「2歳までの子育て」がひたすら大変だったのはなぜ?今思えば…

ライター:林真紀
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沢山の人に支えられながらもうすぐ6歳を迎える息子。サポートが必要な部分は沢山あるものの、1~2歳の頃の大変さは今とは種類の違うものでした。当時は「なぜこんなに手がかかるのかしら」としか思わなかったのですが、改めて振り返ると「今思えば」が沢山ありました。

息子の育児は些細な「??」の繰り返しだった

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息子が発達障害ではないかと確信を持ったのは、2歳も終わろうとしているときでした。

でもそれまで、「あれ?おかしいな」ということが、育児をしながら沢山ありました。

それはどれも些細なことでした。フッと不安になることがあっても、夜寝るときには忘れて寝てしまうような、そんな些細なことの繰り返しだったのです。

その些細な違和感は重なり合って、「この子は育てにくい」という漠然とした感覚になっていました。

けれども、今になって振り返ってみると、その些細な違和感は全て、発達障害の特性からくるものだったのです。今回は、数年前の記憶を辿りながら、幼少期の息子に感じた「??」を整理してみたいと思います。

「今思えば」発達障害の特性だったこと

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赤ちゃんの頃は、息子の発育について違和感を感じたことは全くありませんでした。また、むしろ次々に新しいボキャブラリーを開拓して一日中喋っていたので、言葉の遅れがあるようにも思えませんでした。

(息子の言葉の発達については、下のリンクの記事に詳しく書いてあります)
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息子は話せるけれど、コミュニケーションはとれない子でした

けれども息子が歩き始めた1歳5ヶ月頃からでしょうか、些細な「??」が沢山出てきました。
以下は思い出せる限り書き出した、「今思えば」です。

■発語が独特

息子の最初の発語は「でんき」だったのを今でも覚えています。上の娘の最初の発語は「パパ」「ママ」でした。息子は外を歩いていても、家の中にいても、明るくキラキラした発光体を指さしては「でんき!」「でんき!」と言う状態が3ヶ月も続きました。

■歩き方が独特

息子が歩き始めたのは1歳5ヶ月の頃でした。普通の子よりも少し遅めぐらいのスタートだったでしょうか。よく動き、よく走っていってしまう子でしたが、歩き方が独特でした。

家の中ではつま先歩きをしていました。外に連れていくと、頭を前に突き出して、ペンギンのような恰好をして真っ直ぐに走っていってしまいました。

歩くと何度も転んでしまう子で、保育園でも怪我が絶えません。また、「すぐに走り出す」のに「歩く」のは嫌いでした。今思えば、重力不安で姿勢を保てなかったのですね。

■ナイロンの洋服が着られない

ナイロンのジャンパーを着せると、絶叫して嫌がりました。寒いのに、いつも薄手の綿のジャンパーかジャージしか羽織ることができませんでした。

■次々に興味が移り変わり、飛んでいってしまう

息子の場合、多動の他に「転動」があり、それが私たちを悩ませました。

休日のショッピングモールなどに連れていくと、「あ!Aだ!!Aに行きたい!!」と大騒ぎして飛んでいったかと思うと、Aを見ながら「あ!Bだ!Bに行く!!」という風に、目に入るものに次々と興味がうつり、飛んでいってしまったものです。

ですから、4歳直前まで、息子はベビーカーに乗せてベルトを着用していました。事故防止のためです。

■好きなことに対し、異常に記憶力が良い

彼は車のおもちゃを100個以上収集していましたが、1つ1つ、どこで誰が買ったのか全て記憶していました。

さらに、それが一つでもなくなろうものなら、
「お父さんが100円ショップでお買い物の帰りに買ってくれたピンクのバスがない!!!」
「お母さんが保育園の下のお店で買ってくれたバイクがない!!」
というように何時間も地団駄を踏み続けるのでした。

■爪切り、歯磨き、散髪は戦争状態

当時、一番辛かったのは爪切り、歯磨き、散髪といった日常的にやらなければならない身繕いでした。息子は毎回絶叫して嫌がり、私は蹴飛ばされ、頭突きされ、生傷の絶えない毎日でした。

■激しい偏食

偏食が酷く、「混ぜ込んで食べさせる」なんていうことが絶対に通用しない過敏な舌を持っていました。
息子はラーメンが大好きですが、ラーメンの中に入っている小さな小ネギが一つ口の中に入ってきただけで、目を真っ赤にして「オエっ!!!」でした。

外食するときにはとても気を遣ったものです。

育てにくさは今もあるが、和らいでいく

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上に挙げたような息子に感じた違和感は、今でも形を変えて継続しています。けれども、大変さの度合は、1~2歳の頃とは比べものにならないほど和らいでいます。ゆっくりだけれども、子どもは確実に成長しています。

そして、息子が発達障害だと分かったことで、息子が大暴れしたり、はたから見たら奇妙な行動を取ったりすることの理由が分かり、どう支援するかを考えることができるようになりました。

子どもの成長と周囲の支援、その両方が組み合わさって、発達障害児の育児は少しずつ少しずつ楽になっていくはずです。
今の辛さは一生続くわけではありません

ありきりたりな言葉ですが、息子の幼少期の「今思えば」を振り返りながら、明るい未来を信じてみようと改めて思いました。今の息子は、あの頃の息子とは別物のように成長しましたから。

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