「うん、知っていたよ」小4の息子にADHDだと伝えた後の話
ライター:なちゃりん
小1から特別支援学級に在籍していた息子は、3年生が終わるころには「支援級は必要ないのではないだろうか」というほど、穏やかな学校生活を送れるようになっていました。
ところが、4年生の夏を境に状況が一転。秋に10歳の誕生日を迎えてからの一年間を『不穏』に過ごした息子の前に障害告知をするタイミングがやってきました。
小4から落ち込みが目立つようになった息子
お子さんをお持ちの方は、子どもに「障害がある」ということを、いつ本人に告知しましたか?
私には、そうせざるを得ないきっかけがありました。
公立小学校の情緒学級に籍を置く息子は、5歳で自閉症スペクトラム、ADHDと診断されました。
幼児期から感情表現や切り替えが苦手で、日常生活もなかなか自立せず悩んできましたが、
小学校入学時からは温かい支援を受けながら、穏やかに笑顔で過ごせていました。
そんな息子が小4の夏休みを境に、何となく笑顔が減り下校後は無口で落ち込んでいるように見えました。
「何か嫌なことあった?大丈夫?」
「いや、別に・・・。大丈夫。」
そう答える息子でしたが、家での落ち込みと比例するように学校で小さなかんしゃくを起こすようになっていきました。
「なんかね、イライラがお腹の底からグーって出てくるんだ。」
そう話す息子に「何が起こっているのだろう?」と悶々とする日が続きました。
「成長期で急激に体が大きくなり、今まで服薬していた(ADHDの)薬が効かなくなっているのかもしれない」という主治医の見解でした。
その後、薬を増量したり、薬の変更を試みたものの上手にコントロールができないまま5年生に進級しました。
小さなきっかけでイライラすることが増え、その果てに教室の壁を蹴ったり掲示物を破いては注意され、そしてまた落ち込むという悪循環は、息子にとって暗闇のトンネルの中を手探りで進むような毎日だったのではないでしょうか。
私には、そうせざるを得ないきっかけがありました。
公立小学校の情緒学級に籍を置く息子は、5歳で自閉症スペクトラム、ADHDと診断されました。
幼児期から感情表現や切り替えが苦手で、日常生活もなかなか自立せず悩んできましたが、
小学校入学時からは温かい支援を受けながら、穏やかに笑顔で過ごせていました。
そんな息子が小4の夏休みを境に、何となく笑顔が減り下校後は無口で落ち込んでいるように見えました。
「何か嫌なことあった?大丈夫?」
「いや、別に・・・。大丈夫。」
そう答える息子でしたが、家での落ち込みと比例するように学校で小さなかんしゃくを起こすようになっていきました。
「なんかね、イライラがお腹の底からグーって出てくるんだ。」
そう話す息子に「何が起こっているのだろう?」と悶々とする日が続きました。
「成長期で急激に体が大きくなり、今まで服薬していた(ADHDの)薬が効かなくなっているのかもしれない」という主治医の見解でした。
その後、薬を増量したり、薬の変更を試みたものの上手にコントロールができないまま5年生に進級しました。
小さなきっかけでイライラすることが増え、その果てに教室の壁を蹴ったり掲示物を破いては注意され、そしてまた落ち込むという悪循環は、息子にとって暗闇のトンネルの中を手探りで進むような毎日だったのではないでしょうか。
息子が笑顔でいられる居場所探しを開始
そんな中、息子のことを理解し、支えになっていた支援学級の先生が、体調不良で休職することになりました。
その間は複数の教師が不定期に代わるクラスに入ることになり、息子にとっての学校生活はますます落ち着かず苦しい場になっていきました。
次第に息子は交流級での授業を受けられないばかりか、みんなで給食を食べることも、ランドセルを置きに行くこともできなくなりました。
そして、とうとう息子はパーテーションで区切られた「クールダウンスペース」で一日を過ごすようになりました。
「ちょっと限界かな」
そう感じた私はこれを機に学校は「期限付き不登校」、息子には「障害告知」することを決め、同時に中学校の特別支援学級や特別支援学校への見学・相談を開始しました。
少し早いかと思いながらも、息子が無理せず笑顔でいられる居場所を探さずにはいられなかったのです。
その間は複数の教師が不定期に代わるクラスに入ることになり、息子にとっての学校生活はますます落ち着かず苦しい場になっていきました。
次第に息子は交流級での授業を受けられないばかりか、みんなで給食を食べることも、ランドセルを置きに行くこともできなくなりました。
そして、とうとう息子はパーテーションで区切られた「クールダウンスペース」で一日を過ごすようになりました。
「ちょっと限界かな」
そう感じた私はこれを機に学校は「期限付き不登校」、息子には「障害告知」することを決め、同時に中学校の特別支援学級や特別支援学校への見学・相談を開始しました。
少し早いかと思いながらも、息子が無理せず笑顔でいられる居場所を探さずにはいられなかったのです。
障害を告知した日
普段から親の会話をよく聞いていた聴覚過敏な息子。
本人に障害を告知したときは、想像以上にあっさり受け入れていました。
「うん、知ってる。そうじゃないかと思ってたよ。よくそういう話していたでしょ?」
と言われ、肩透かしのような気分に。
「今、こういう薬を飲んでいるのだけど、どう感じている?」
「特性だからと言っても、集団生活をするには許されないこともあるから、どうすればいいのか考えないとね。」
「この先の進路には、いくつかの選択肢があるよ。一緒に考えていこうね。」
告知して良かったことは、こうした「本人抜きで親の主観で決めていた物事」に、
ようやく「本人の意思を尊重できるようになった」ことです。
本人に障害を告知したときは、想像以上にあっさり受け入れていました。
「うん、知ってる。そうじゃないかと思ってたよ。よくそういう話していたでしょ?」
と言われ、肩透かしのような気分に。
「今、こういう薬を飲んでいるのだけど、どう感じている?」
「特性だからと言っても、集団生活をするには許されないこともあるから、どうすればいいのか考えないとね。」
「この先の進路には、いくつかの選択肢があるよ。一緒に考えていこうね。」
告知して良かったことは、こうした「本人抜きで親の主観で決めていた物事」に、
ようやく「本人の意思を尊重できるようになった」ことです。
伝えるだけじゃない。本人への障害告知、最適なタイミングとは?
息子がはっきりと意思表示した日
交流級で過ごせないことは今後の息子の進路選択に大きく関わると思いました。
その当時は、状況が好転するようには思えなかったからです。
新しくできたばかりの設備が整った特別支援学校に一度、相談・見学に行ったことがあります。
広いエントランスに吹き抜けから優しい日が差し込んで、心がふわっと軽くなるような気がしました。
ニコニコしながら校内を見て回る息子の姿に「ここなら、この子はあんな風に荒れたり落ち込んだりしないのではないか」と勝手ながら思っていました。
その日、帰宅後に息子がはっきり言いました。
「あそこはとっても楽しそうでいいよね。でも、僕は今はあそこには行かない。僕は今の学校を卒業する。6年生になったら、交流級にいられるように頑張ってみてそれからもう一度考えるよ。」
実年齢より幼く、特性ゆえに苦手なことがたくさんあって、自分の考えを言語化することが上手くできない息子。
これほどはっきりと意思表示したのを初めてみました。
それから数ヶ月たち6年生になった息子は、有言実行とばかりに1日のほとんどを交流級で過ごしています。
「あの頃は一体何だったのだろう」と思うほど友達と雑談も楽しむようになりました。
その当時は、状況が好転するようには思えなかったからです。
新しくできたばかりの設備が整った特別支援学校に一度、相談・見学に行ったことがあります。
広いエントランスに吹き抜けから優しい日が差し込んで、心がふわっと軽くなるような気がしました。
ニコニコしながら校内を見て回る息子の姿に「ここなら、この子はあんな風に荒れたり落ち込んだりしないのではないか」と勝手ながら思っていました。
その日、帰宅後に息子がはっきり言いました。
「あそこはとっても楽しそうでいいよね。でも、僕は今はあそこには行かない。僕は今の学校を卒業する。6年生になったら、交流級にいられるように頑張ってみてそれからもう一度考えるよ。」
実年齢より幼く、特性ゆえに苦手なことがたくさんあって、自分の考えを言語化することが上手くできない息子。
これほどはっきりと意思表示したのを初めてみました。
それから数ヶ月たち6年生になった息子は、有言実行とばかりに1日のほとんどを交流級で過ごしています。
「あの頃は一体何だったのだろう」と思うほど友達と雑談も楽しむようになりました。
家庭に居場所をつくることで見守る
後の検査で、息子には軽い「人の顔が認識できない相貌失認(失顏症)」があり、
許容量は10人程度の集団だということがわかりました。
担任の休職中に、先生がころころ代わるあの時期が、どれだけ不安で苦しかったのだろう?と思うと辛い気持ちになります。
しかし、息子が学校に通えるようになったのは、思い切って告知をし、
・本人の意思を尊重できるようになったこと
・不登校を受け止め、家庭の中に居場所があることを再認識させたこと
この2つが幸いしたのではないかと思ってます。
まだまだこの先はわかりませんが、今は9~10歳に訪れる思春期の発達課題である『アイデンティティの確立』を、息子なりにじっくり試行錯誤しているような気がしています。
成長発達の鍵と言われる『9(10)歳の壁』を息子がどうやってくぐり抜けていくのか見守っていこうと思っています。
許容量は10人程度の集団だということがわかりました。
担任の休職中に、先生がころころ代わるあの時期が、どれだけ不安で苦しかったのだろう?と思うと辛い気持ちになります。
しかし、息子が学校に通えるようになったのは、思い切って告知をし、
・本人の意思を尊重できるようになったこと
・不登校を受け止め、家庭の中に居場所があることを再認識させたこと
この2つが幸いしたのではないかと思ってます。
まだまだこの先はわかりませんが、今は9~10歳に訪れる思春期の発達課題である『アイデンティティの確立』を、息子なりにじっくり試行錯誤しているような気がしています。
成長発達の鍵と言われる『9(10)歳の壁』を息子がどうやってくぐり抜けていくのか見守っていこうと思っています。
子ども本人への障害告知には「避けたいタイミング」があります
【専門家監修】ADHD(注意欠如多動症)の子どもの育て方は?具体的対処法など