私の44年の人生で大きく影響したと感じる人物が3人いる。
ひとりは剣道の師匠、もう一人は仕事の師匠、もう一人は母親だ。
母は23歳で兄を出産し、親戚もいない誰も知らない土地で父と事業を始めた。末っ子の私を出産したあとに過労だったのか生死をさまよった経験がある。
そんな大変な経験をしている母の泣いている姿や辛い暗い顔をしたのを私は見たことがない。
泣き言も言わずその上頭もきれてすごいなと感じていた。
教師になってしばらくは近況報告もして何かと相談していたように思う。
でもこの母の強さが時に私にとっては厳しすぎるときがあった。
27歳で私はうつ病となり教師を辞めた。入院した方が早く治ると医師から勧められ入院して療養した時期があった。その時期に「働かざる者食うべからず」と何かのタイミングで言われたことがあった。
周囲にうつ病の人がいて母に相談した際にはすべてを知っているかのような口調で家族としての心持ちなど朗々と語っていた。「なんだか違う」とそのあたりから母に対して違和感があった。
自分がやりたいことについて私が相談すると「それって大丈夫なの?」と母は必ず疑いから入る。心配からの発言であることは重々承知しているのだが、ことごとく否定されている気がして、それからというもの母には全く相談もしなくなった。離婚をすることも自身が決心した後に報告した。起業することを伝えた際には母は何も言い返さず、もう何を言っても言うことは聞かない娘だとばかりにため息をついていた。
どうして親に理解してもらえないのだろうと20代後半から最近まで思っていたが、血がつながっているとて理解してくれるとも限らないことを悟ったら気持ちが楽になった。自分を理解してくれる人は他人でもいる。血のつながりなど関係なくむしろ他人の方が気を遣ってくれると感じた。
自分の経験もあるからかわが子を心配している保護者の方には、心配しても子ども自身は変わらないので親自身が楽しいと感じることに時間を費やしフォーカスしてほしいと伝えている。あとは親の幸せが子どもの幸せとは限らないこと、自分が心配することが子どもの心配とは限らない、不幸だとも限らないことも口添えしている。
子どもと親は別の生き物。
でも親のマインドはしっかり入っています。
私の子だから大丈夫と自身にも言って聞かせてくださいねと話の最後にまとめているようにしている。
ちなみに母のことは大好きで尊敬もしていて感謝の気持ちしかないことは生涯変わらないものだ。親だから子である自分のすべてを理解してくれると思いこんでいた私が間違っていた。捉え方を変えればもっと人生は楽であった。
何にフォーカスするかによって不安にさいなまれるか、楽しくなるか、捉え方によって変わる。どうせだったら楽しいことにフォーカスしませんか。その楽しさを今は私が体現しています。
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2024年2月オープン
児童発達支援・放課後等デイサービス
アンフィニ
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アンフィニでは1週間を通しての活動になります。
工作や運動、学習などを活動に取り入れています。
教師による「オーダーメイドの療育」
日々変化する利用者様のコンディションを見極め、「個性をのばす」「個性を活かす」活動を行って参ります。
就学に向けて自分でできることをひとつひとつ増やして参りませんか。
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「親子関係」児発・放デイ アンフィニ代表
教室の毎日
25/05/08 06:10
