こんにちは。都筑区の放課後等デイサービス FORTUNAです。
今日も暑いですが、関東はなかなか梅雨明けしません。早く梅雨が明けてほしいものです。
なかなか平成、令和の時代を生きてくると、昭和の時代は今では「信じられない」、「そんなバカな」ということが普通にまかり通っていました。なかには理不尽極まりないことも多くありました。
また、先生たちも熱血型が多く、真正面から生徒に向き合ってくれる方が多かったように思います。
その当時、そんな怖い先生から、注意のために呼び出され職員室で聞き取りされる場合は、まず正座をしなければなりませんでした。
そのあとは想像にお任せしますが、怖く、辛い時間が続きました。
挙げ句の果てに、職員室で「この子たちが、私たちのためにわざわざ吉野家の牛丼を買ってきてくれました」と、ひとりの先生が ”私たちの牛丼” を袋から取り出し、蓋を開けました。
職員室内に牛丼のおいしそうな匂いが広まり、「おー」と他の先生たちから歓声があがります。
私たち3人は、厳しい指導を受けたうえに、目の前で”私たちの牛丼”が食べられるのを見る羽目になってしまいました。
本当に「あっ」という間に、先生たちは「いただきまーす」と言って”私たちの牛丼”に本当に箸をつけました。
説教は休憩時間の終わりのチャイムがなるまで続きました。(そのときは牛丼は全て空になっていました)
最後に「もう二度と授業中に学校を抜け出すなよ。わかったか!」と一喝されました。
厳しい指導や説教には慣れていましたが、人生初の牛丼を目の前で食べられたことのほうがショックで「わかりました。もうしません」と小さな声で返事するしかありませんでした。
教室に戻ると、男の友だちたちは大爆笑。女の子たちは私たちの様子に笑いを通り越して、「大丈夫?」と心配してくれました。(なぜバレたのか、いろいろな噂はあるのですが、未だに真実はわかりません)
でももともと自分たちがルールを守らず、校則違反をしたのがいけないのです。言い訳の余地など微塵もありません。
辛い辛い牛丼デビューでした。
そのあと、学校から家に連絡がいったのでしょう。帰って父親から鉄拳制裁を食らったのはいうまでもありません。
この話、今の時代に、もしこのようなことがあったなら、教師も生徒も大問題で全国ネットのニュースになっているかもしれません。
しかし、当時の中学校は非常に荒れており、校内暴力という言葉が使われその嵐が学校内で吹き荒れ、学校の窓ガラスや器物が普通に破壊されていた時代で、他中学生徒との諍いや自中学で先生vs生徒の諍いがあり、先生が負ければ学級崩壊、学校崩壊という状態でした。
当然、部活動も荒れており、3年生は神様、2年生は人間、1年生はただの石という関係性はありましたが、先輩たちは怖いけれど「勝つ」という同じ目標をもっている分ファミリー感があり、練習に対しては、みんなが真面目に向き合っていたと思います。
ただ何より尖ることが強くて格好いいと勘違いし、「他校に負けたくない」そこにまっすぐに突入していた青春時代でした。
今でも地元のこの悪友たちと会うたびに、この話題も含めたこのような馬鹿な話とその時の先生たちの怖さについて大爆笑で盛り上がるのです。自分でも相当バカなことをやっていたのだなあとつくづく思います。
(前述の先生たちですが、凄い格好の他校の生徒たちが学校に来たときも、ひるむこと無く同じように校門前で「君たち、何かご用かな?」と竹刀をもちながら笑顔で対応し、問題が起こらないように追い返してくれていました。)
<続く>
放課後等デイサービス FORTUNA
今日も暑いですが、関東はなかなか梅雨明けしません。早く梅雨が明けてほしいものです。
なかなか平成、令和の時代を生きてくると、昭和の時代は今では「信じられない」、「そんなバカな」ということが普通にまかり通っていました。なかには理不尽極まりないことも多くありました。
また、先生たちも熱血型が多く、真正面から生徒に向き合ってくれる方が多かったように思います。
その当時、そんな怖い先生から、注意のために呼び出され職員室で聞き取りされる場合は、まず正座をしなければなりませんでした。
そのあとは想像にお任せしますが、怖く、辛い時間が続きました。
挙げ句の果てに、職員室で「この子たちが、私たちのためにわざわざ吉野家の牛丼を買ってきてくれました」と、ひとりの先生が ”私たちの牛丼” を袋から取り出し、蓋を開けました。
職員室内に牛丼のおいしそうな匂いが広まり、「おー」と他の先生たちから歓声があがります。
私たち3人は、厳しい指導を受けたうえに、目の前で”私たちの牛丼”が食べられるのを見る羽目になってしまいました。
本当に「あっ」という間に、先生たちは「いただきまーす」と言って”私たちの牛丼”に本当に箸をつけました。
説教は休憩時間の終わりのチャイムがなるまで続きました。(そのときは牛丼は全て空になっていました)
最後に「もう二度と授業中に学校を抜け出すなよ。わかったか!」と一喝されました。
厳しい指導や説教には慣れていましたが、人生初の牛丼を目の前で食べられたことのほうがショックで「わかりました。もうしません」と小さな声で返事するしかありませんでした。
教室に戻ると、男の友だちたちは大爆笑。女の子たちは私たちの様子に笑いを通り越して、「大丈夫?」と心配してくれました。(なぜバレたのか、いろいろな噂はあるのですが、未だに真実はわかりません)
でももともと自分たちがルールを守らず、校則違反をしたのがいけないのです。言い訳の余地など微塵もありません。
辛い辛い牛丼デビューでした。
そのあと、学校から家に連絡がいったのでしょう。帰って父親から鉄拳制裁を食らったのはいうまでもありません。
この話、今の時代に、もしこのようなことがあったなら、教師も生徒も大問題で全国ネットのニュースになっているかもしれません。
しかし、当時の中学校は非常に荒れており、校内暴力という言葉が使われその嵐が学校内で吹き荒れ、学校の窓ガラスや器物が普通に破壊されていた時代で、他中学生徒との諍いや自中学で先生vs生徒の諍いがあり、先生が負ければ学級崩壊、学校崩壊という状態でした。
当然、部活動も荒れており、3年生は神様、2年生は人間、1年生はただの石という関係性はありましたが、先輩たちは怖いけれど「勝つ」という同じ目標をもっている分ファミリー感があり、練習に対しては、みんなが真面目に向き合っていたと思います。
ただ何より尖ることが強くて格好いいと勘違いし、「他校に負けたくない」そこにまっすぐに突入していた青春時代でした。
今でも地元のこの悪友たちと会うたびに、この話題も含めたこのような馬鹿な話とその時の先生たちの怖さについて大爆笑で盛り上がるのです。自分でも相当バカなことをやっていたのだなあとつくづく思います。
(前述の先生たちですが、凄い格好の他校の生徒たちが学校に来たときも、ひるむこと無く同じように校門前で「君たち、何かご用かな?」と竹刀をもちながら笑顔で対応し、問題が起こらないように追い返してくれていました。)
<続く>
放課後等デイサービス FORTUNA