宿題ってなんだろう?宿題ってなんのためにやるんだろう?ここ最近、宿題について思うことがあって、いろいろ考えています。
学校の宿題は授業で習ったことをおらさいする「復習」と、それを自宅で行う「家庭学習の定着」の意味合いが強いのかなと。学校側からすれば、子どもの理解度を測るためのツールのひとつかなと思っています(違ってたらごめんなさい)。
40歳を過ぎた私が今になって思うのは「もっと勉強しとけば良かったなぁ」ということ。学歴がどうのではなく、恥ずかしながら世の中未だ分からないことが多々ありまして。そもそも言葉の意味が分からないから、そこからググらないといけません。
仕事でも趣味でも興味があればとことん調べて理解を深めたいと思うもの。私、悲しいかなこの歳になってその想いが日に日に強くなっていて。寝る間も惜しんで本を読んだり、ググったり、それをノートにまとめたりしている訳です。
本来であれば、これが勉強の正しいあり方だと思っていて。勉強とは、興味のあることに対して理解を深めたり必要と感じたときにするものだと思います。分からなかったことが分かる喜びはなにものにも代えがたくて、これを積み重ねることで「自信」に繋がり、より良い道が拓けるのだと思います。
「分かる」という感覚はすごく気持ち良くて。気持ち良いからまたやりたくなる。勉強って良い意味でとても中毒性のある行為だと思います。
運動で例えるなら、いくら頑張ってもできなかった逆上がりが練習したら出来た!みたいな感覚に近い。ただ、練習の中でどうしたら逆上がりが上手にできるようになるか?と考えることも必要で、ただ闇雲に練習するよりも練習の方向性やコツを「勉強」することで達成のスピードも違ってくる。
そういう意味では、個人的には勉強そのものよりも「勉強する姿勢」が大事かなと。その点ではアスリートの方はずば抜けているのでしょうね。
主観になるかもですが、私の経験上、学校の宿題がつまらなかったのは、そもそも興味がない上、そこに新しい発見や挑戦する気持ちを持てなかったことに起因するのかなと。
私は絵を描くことが大好きな子どもだったので、例えば「天狗をモチーフにしたヒーローの絵を描く」などといった宿題であれば、喜んで取り組んでいたのになぁと今になって思います。
子どもたちの宿題も、その子の興味に合わせた宿題だったら喜んで取り組むはず。そこに少しだけ「挑戦」できる部分があれば、自らの殻を破ることにもなり成長にも繋がる。なんにせよイヤイヤ取り組む宿題には意味がないと思っています。
甘いこと言うな!と怒られるかな。。。
勉強そのものよりも「勉強する姿勢」が大事?!
教室の毎日
22/01/25 01:13