先日のブログ投稿から世の中の変化は凄まじいものがありますね。収束しつつあったオミクロン株の拡大と今朝の日向灘沖地震の発生など。いろいろな社会変化でも子供たちは強く生き抜かなければなりません。今日の写真は、療育時間が短かったので体幹の育成と学習支援を合わせて行ってみました。いろいろな意見をお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、人の一日は平等にありその中で人よりも秀でることを準備することが大切であると思い行った療育です。
今日は、菩提達磨大師(達磨さん)の言葉を引用させて頂き、お話をしたいと思います。「廓然無聖」カクネンミショウ「廓然」とは見渡す限りなにもないこと。「無聖」は聖も俗も一切何もないという意味です。「禅」はこの世に生きる誰もが心の奥の奥にその境地を待っていると説かれています。ところが私も同じですが、愚かにも固定観念や既成概念にとらわれ、自分自身を「心の迷い」「混濁」の世界に迷い込ませています。そして、聖俗・有無・賢愚・美醜・貧富・貴賤・遅速などの物差しで自分と他人を比較し、その上か下かで一喜一憂し、悩んだり焦ったり憂いたりしていませんか。達磨さんは、「自分自身をしっかり見つめ直せ。他人と比較することで自分を苦しませ悩ませ、不自由にしている原因ではないかと。自分自身しっかり心の眼を開いてとらわれることなく、こだわることなく生きていきなさいと戒め、諭しておられます。人は、個々に特性を持ちそのことに気づきそのことを伸ばすことだけで社会の一員として立派に生活していけると信じています。
体幹育成と学習支援の両立かもしれない 「人とくらべない」
教室の毎日
22/01/22 12:03