場合によりますが訪問指導はいずれは原籍校に復帰するのが前提だからだそうです。

病院でのマンツーマン指導

入院して手続きも済み、支援学校の担任のA先生と空き室で指導を受けるようになりました。

50歳くらいの、厳しくさばさばした印象の先生で、娘は先生のことを嫌がり、勉強することを拒否し、トイレに閉じこもったり、熱を出してベッドから出てこないということが多かったです。

指導中は親は同席することを許されないので(これは自宅に戻ってからも一緒で、私は外出させられてました)、どのような指導を受けているのか私は知りませんでした。

娘は「先生と勉強したら学校に連れ戻されるんやろ。」「先生は、学校行かなあかん、勉強せなあかんっていうし、行かなかったらもう、学校クビになるかなぁ。」というようになっていました。

何かおかしいな、という違和感を持ちながらも、その時はまだ何が起きているのかわからずにいた私でした。

3週間の入院生活を経て、6月半ばから試験登校というかたちで登校することが、いつの間にか決まっていました。

入院を終えて

試験登校の前の日、娘は怯えて泣いていました。
だけど、いざ強引に連れて行かれてしまうと「みんなが歓迎してくれてうれしかった」と帰ってきてニコニコ笑っているのです。

「ひょっとして、このままいけば大丈夫?」

そう思ったのはつかの間、「帰りたい」コールが学校からかかってくる日が増え、朝から熱を出し「休みたい」というようになりました。休み休みでも学校に行っていたのは「友達と遊びたい」という一心からだったようです。

あまりにも娘の様子がつらそうなので、先生にも主治医にも相談しましたが、「心配し過ぎではないか」「もっと母子分離するべき」といった言葉ではねつけられました。

ストレスが溜まっていく

熱を出したり、じんましんを出したり、神経質にふとんのしわまで気にするようになるという症状を出しながらも、娘は1学期の修了式に出席しました。

そして、2学期に入り始業式に行って、何日か休んだあと3日間登校してから、ぱたりと学校に行かなくなってしまったのです。

「体を“学校行きたくない”と押さえつけられてるようだ」

と言うのです。そして、どんどん体調が悪くなり寝込むようになってしまいました。

先生は訪ねてくるけれど、娘にすごい勢いで学校に行けないわけを問い詰める始末。あとから分かったのですが、訪問指導のたびに先生は娘に「学校へ行くように」とプレッシャーをかけ続けていたのです。

寝ていても急にあせったように起き上がりきょろきょろする、寝る前に泣き出すという風に娘はだんだん壊れていきました。

決断と今振り返って思うこと

そんなある日、支援学校の先生が家までやってきました。 娘は起きようとしないし、起きても気持ち悪いと泣いていました。

娘は私をつかんで「行かんといて」というのでこの日は一緒にいることにしました。

先生は、学校へ行かないことや生活態度を指摘したあと。

「義務教育に行かないのは法律違反で、あなたが学校へ行かないとママが逮捕されるよ」

といったのです。

泣き崩れた娘は、その後初めての喘息発作を起こし、二度と学校に戻ることはありませんでした。
その言葉で完全に切れた私は、やめさせようとしない支援学校と何度も交渉し原籍校に戻りました。

結果的にこの支援は、娘に大きな傷を残し、学校や支援機関に決定的な拒絶感を与え、引きこもりへの道を開くことになったのです。
娘は現在中学1年生ですが、今も学校には行っていません。

今振り返ると、様子がおかしいなと感じた時に、娘本人に「ツライ?」「先生どう?」など具体的に聞いておけばよかったと感じています。

そして、行政のサービスでも支援を受ける前に、その支援の目的やその後の流れなど、まかせっきりにせずしっかり協議したり確認することは大切だと思っています。

悩みの渦中にいるときは中々冷静になって考えられないものですから、この経験が今「この支援って本当に子どもにとって良いのだろうか」と悩んでいる方のお役に立てればと思い、綴りました。
不登校の原因・きっかけは?解決に向けた子どもとの向き合い方、進級・進学や支援機関について解説しますのタイトル画像
関連記事
不登校の原因・きっかけは?解決に向けた子どもとの向き合い方、進級・進学や支援機関について解説します
当サイトに掲載されている情報、及びこの情報を用いて行う利用者の行動や判断につきまして、正確性、完全性、有益性、適合性、その他一切について責任を負うものではありません。また、掲載されている感想やご意見等に関しましても個々人のものとなり、全ての方にあてはまるものではありません。
Avatar11
Column title

あわせて読みたい関連記事

この記事を書いた人

ヨーコ さんが書いた記事

毎日カップ麺や冷凍食品。悩みながらも手を打てなかった娘の偏食に今変化の兆しが表れて…!のタイトル画像

毎日カップ麺や冷凍食品。悩みながらも手を打てなかった娘の偏食に今変化の兆しが表れて…!

小2で不登校、小3から引きこもり・昼夜逆転生活を送るようになったアスペルガーの娘。もともと味覚がとても鋭くスーパーのお惣菜も受け付けないの...
身のまわりのこと
17103 view
2017/12/05 更新
フリースクールでの日々が、卒業の”不安”を進学の”希望”に変えた!娘の変化の理由はのタイトル画像

フリースクールでの日々が、卒業の”不安”を進学の”希望”に変えた!娘の変化の理由は

中3の娘が通い出した技能連携校のプレスクール的なフリースクールは、学習時間が20分と大変少ないのが特徴です。「ただでさえ勉強が遅れているの...
学習・運動
4078 view
2017/10/23 更新
ピンチはチャンス!洗濯ができず泣くアスペルガーの娘に、カバーする術を教えたい!のタイトル画像

ピンチはチャンス!洗濯ができず泣くアスペルガーの娘に、カバーする術を教えたい!

アスペルガー症候群の娘は中学生になって大きくお手伝いの幅が広がりました。掃除や皿洗いは何も問題はないのですが、洗濯では娘の特性が表出し、泣...
身のまわりのこと
15349 view
2017/09/15 更新
不登校8年生の娘が高校を選択!大切なのは早めに学校候補を知ること、そして…のタイトル画像

不登校8年生の娘が高校を選択!大切なのは早めに学校候補を知ること、そして…

不登校の娘は、中学に一度も顔を出さないまま3年生になりました。そんな娘ですが「高校へは行きたい」と言っています。とはいえ、コミュニケーショ...
進学・学校生活
9691 view
2017/09/01 更新
本能の赴くまま食事をしてきたアスペルガーでADHDの私が糖尿病で入院した話のタイトル画像

本能の赴くまま食事をしてきたアスペルガーでADHDの私が糖尿病で入院した話

私はアスペルガーと不注意優勢型ADHDがあります。子どものころから食べたいだけ食べ、いらないものはいらないと本能のおもむくまま食生活を送っ...
身のまわりのこと
17970 view
2017/08/11 更新
Area search

放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

コラムに対する投稿内容については、株式会社LITALICOがその内容を保証し、また特定の施設、商品及びサービスの利用を推奨するものではありません。投稿された情報の利用により生じた損害について株式会社LITALICOは一切責任を負いません。コラムに対する投稿内容は、投稿者の主観によるもので、株式会社LITALICOの見解を示すものではありません。あくまで参考情報として利用してください。また、虚偽・誇張を用いたいわゆる「やらせ」投稿を固く禁じます。「やらせ」は発見次第厳重に対処します。