連日コロナコロナで精神的におかしくなる日々が続いています。いつ自分が陽性者になるかもしれない不安と恐怖は誰もが感じているのではないでしょうか。
感染対策を万全にしても罹る時は罹るんだろうなっていうのが本音で、感染したらそれはもう単純に運が悪かったとしか言いようがないレベルにきてる気がします。
コロナで亡くなった方は世界中で500万人に上るそうですね。これは北海道の人口と同等かそれ以上にあたり、数字だけ見ると物凄いことになっています。
でも自分自身はなんとか健康に暮らしているし、今のところ何不自由なく生活ができている。テレビでお笑いを観てのんきに笑ってそれで幸せを感じちゃったりしている。で、なんとか生きている。500万人もの方が亡くなっているというのにどこか麻痺している。
今年に入り「○○くんのクラスで陽性者が出た」「○○ちゃんの妹のクラスで陽性者が出た」等、コロナ関連のご報告を頻繁に受けるようになりました。即座に濃厚接触者の特定やデイを利用できるか否か、他事業所への連絡や行政への報告等、陽性者判明に伴う調整・連絡を行う訳ですが、そうしたやり取りの中、ずっと違和感を抱いていることがありまして。
それは陽性になった方を気遣う言葉を頂けないこと。もちろん全くない訳ではないのですが。突然身に降り掛かった困難に狼狽する気持ちは痛いほど分かります。親としては子どもを守る防衛本能が咄嗟に働くのでそれはもうどうしょうもないと言うか。
でもちょっと考えてみてほしい。その瞬間一番大変な思いをしているのは、当事者つまり陽性になった子とその親じゃないかと思うんです。高熱を出して苦しんでいるかもしれないし、咳が止まらない状態かもしれない。親としては重症化しないか心配だし、風評被害たって怖い。一番苦しんでいるのは他ならぬ陽性者とその家族だと思うんです。
当事者の思いをすっ飛ばして周りがあたふたしているのが、どうも自分にとって違和感でしかなくて。あれ?人間ってこんなに冷たいの?って。1人でも多くの人が当事者に思いを馳せることができればいいのに。ただ単に人の温かみが恋しいだけなのかもしれません。
麻痺しそうな感覚を正常に戻すためにはそういう想像力が不可欠なのかなと思います。愛を持って関わる子どもたちと対等に向き合うには、そういうこともちゃんとしなきゃなって思います。
麻痺しそうな感覚を取り戻すには想像力が不可欠
教室の毎日
22/02/10 23:38