母はアスペルガー。そう気づいてから、親子関係に一歩踏み出せた
ライター:kaoru
わたしの母は診断こそないものの、アスペルガーの特性が色濃いのです。おそらく父もグレーゾーン。わたしの兄弟もアスペルガーかも?と思える行動がチラホラ。今思えば、わたしの育った家庭では、私がマイノリテイーだったのかもしれません。ギクシャクしていた母との関係についてお話します。
子どもの頃から理解できなかった「母親」のこと
私にとって、母との関係ほど厄介なものはありませんでした。母のやることなすこと、いつも理解ができませんでした。
「自分が変わる事でしか、状況を変えられない」これは、綺麗事なんかではなく一番の近道だと思っています。発達障害のある家族と生まれたときから44年もの長い間、格闘してきた私の実感です。
現在、家庭を持った私は自分自身の子どもにも発達障害があり、子育てに奮闘しています。
ですが、私とわが家の場合、発達障害のある子を育てるよりも、発達障害のある親と過ごす方がずっと大変だったように感じます。
「自分が変わる事でしか、状況を変えられない」これは、綺麗事なんかではなく一番の近道だと思っています。発達障害のある家族と生まれたときから44年もの長い間、格闘してきた私の実感です。
現在、家庭を持った私は自分自身の子どもにも発達障害があり、子育てに奮闘しています。
ですが、私とわが家の場合、発達障害のある子を育てるよりも、発達障害のある親と過ごす方がずっと大変だったように感じます。
ずーっと感じていた違和感は「大人の発達障害」にヒントが
私は物心ついたときから、周囲の感覚と何かがズレているように感じていました。
息子が診断された時、この違和感は「私自身も発達障害かも」という疑いに変わりました。
ですが、私は確かに忘れっぽいけれど、支援が必要なほど困った記憶はありません。集団に適応できなかったこともないし、コミュニケーションも得意ではないけど苦手な訳ではありません。
一方発達障害がある息子は、集団への適応が難しく、相手の気持ちを理解することが苦手なため、コミュニケーションにも困難さを抱えていました。
人それぞれ特性は違うとはいえ、息子の様子を見ていると、私と彼とでは「困り感」に大きな差があるように感じました。
私が発達障害じゃないとしたら「この違和感は一体何だろう?」そうずっとモヤモヤしていました。
息子が診断された時、この違和感は「私自身も発達障害かも」という疑いに変わりました。
ですが、私は確かに忘れっぽいけれど、支援が必要なほど困った記憶はありません。集団に適応できなかったこともないし、コミュニケーションも得意ではないけど苦手な訳ではありません。
一方発達障害がある息子は、集団への適応が難しく、相手の気持ちを理解することが苦手なため、コミュニケーションにも困難さを抱えていました。
人それぞれ特性は違うとはいえ、息子の様子を見ていると、私と彼とでは「困り感」に大きな差があるように感じました。
私が発達障害じゃないとしたら「この違和感は一体何だろう?」そうずっとモヤモヤしていました。
そんなある日、大人の発達障害の再現ドラマが放映されていました。それを見て思ったのです。
「もしかして、わたしのお母さんが発達障害?」
再現ドラマは、遠足の日にお弁当を作り忘れる、という話でした。
私の母は、再現ドラマと全く同じで、前日までお弁当を作る予定でいたのに当日の朝はすっかり忘れてしまうのです。お弁当の代わりに現金を持たされたこともありました。
熱湯をプラスチックの水筒に入れてしまい、ボトルが溶けて変形していたり、間違えて空の汚れたお弁当箱を持たせられたり…そんな事は我が家で日常茶飯事でした。
思い返すと、母は体調の悪い人の気持ちや辛さを全く理解できないところがありました。家族が体調を崩すと、病院へ連れて行くどころか「気合が足りない」「私への嫌がらせなの?」と相手を責めてしまうのです。
母に「嫌がらせで体調が悪いフリをしている」と言われていた祖母を見かねて私が病院へ連れて行くと、心不全を起こしていたこともあったのです。
そして、母は病院を選ぶことができませんでした。発疹が出ているのに整形外科に行ったり、骨折しているのに外科に連れて行かれたり、こうした間違いはしょっちゅうありました。
診察科目ごとに診察内容が違うことを理解できなかったようです。
母のことを「発達障害かもしれない」という視点で考えてみると、私が感じていた「違和感」の謎はスーッと解けていったのでした。
「もしかして、わたしのお母さんが発達障害?」
再現ドラマは、遠足の日にお弁当を作り忘れる、という話でした。
私の母は、再現ドラマと全く同じで、前日までお弁当を作る予定でいたのに当日の朝はすっかり忘れてしまうのです。お弁当の代わりに現金を持たされたこともありました。
熱湯をプラスチックの水筒に入れてしまい、ボトルが溶けて変形していたり、間違えて空の汚れたお弁当箱を持たせられたり…そんな事は我が家で日常茶飯事でした。
思い返すと、母は体調の悪い人の気持ちや辛さを全く理解できないところがありました。家族が体調を崩すと、病院へ連れて行くどころか「気合が足りない」「私への嫌がらせなの?」と相手を責めてしまうのです。
母に「嫌がらせで体調が悪いフリをしている」と言われていた祖母を見かねて私が病院へ連れて行くと、心不全を起こしていたこともあったのです。
そして、母は病院を選ぶことができませんでした。発疹が出ているのに整形外科に行ったり、骨折しているのに外科に連れて行かれたり、こうした間違いはしょっちゅうありました。
診察科目ごとに診察内容が違うことを理解できなかったようです。
母のことを「発達障害かもしれない」という視点で考えてみると、私が感じていた「違和感」の謎はスーッと解けていったのでした。
母との厄介な関係は、まるでカサンドラ症候群!
そう考えてみると、凸凹の激しい母の元で、私は子どもではいられなかったのだと思います。
母と父が離婚したとき、私自身が結婚したとき、母との距離が遠くなるたびにどこかでホッとしている自分がいました。
いつ感情が爆発して八つ当たりされるかもわからずに怯え、当たりちらされるたびに「今度こそ親子の関係を断ち切りたい」と思っては踏み留まり、親子なのに安らぎなど微塵も感じられない、というのが正直な気持ちです。
こうした母との疲れる関係は、ずーっと私を苦しめ続けました。私と母は夫婦ではなく親子ですが、母の言動に疲れきっている私はまるでカサンドラ症候群のようでした。
今でも母に対する複雑な感情は消えません。気持ちの浮き沈みが激しい母からの八つ当たりや、訳のわからないマイルールに辟易しています。
母と父が離婚したとき、私自身が結婚したとき、母との距離が遠くなるたびにどこかでホッとしている自分がいました。
いつ感情が爆発して八つ当たりされるかもわからずに怯え、当たりちらされるたびに「今度こそ親子の関係を断ち切りたい」と思っては踏み留まり、親子なのに安らぎなど微塵も感じられない、というのが正直な気持ちです。
こうした母との疲れる関係は、ずーっと私を苦しめ続けました。私と母は夫婦ではなく親子ですが、母の言動に疲れきっている私はまるでカサンドラ症候群のようでした。
今でも母に対する複雑な感情は消えません。気持ちの浮き沈みが激しい母からの八つ当たりや、訳のわからないマイルールに辟易しています。
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