不安がつよく誰にもカバンを触らせない息子が園で心をひらくまで
ライター:シアン
発達に障害のある子どもは、心にも不安を抱えていることが多いもの。息子の場合もそうでした。大切な自分の持ち物は絶対に誰にも触らせず、誰かが触ろうものなら大声で叫び、抵抗していたのでしたが…。そんな息子が幼稚園である体験をしてからは、自分の持ち物を触られても平気になったのです。息子の心を変えた体験とは?
大事なカバンは「誰にも触らせない!」とかたくなだった息子
息子は、お弁当を持って幼稚園に行くことをとても楽しみにしておりました。
朝、出来上がったお弁当を渡すと、お気に入りのミニカーが入ったリュックの中に、大事に大事にそうっと入れて、にこにこして出かけるのでした。
幼稚園に到着すると、真っ先にリュックからお弁当を取り出して、それはそれは嬉しそうに弁当の半分を食べ、残した半分は、大事に持ち帰って家で食べるのが習慣でした。
ですから、誰かが大事なお弁当の入ったリュックを少しでも触ろうものなら、辺りに響き渡るような大声を出して叫んで怒り、ついには、誰にも触られないようにと、一日中リュックを背負ったままで遊んでいるのでした。
朝、出来上がったお弁当を渡すと、お気に入りのミニカーが入ったリュックの中に、大事に大事にそうっと入れて、にこにこして出かけるのでした。
幼稚園に到着すると、真っ先にリュックからお弁当を取り出して、それはそれは嬉しそうに弁当の半分を食べ、残した半分は、大事に持ち帰って家で食べるのが習慣でした。
ですから、誰かが大事なお弁当の入ったリュックを少しでも触ろうものなら、辺りに響き渡るような大声を出して叫んで怒り、ついには、誰にも触られないようにと、一日中リュックを背負ったままで遊んでいるのでした。
裸で遊ぶ園児たち
幼稚園では遊びは自由で、それぞれがやりたい遊びをし、教師はマンツーマンで見守っていました。
息子は大事なリュックを背負ったまま、二輪車や大人の三輪車の前カゴにプラレールやミニカーなどを入れて、園庭を走るのが大好きでした。
いつも校長先生が息子の後ろから二輪車で走って下さるので、息子はそれが嬉しくてたまらない様子でした。
園庭で遊ぶ園児たちの中には、衣服を脱いで、裸のまま遊んでいる子どもたちが何人もいて、私はいつも不思議でなりませんでした。
「なぜ裸なんだろう?」「どうして教師は衣服を着せようとしないのだろう?」
裸の子どもたちを見かけるたびに、驚いてしまうのでした。
息子は大事なリュックを背負ったまま、二輪車や大人の三輪車の前カゴにプラレールやミニカーなどを入れて、園庭を走るのが大好きでした。
いつも校長先生が息子の後ろから二輪車で走って下さるので、息子はそれが嬉しくてたまらない様子でした。
園庭で遊ぶ園児たちの中には、衣服を脱いで、裸のまま遊んでいる子どもたちが何人もいて、私はいつも不思議でなりませんでした。
「なぜ裸なんだろう?」「どうして教師は衣服を着せようとしないのだろう?」
裸の子どもたちを見かけるたびに、驚いてしまうのでした。
ある日息子が突然、衣服を脱ぎ出して…
ある日いつものように登園すると、息子は着ていた衣服を全部脱ぎ捨てて、私の前で裸になりました。
まさか息子が裸になるなんて!想像もしていなかった私は驚きました。
突然のことに慌てていると、教師たちは目の前の息子に服を着せようともせず、にこにこ笑っているではありませんか。その様子に、私はもっと驚いてしまいました。
あっけにとられている私に、一人の教師が笑顔で声をかけてくださいました。
「やっと脱いだね!」
周りの教師たちもみんな笑顔でうなづいています。私は本当に驚いてしまったのでした。
子どもが着ている衣服を全部脱ぎ捨てて裸になることは、自分の全てをさらけ出すという意味で、心を解放すること。
それまで背負って来た、自分自身のいろいろな物を全部下ろすことなのだそうです。
「だから、裸になれたという事は、とても素敵なことなんですよ!」
教師たちは、皆笑っていました。そして、こうなることを望んでいたと言うのです。
まさか息子が裸になるなんて!想像もしていなかった私は驚きました。
突然のことに慌てていると、教師たちは目の前の息子に服を着せようともせず、にこにこ笑っているではありませんか。その様子に、私はもっと驚いてしまいました。
あっけにとられている私に、一人の教師が笑顔で声をかけてくださいました。
「やっと脱いだね!」
周りの教師たちもみんな笑顔でうなづいています。私は本当に驚いてしまったのでした。
子どもが着ている衣服を全部脱ぎ捨てて裸になることは、自分の全てをさらけ出すという意味で、心を解放すること。
それまで背負って来た、自分自身のいろいろな物を全部下ろすことなのだそうです。
「だから、裸になれたという事は、とても素敵なことなんですよ!」
教師たちは、皆笑っていました。そして、こうなることを望んでいたと言うのです。