「大人しい子」は我慢してる子?娘が不登校になり気づいたこと
ライター:むーに
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「不登校にでもなったら、この子のしんどさが理解されるかもしれない」
そう思った私の考えは、現実に起こった不登校生活によって間違っていたと示されたのでした。
幼稚園とは違う「大人しい子」?
娘は3歳ころ、広汎性発達障害と診断されました。
幼稚園での集団生活ではパニックや登園渋りが続き、加配の先生が必ずついているような状態でした。
小学校入学前に行われた発達検査では、知的にも軽度の遅れがあるとの結果が出ていました。
そんな娘が激変したのは、小学校に入学してしばらくしてからでした。
担任の先生には敬語で話し、予想されていた脱走もありませんでした。
娘のこの様子を見て、周りの先生たちは口々に「おとなしい良い子」と私に告げてきました。
でも、そうなったのには様々な背景がありました。
幼稚園での集団生活ではパニックや登園渋りが続き、加配の先生が必ずついているような状態でした。
小学校入学前に行われた発達検査では、知的にも軽度の遅れがあるとの結果が出ていました。
そんな娘が激変したのは、小学校に入学してしばらくしてからでした。
担任の先生には敬語で話し、予想されていた脱走もありませんでした。
娘のこの様子を見て、周りの先生たちは口々に「おとなしい良い子」と私に告げてきました。
でも、そうなったのには様々な背景がありました。
小学校で娘が学んだのは・・・
集団生活についていけなかった娘。
先生と2人きりの支援教室で「もう出来ない」「せんせい、きらい」と娘は打ち明けたそうです。
その言葉を聞いた先生は顔を真っ赤にし、激高して娘を怒ったそうです。
時には30分近く延々と説教をしたこともあり、支援の先生からノート1ページにびっしり「こう話しました」と書かれていたのを読んだときには大きな違和感を覚えました。
だって、まだ当時6才の子どもに対して、なぜ大人の、しかも先生がここまで感情を乱すのだろうと思ったのです。
そうした様々な経験が「せんせいを怒らせてはならない」と我が子を思わせたのでしょう。
もちろん、叱ったことにより「良い子になった」と思った先生は、何かにつけて厳しく接してくるようになりました。
先生と2人きりの支援教室で「もう出来ない」「せんせい、きらい」と娘は打ち明けたそうです。
その言葉を聞いた先生は顔を真っ赤にし、激高して娘を怒ったそうです。
時には30分近く延々と説教をしたこともあり、支援の先生からノート1ページにびっしり「こう話しました」と書かれていたのを読んだときには大きな違和感を覚えました。
だって、まだ当時6才の子どもに対して、なぜ大人の、しかも先生がここまで感情を乱すのだろうと思ったのです。
そうした様々な経験が「せんせいを怒らせてはならない」と我が子を思わせたのでしょう。
もちろん、叱ったことにより「良い子になった」と思った先生は、何かにつけて厳しく接してくるようになりました。
園や学校の先生にわかってほしい。障害のある子を持つ親の気持ち
大きく荒れるのは「安心」していたから
そのうち、下校時間になり校門前まで迎えに行くと、私を見たとたんに娘は大声をあげて泣きわめき、ランドセルを地面に投げつけ、私の胸をたたき続けるようになりました。
しかし、そうした日常が続き、校内でひたすら耐えていた我が子の様子にさらなる異常が現れ始めたのは、小1の3学期になってからでした。
下校時の苛立ちはよく見られていましたが、それとは違う異質さを感じたのです。
それは「教えられる行為を極端に嫌がる」ようになったこと。
当時、別に通っていた療育施設では泣き続けて何もかもを拒否することが増えていきました。
療育施設では、学校のような強要はありません。
安心して「本来の自分」でいられる場所だったからこそ、娘は「嫌な気持ちを発散」できていたのだと思います。
しかし、そうした日常が続き、校内でひたすら耐えていた我が子の様子にさらなる異常が現れ始めたのは、小1の3学期になってからでした。
下校時の苛立ちはよく見られていましたが、それとは違う異質さを感じたのです。
それは「教えられる行為を極端に嫌がる」ようになったこと。
当時、別に通っていた療育施設では泣き続けて何もかもを拒否することが増えていきました。
療育施設では、学校のような強要はありません。
安心して「本来の自分」でいられる場所だったからこそ、娘は「嫌な気持ちを発散」できていたのだと思います。
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先生を見たとたん姿勢を正した娘
当時、学校で受けた娘の苦痛は相当なものだったようで、今もトラウマのひとつとなっています。
それを実感したエピソードがありました。
いつものように、泣いて嫌がる我が子を連れて登校した時のことです。
はるか遠くに支援学級の担任の姿が見えたとたん、様子が変貌したのです。
目つきや表情が変わり、心なしか姿勢もピンッとなりました。
まるで大人の姿に一瞬で切り替わったような小学1年生がそこにいました。
専門用語では「スイッチング」といわれる症状だそうですが、まさしくスイッチが切り替わった瞬間でした。
この頃は、今以上に先生との話し合いを重ねていた時期です。
話し合いでは毎回お互いの意見がかみ合わず、いつも平行線のまま終わっていました。
私は先生から「ノイローゼだ」ともいわれ、間に入ったスクールカウンセラーや支援員との面談でも、校外での娘の様子を軽く捉われていたように思います。
それから数ヶ月後に、娘は完全不登校になりました。
家では「悪夢をみるから」と言って眠ることへの恐怖に脅え、ただただ動かずに横になり続ける日々が続きました。
感情を抑え過ぎているからか、時々爆発したかのような大きな奇声をあげたり「教室でこんな風景をみた」という打ち明け話をたくさん聞きました。
休養になるかと思われた不登校期間は、苦しかった日々を何度も何度もフラッシュバックさせ、娘にとっては辛い期間となりました。
それを実感したエピソードがありました。
いつものように、泣いて嫌がる我が子を連れて登校した時のことです。
はるか遠くに支援学級の担任の姿が見えたとたん、様子が変貌したのです。
目つきや表情が変わり、心なしか姿勢もピンッとなりました。
まるで大人の姿に一瞬で切り替わったような小学1年生がそこにいました。
専門用語では「スイッチング」といわれる症状だそうですが、まさしくスイッチが切り替わった瞬間でした。
この頃は、今以上に先生との話し合いを重ねていた時期です。
話し合いでは毎回お互いの意見がかみ合わず、いつも平行線のまま終わっていました。
私は先生から「ノイローゼだ」ともいわれ、間に入ったスクールカウンセラーや支援員との面談でも、校外での娘の様子を軽く捉われていたように思います。
それから数ヶ月後に、娘は完全不登校になりました。
家では「悪夢をみるから」と言って眠ることへの恐怖に脅え、ただただ動かずに横になり続ける日々が続きました。
感情を抑え過ぎているからか、時々爆発したかのような大きな奇声をあげたり「教室でこんな風景をみた」という打ち明け話をたくさん聞きました。
休養になるかと思われた不登校期間は、苦しかった日々を何度も何度もフラッシュバックさせ、娘にとっては辛い期間となりました。
トラウマになる前にできること
今考えると、出来ることなら先生と親との相互理解、そして信頼関係を築くことは入学前からもっと考えるべきだったのかもしれません。
不登校という選択肢の中には、様々な環境や考え方があると思います。
でも、時には「逃げること」も、お子さんの心と命を守るために必要だと思っています。
私は小1から小2の頃の我が子を、守り切れたかどうかと聞かれれば「分からない」としか答えられません。
しかし、この話が今苦しんでいる方々の参考になればと願ってやみません。
不登校という選択肢の中には、様々な環境や考え方があると思います。
でも、時には「逃げること」も、お子さんの心と命を守るために必要だと思っています。
私は小1から小2の頃の我が子を、守り切れたかどうかと聞かれれば「分からない」としか答えられません。
しかし、この話が今苦しんでいる方々の参考になればと願ってやみません。
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