「どっちでもいいじゃん」言えたのは、先生が不安を消してくれたから
『続・みかんプリン事件』から更にさかのぼること数ヶ月。
冬のある日、
息子がニヤニヤしながら
わたしに報告してくれました。
「なんかねえ、Y先生、
のん(わたし)みたいなことを
よく言うようになったんだよ!」
聞けばY先生、息子の「なんで?どうして?」のひとつひとつに、例え話を用いて説明してくださっているとのこと。
当時、年長組の園児さんは10名。
ひとりひとりに気を配らなくてはならないわけですから、結構な労力になることでしょう。
それなのにY先生は手を抜くことを一切せず、息子の特性に向き合ってくれていたのです。
「わからないこと、
ちゃんとわかるように説明してくれるんだよ!
Y先生がいるから
不安になることが少なくなって
友達ともっと楽しく話したり
遊べるようになったんだよ!」
やはり「どっちでもいいじゃん」と言えたのは、Y先生が息子の不安をかき消してくれたからこそだと、わたしは思えてなりません。
そうそう、以前のコラムに登場した「理解に努め、見守ってくださった保育士さん」とは、Y先生のことです。
冬のある日、
息子がニヤニヤしながら
わたしに報告してくれました。
「なんかねえ、Y先生、
のん(わたし)みたいなことを
よく言うようになったんだよ!」
聞けばY先生、息子の「なんで?どうして?」のひとつひとつに、例え話を用いて説明してくださっているとのこと。
当時、年長組の園児さんは10名。
ひとりひとりに気を配らなくてはならないわけですから、結構な労力になることでしょう。
それなのにY先生は手を抜くことを一切せず、息子の特性に向き合ってくれていたのです。
「わからないこと、
ちゃんとわかるように説明してくれるんだよ!
Y先生がいるから
不安になることが少なくなって
友達ともっと楽しく話したり
遊べるようになったんだよ!」
やはり「どっちでもいいじゃん」と言えたのは、Y先生が息子の不安をかき消してくれたからこそだと、わたしは思えてなりません。
そうそう、以前のコラムに登場した「理解に努め、見守ってくださった保育士さん」とは、Y先生のことです。
わが家は親子でASD!発表会への参加、今年はどうする?感覚過敏の息子の決断は・・・
Y先生は今もわたしたち親子を支えてくれる存在
現在、小学生になった息子。
入学前には新生活への不安を訴え続けていたので、「不登校になるかもしれない」と、わたしは心の準備をしていました。
しかしいざ通学を始めたら、楽しくて楽しくてたまらないようです。
とはいえ、家の外には息子が理解できないことだらけ。
これまではひたすら自分の正しさを主張するしかなかった息子。
周囲のご厚意をありがたく受け取れるようになったのは、
「わからなくなったら
聞けばいいんだよね、
Y先生のときみたいに」
こんな風に考えられるようになったからだと思います。
最後の登園日、この1年間のお礼を伝えた私に、Y先生は意外なことをおっしゃいました。
「私はハル君と同じ特性ではないので
辛さをはっきり理解できなくて
実は悔しかったのです。
でも、ハル君が自分の言葉で
懸命に色々なことを伝えてくれたことや
お母さんが
私に相談してくださったのが嬉しくて。
それは
私の大きな励みになっていました。」
私はいつも「わがままな母と捉えられても構わない」と思いながら、特性のために生じる障害について先生に伝えてきました。それに対し、Y先生は一度も嫌な顔をしたことはありません。
むしろ、前述したようにとても熱心に私たち親子に接してくださいました。
でもまさか、「励みになっていた」だなんて!
「こんなふうにY先生と話せたのは、アスペルガーだったからこそ、かもなあ」
なんて、楽しかった1年を私は思い返しました。
障害にもなり得る特性に感謝したくなり、しみじみと嬉しい気持ちに浸るのでした。
入学前には新生活への不安を訴え続けていたので、「不登校になるかもしれない」と、わたしは心の準備をしていました。
しかしいざ通学を始めたら、楽しくて楽しくてたまらないようです。
とはいえ、家の外には息子が理解できないことだらけ。
これまではひたすら自分の正しさを主張するしかなかった息子。
周囲のご厚意をありがたく受け取れるようになったのは、
「わからなくなったら
聞けばいいんだよね、
Y先生のときみたいに」
こんな風に考えられるようになったからだと思います。
最後の登園日、この1年間のお礼を伝えた私に、Y先生は意外なことをおっしゃいました。
「私はハル君と同じ特性ではないので
辛さをはっきり理解できなくて
実は悔しかったのです。
でも、ハル君が自分の言葉で
懸命に色々なことを伝えてくれたことや
お母さんが
私に相談してくださったのが嬉しくて。
それは
私の大きな励みになっていました。」
私はいつも「わがままな母と捉えられても構わない」と思いながら、特性のために生じる障害について先生に伝えてきました。それに対し、Y先生は一度も嫌な顔をしたことはありません。
むしろ、前述したようにとても熱心に私たち親子に接してくださいました。
でもまさか、「励みになっていた」だなんて!
「こんなふうにY先生と話せたのは、アスペルガーだったからこそ、かもなあ」
なんて、楽しかった1年を私は思い返しました。
障害にもなり得る特性に感謝したくなり、しみじみと嬉しい気持ちに浸るのでした。
- 1
- 2