こんにちは。都筑区の放課後等デイサービス FORTUNAです。
前回はアドラー心理学の①を書きました。書いた内容は、アドラー心理学を学んで起業されている女性の方のお話を読んで、私の感じたことや考えを書くことにしますので、ご理解ください。あくまで私の考えです。
なんとこの方は、アドラーの心理学を用いて、たった三ヶ月で家族崩壊から家庭円満に変化させた達人でもあるようです。
では②です。
この方のお話の中に、アドラーの考え方に「褒めない、叱らない子育て」というものがあるということで、その言葉は、私の興味を非常に引きました。
私たちは子どもが何かについて出来た時に当たり前のように褒めると思います。私たちのような職に関連する書籍を読んでいても、「子どもを褒め、自己肯定感を高めましょう」というような文言がよく出てきます。
しかし、この筆者の方はアドラー心理学では褒めることには注意が必要だと書いています。
その理由としてあげられているのが、「褒めるという行為が上下関係を前提としているから」ということで、すなわち、褒めるとは評価する側とされる側の関係性が固定化されてしまうからという理由なようです。
また、以前に外発的動機づけというテーマで書いたこともありますが、(報酬型の話です)褒められて育った子どもは、「褒められるために行動するようになる」ということです。
また文章の中には文科省の調査データが引き合いに出されるのですが、外発的動機づけに依存する子どもは、褒められない環境になると急激にモチベーションが下がることが報告されているということです。
簡単に言えば、自分がやりたいからではなく、「褒められたいから」行動していたという理由のようです。
アドラーもまた、褒めることで子どもは「他者の評価」に依存するようになり、自分で自分を評価できなくなり、常に誰かに認めなければ不安になる。これがSNSによる現代社会の問題である「承認欲求の過剰化」の原因になっているというのです。
果たしてそうなのかな?と私は思います。褒められて嫌な気分になる人はあまりいないと思います。ましてや子どもなら「すごいね」「出来るよね」と褒められることを嬉しいと感じるのではないでしょうか。
私が三年生のあるクラス担任をしていた頃、なかなか言うことを聞かない男児がいました。あるとき教室内の手伝いを頼んだところ真面目に手伝ってくれたので、みんなの前でわりと大げさに褒めたことがありました。その子はそれ以降、自らすすんで手伝いをしてくれるようになり、それを見ていた他の生徒たちの中にも手伝ってくれる子どもが増えていき、最終的には褒めなくとも教室を綺麗にするということが習慣化され、学級運営が上手く進んだという経験があります。
では、褒めない代わりにどうすれば良いのかというと、アドラーさんは「勇気づけ」を提唱しています。
勇気づけは、結果ではなくプロセスに注目するということで、評価ではなく気持ちに共感することです。そのことにより、子どもの内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる。と述べています。
理想はそうなのかもわかりませんが、教育現場でそこまで考えて行動できている先生を私は見たことはありません。何よりも子どもたちが非常に短期間で様々なことを吸収している現場においてはあまり時間的な余裕はありません。私が担任の時は生徒が50人以上いた時代だったので、50人の成長を同時に見続けていかなければならず、その都度タイミング良く指導をいれ、ある程度の道筋を示してやらなければなりませんでした。
「内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる」ということは、理想としては正しく素晴らしいと思いますが、教師や小学生のうち何%がそれを実行できるでしょう。理想と現実は違うと思います。
例えば、教室の本棚が整理されていないのを見つけた担任が、「本を読んだ人は責任を持って返したあと、元のように綺麗に並べてください」と言ったとします。これは高学年においては、社会に出て行く準備として「使ったものは責任をもってきちんと元の場所に返す」という当たり前のことの練習です。低学年、特に新入生などはまだそのことがよく理解できていません。家庭では、保護者の方が片付けてあげていたかもしれません。
そのため低学年になればなるほど、片付けることができる子どもは減ってきます。私が「この本は誰が読んだの?」と聞くと、大抵、大勢が「私は読んでいない」と大きな声で訴えます。当然、読んだことや本棚から出したことを忘れている子どももいます。
ただ、学校という社会に出た場合は、その集団や社会のルールや常識に従っていかなければなりません。そして成長するにつれて自分のことは自分でやらなくてはならないのです。家庭から離れた場合、「自分が使ったにもかかわらず、片付けはしない」は通用しなくなります。
ただ、親が常に玩具を片付けていた低学年の子どものなかには、学校という家庭以外の場所でも自分以外の人が片付けるものだと思い込んでいる子どもも多いのです。だから、家庭での躾が重要になってくるのです。
ですから、そういうときは内発的動機づけを待つのではなく、そのタイミングで「教室の本は誰の物?」 「教室はあなたたちの家ですか?」「みんなの教室だから綺麗にしなくてはならないんだよ」と聞くようにし、片付けさせていました。
学校生活においてみんなで何かを一緒につかう、また片付ける練習は、公共における生活の仕方をわかりやすく説明したもので、「みんなで使うものは、みんなで大切に使い、片付けましょう」に繋がっているのです。
話を戻すと、本棚を整理してと言っても低学年になればなるほど誰も片付けないのですが、クラスの中で指名してお願いすると大体の子は渋々ながらやってくれます。
そうすると「お!○○さんが、本棚を綺麗に整理してくれています。すごいね。○○さん、ありがとう。」とほとんどの人が褒めると思うのです。「でも、もっと他にお手伝いしてくれる人がいてくれたら、早く綺麗になるけれども、誰か手伝ってあげてくれないかな」というと数人が応援に駆けつけます。その時も「みんな素晴らしい。片付けを手伝ってくれてありがとう」というと子どもたちは満面の笑みを浮かべます。
この行動を繰り返していると、子どもたちの中に親からしっかりと躾られていることにより、自分から行動できる子が出てくるのです。
私はそのほかに、この「褒める」という行為のあとに魔法の言葉である「ありがとう」を付け加えることで、子どもたちは、「良いことをしたら、褒められ、感謝される」という経験をし、自信をもっていくものだと信じて、今まで子どもたちに教育してきました。
<褒めるよりも勇気づけることは、結果ではなくプロセスに注目するということで、評価ではなく気持ちに共感することで、そのことにより、子どもの内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる>、というアドラーさんの言葉や褒めるという行為が上下関係を前提としており、褒めるとは評価する側とされる側の関係性が固定化されてしまうからという理由で褒めてはいけないというところが、私にはよくわかりません。
親や先生は年齢も上で、子どもたちに躾や指導する立場です。精神的にも未成熟の子どもが理解できることはほんの僅かしかないからこそ、大人たちが教えなくてはならないのです。人間としての立場は対等ですが、教える側、教えられる側と明確な関係は存在すると私は考えています。
本棚の整理をお願いしている場面においては、上下関係といわれるものなど存在しません。教師としてみんなが使う備品を子どもたちが整理整頓するように指示を出すことは上下関係と呼ぶものではないと思います。
また子どもたちは、「綺麗にしなくちゃ」とか「先生から褒められたい」とかをただ純粋に思っているだけだと思います。それについて正しく適切な行動を起こしている限り褒めてあげれば良いだけでしょう。そして褒められることによって、「子どもたちは正しい行動を理解し習得していく」のだと思います。
<続く>
放課後等デイサービス FORTUNA
前回はアドラー心理学の①を書きました。書いた内容は、アドラー心理学を学んで起業されている女性の方のお話を読んで、私の感じたことや考えを書くことにしますので、ご理解ください。あくまで私の考えです。
なんとこの方は、アドラーの心理学を用いて、たった三ヶ月で家族崩壊から家庭円満に変化させた達人でもあるようです。
では②です。
この方のお話の中に、アドラーの考え方に「褒めない、叱らない子育て」というものがあるということで、その言葉は、私の興味を非常に引きました。
私たちは子どもが何かについて出来た時に当たり前のように褒めると思います。私たちのような職に関連する書籍を読んでいても、「子どもを褒め、自己肯定感を高めましょう」というような文言がよく出てきます。
しかし、この筆者の方はアドラー心理学では褒めることには注意が必要だと書いています。
その理由としてあげられているのが、「褒めるという行為が上下関係を前提としているから」ということで、すなわち、褒めるとは評価する側とされる側の関係性が固定化されてしまうからという理由なようです。
また、以前に外発的動機づけというテーマで書いたこともありますが、(報酬型の話です)褒められて育った子どもは、「褒められるために行動するようになる」ということです。
また文章の中には文科省の調査データが引き合いに出されるのですが、外発的動機づけに依存する子どもは、褒められない環境になると急激にモチベーションが下がることが報告されているということです。
簡単に言えば、自分がやりたいからではなく、「褒められたいから」行動していたという理由のようです。
アドラーもまた、褒めることで子どもは「他者の評価」に依存するようになり、自分で自分を評価できなくなり、常に誰かに認めなければ不安になる。これがSNSによる現代社会の問題である「承認欲求の過剰化」の原因になっているというのです。
果たしてそうなのかな?と私は思います。褒められて嫌な気分になる人はあまりいないと思います。ましてや子どもなら「すごいね」「出来るよね」と褒められることを嬉しいと感じるのではないでしょうか。
私が三年生のあるクラス担任をしていた頃、なかなか言うことを聞かない男児がいました。あるとき教室内の手伝いを頼んだところ真面目に手伝ってくれたので、みんなの前でわりと大げさに褒めたことがありました。その子はそれ以降、自らすすんで手伝いをしてくれるようになり、それを見ていた他の生徒たちの中にも手伝ってくれる子どもが増えていき、最終的には褒めなくとも教室を綺麗にするということが習慣化され、学級運営が上手く進んだという経験があります。
では、褒めない代わりにどうすれば良いのかというと、アドラーさんは「勇気づけ」を提唱しています。
勇気づけは、結果ではなくプロセスに注目するということで、評価ではなく気持ちに共感することです。そのことにより、子どもの内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる。と述べています。
理想はそうなのかもわかりませんが、教育現場でそこまで考えて行動できている先生を私は見たことはありません。何よりも子どもたちが非常に短期間で様々なことを吸収している現場においてはあまり時間的な余裕はありません。私が担任の時は生徒が50人以上いた時代だったので、50人の成長を同時に見続けていかなければならず、その都度タイミング良く指導をいれ、ある程度の道筋を示してやらなければなりませんでした。
「内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる」ということは、理想としては正しく素晴らしいと思いますが、教師や小学生のうち何%がそれを実行できるでしょう。理想と現実は違うと思います。
例えば、教室の本棚が整理されていないのを見つけた担任が、「本を読んだ人は責任を持って返したあと、元のように綺麗に並べてください」と言ったとします。これは高学年においては、社会に出て行く準備として「使ったものは責任をもってきちんと元の場所に返す」という当たり前のことの練習です。低学年、特に新入生などはまだそのことがよく理解できていません。家庭では、保護者の方が片付けてあげていたかもしれません。
そのため低学年になればなるほど、片付けることができる子どもは減ってきます。私が「この本は誰が読んだの?」と聞くと、大抵、大勢が「私は読んでいない」と大きな声で訴えます。当然、読んだことや本棚から出したことを忘れている子どももいます。
ただ、学校という社会に出た場合は、その集団や社会のルールや常識に従っていかなければなりません。そして成長するにつれて自分のことは自分でやらなくてはならないのです。家庭から離れた場合、「自分が使ったにもかかわらず、片付けはしない」は通用しなくなります。
ただ、親が常に玩具を片付けていた低学年の子どものなかには、学校という家庭以外の場所でも自分以外の人が片付けるものだと思い込んでいる子どもも多いのです。だから、家庭での躾が重要になってくるのです。
ですから、そういうときは内発的動機づけを待つのではなく、そのタイミングで「教室の本は誰の物?」 「教室はあなたたちの家ですか?」「みんなの教室だから綺麗にしなくてはならないんだよ」と聞くようにし、片付けさせていました。
学校生活においてみんなで何かを一緒につかう、また片付ける練習は、公共における生活の仕方をわかりやすく説明したもので、「みんなで使うものは、みんなで大切に使い、片付けましょう」に繋がっているのです。
話を戻すと、本棚を整理してと言っても低学年になればなるほど誰も片付けないのですが、クラスの中で指名してお願いすると大体の子は渋々ながらやってくれます。
そうすると「お!○○さんが、本棚を綺麗に整理してくれています。すごいね。○○さん、ありがとう。」とほとんどの人が褒めると思うのです。「でも、もっと他にお手伝いしてくれる人がいてくれたら、早く綺麗になるけれども、誰か手伝ってあげてくれないかな」というと数人が応援に駆けつけます。その時も「みんな素晴らしい。片付けを手伝ってくれてありがとう」というと子どもたちは満面の笑みを浮かべます。
この行動を繰り返していると、子どもたちの中に親からしっかりと躾られていることにより、自分から行動できる子が出てくるのです。
私はそのほかに、この「褒める」という行為のあとに魔法の言葉である「ありがとう」を付け加えることで、子どもたちは、「良いことをしたら、褒められ、感謝される」という経験をし、自信をもっていくものだと信じて、今まで子どもたちに教育してきました。
<褒めるよりも勇気づけることは、結果ではなくプロセスに注目するということで、評価ではなく気持ちに共感することで、そのことにより、子どもの内発的動機づけを育て、「自分がやりたいからやる」という自律性が、真の自立につながる>、というアドラーさんの言葉や褒めるという行為が上下関係を前提としており、褒めるとは評価する側とされる側の関係性が固定化されてしまうからという理由で褒めてはいけないというところが、私にはよくわかりません。
親や先生は年齢も上で、子どもたちに躾や指導する立場です。精神的にも未成熟の子どもが理解できることはほんの僅かしかないからこそ、大人たちが教えなくてはならないのです。人間としての立場は対等ですが、教える側、教えられる側と明確な関係は存在すると私は考えています。
本棚の整理をお願いしている場面においては、上下関係といわれるものなど存在しません。教師としてみんなが使う備品を子どもたちが整理整頓するように指示を出すことは上下関係と呼ぶものではないと思います。
また子どもたちは、「綺麗にしなくちゃ」とか「先生から褒められたい」とかをただ純粋に思っているだけだと思います。それについて正しく適切な行動を起こしている限り褒めてあげれば良いだけでしょう。そして褒められることによって、「子どもたちは正しい行動を理解し習得していく」のだと思います。
<続く>
放課後等デイサービス FORTUNA