こんにちは!保育士のたくまです。突然ですが、みなさんは「負けず嫌い」ですか?
私は負けても「まぁ、いいか〜」と割とすぐに立ち直れるタイプでして。まぁ、ジャンルにもよりますが、ゲームやスポーツにおいては、ほぼほぼそういうマインドでやり過ごせる自信があります。
だって、たかがゲーム、たかがスポーツ。負けたとて、命を落とすわけでもないし。敗者と勝者がいるのはある意味、自然の摂理なので。そもそも長い人生、ず〜っと勝ち続けるなんて無理な話で。「勝てばラッキー」くらいの気持ちが自分には丁度いいんです。
まぁ、この考え方自体には賛否両論ありそうですが、こと勝負ごとに関しては昔から私はそういうマインドです。「真剣味が足りない」「冷めている」と言われればそれまでですが。
さてさて話を戻して、子どもたちの中には、ゲームや競争で「絶対に負けたくない!」という強い気持ちを持つ子がいます。ユリシスにも、それはもう星の数ほどいます⋯。すみませんちょっと盛りました、在籍の5分の1くらいはそういう子たちです。
負けてしまうと泣いたり、怒ったり、時には物を投げてしまったり。そんな姿を見ると、「もう少し穏やかに楽しんでくれたらいいのにな」と思ってしまうこともあります。
でも実は、その「負けたくない」という強い気持ちは成長の芽でもあって。悔しさの裏には、「もっと上手になりたい」「認められたい」という心が隠れていたりするんですよね。
ここでちょっと例え話を。
毎年、甲子園で全力プレーを見せる高校球児たち。優勝したチームはもちろん素晴らしいですが、私たちの心を打つのは、実は涙を流して敗れたチームの姿ではないでしょうか。
試合が終わっても、負けた選手たちは相手チームに礼をし、仲間と抱き合いながら泣きます。その姿には「やり切った悔しさ」と同時に、「自分自身を超えようとした誇り」があります。そういう姿に観ている人は感動を憶えるんですよね。
ここにこそ、「負けの美学」があるのだと思います。負けを通して、自分を見つめ直し、次に進む力を育てる。これは、子どもが社会で生きていくうえで、とても大切な経験だと思っていて。
もう一つ例え話を。
少し昔の話になりますが、漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈は、勝ち続けるだけのヒーローではありません。(ご存知ない方はぜひ、「あしたのジョー」でググッてみて下さい)
彼は何度も負け、悩み、ボロボロになりながら、それでも「自分の信じる戦い方」を貫いたんです。(丹下段平の「立て⋯!立つんだジョ〜ッ!」はあまりに有名)
最後に彼が見せた「真っ白に燃え尽きた姿」は、まさに「負けの美学」の象徴。勝ち負けよりも大切なのは、自分の全力を出し切ったかどうか。その姿が、人の心を打つ。カッコいいんです。
負けるということは、次の挑戦へのスタートラインに立ったということ。勝った相手に拍手を送れる心を持てるようになれば、それはすでに大きな成長じゃないでしょうか。
私たち大人が子どもにできることは、「勝てたね」「負けちゃったね」と結果だけを評価するのではなく、「最後まであきらめなかったね」「工夫してたね」と努力の過程を認めること。
そして、負けてしまっても「次は、どんな工夫をしたら勝てるかな?」と、負けから学ぶ姿勢を持つこと。
そうすることで、子どもは少しずつ「勝つこと」よりも「自分らしく頑張ること」「負けから何を学ぶか」に価値を感じられるようになると思っていて。
ユリシスでも、運動遊びの中で「勝った・負けた」という場面は日常的にあります。でも、私たちが一番伝えたいのは、「勝ち方」ではなく「負け方」。
悔しさをバネにして、また前を向ける力こそが、社会で生きる本当の強さではないでしょうか。『あしたのジョー』の矢吹丈のように、倒れても立ち上がり、涙のつぶだけたくましく、傷ついてしなやかに(映画『明日のジョーの』主題歌“美しき狼たち”より引用)
ご家庭では、お子さんが負けて泣いた時こそ、「それだけ一生懸命だったんだね」と抱きしめてあげて欲しい。その瞬間が、負けを成長に変える第一歩だと思っていて。
負けることを恐れずに挑戦できる子に。そんな優しくて、強い心を一緒に育てていけるといいですよね。
私は負けても「まぁ、いいか〜」と割とすぐに立ち直れるタイプでして。まぁ、ジャンルにもよりますが、ゲームやスポーツにおいては、ほぼほぼそういうマインドでやり過ごせる自信があります。
だって、たかがゲーム、たかがスポーツ。負けたとて、命を落とすわけでもないし。敗者と勝者がいるのはある意味、自然の摂理なので。そもそも長い人生、ず〜っと勝ち続けるなんて無理な話で。「勝てばラッキー」くらいの気持ちが自分には丁度いいんです。
まぁ、この考え方自体には賛否両論ありそうですが、こと勝負ごとに関しては昔から私はそういうマインドです。「真剣味が足りない」「冷めている」と言われればそれまでですが。
さてさて話を戻して、子どもたちの中には、ゲームや競争で「絶対に負けたくない!」という強い気持ちを持つ子がいます。ユリシスにも、それはもう星の数ほどいます⋯。すみませんちょっと盛りました、在籍の5分の1くらいはそういう子たちです。
負けてしまうと泣いたり、怒ったり、時には物を投げてしまったり。そんな姿を見ると、「もう少し穏やかに楽しんでくれたらいいのにな」と思ってしまうこともあります。
でも実は、その「負けたくない」という強い気持ちは成長の芽でもあって。悔しさの裏には、「もっと上手になりたい」「認められたい」という心が隠れていたりするんですよね。
ここでちょっと例え話を。
毎年、甲子園で全力プレーを見せる高校球児たち。優勝したチームはもちろん素晴らしいですが、私たちの心を打つのは、実は涙を流して敗れたチームの姿ではないでしょうか。
試合が終わっても、負けた選手たちは相手チームに礼をし、仲間と抱き合いながら泣きます。その姿には「やり切った悔しさ」と同時に、「自分自身を超えようとした誇り」があります。そういう姿に観ている人は感動を憶えるんですよね。
ここにこそ、「負けの美学」があるのだと思います。負けを通して、自分を見つめ直し、次に進む力を育てる。これは、子どもが社会で生きていくうえで、とても大切な経験だと思っていて。
もう一つ例え話を。
少し昔の話になりますが、漫画『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈は、勝ち続けるだけのヒーローではありません。(ご存知ない方はぜひ、「あしたのジョー」でググッてみて下さい)
彼は何度も負け、悩み、ボロボロになりながら、それでも「自分の信じる戦い方」を貫いたんです。(丹下段平の「立て⋯!立つんだジョ〜ッ!」はあまりに有名)
最後に彼が見せた「真っ白に燃え尽きた姿」は、まさに「負けの美学」の象徴。勝ち負けよりも大切なのは、自分の全力を出し切ったかどうか。その姿が、人の心を打つ。カッコいいんです。
負けるということは、次の挑戦へのスタートラインに立ったということ。勝った相手に拍手を送れる心を持てるようになれば、それはすでに大きな成長じゃないでしょうか。
私たち大人が子どもにできることは、「勝てたね」「負けちゃったね」と結果だけを評価するのではなく、「最後まであきらめなかったね」「工夫してたね」と努力の過程を認めること。
そして、負けてしまっても「次は、どんな工夫をしたら勝てるかな?」と、負けから学ぶ姿勢を持つこと。
そうすることで、子どもは少しずつ「勝つこと」よりも「自分らしく頑張ること」「負けから何を学ぶか」に価値を感じられるようになると思っていて。
ユリシスでも、運動遊びの中で「勝った・負けた」という場面は日常的にあります。でも、私たちが一番伝えたいのは、「勝ち方」ではなく「負け方」。
悔しさをバネにして、また前を向ける力こそが、社会で生きる本当の強さではないでしょうか。『あしたのジョー』の矢吹丈のように、倒れても立ち上がり、涙のつぶだけたくましく、傷ついてしなやかに(映画『明日のジョーの』主題歌“美しき狼たち”より引用)
ご家庭では、お子さんが負けて泣いた時こそ、「それだけ一生懸命だったんだね」と抱きしめてあげて欲しい。その瞬間が、負けを成長に変える第一歩だと思っていて。
負けることを恐れずに挑戦できる子に。そんな優しくて、強い心を一緒に育てていけるといいですよね。