私は子どもの時から道徳の時間が嫌いだった。
教師が用意した答えに導く印象があったからだ。
先生の答えを聞くたびに先生と私は考え方が違う…と子どもながらにずっと思っていたことだった。
先生と答えが違ったから「自分の考えがいけないんだ、ダメなんだ」とずっと思っていた。
アンフィニを利用している保護者の方からこんな相談があった。
うちの子は「振り返り」の力が弱いと担任に言われました。
授業の中でこんなお題があったという。
校庭に落ちていた鍵を見つけたとする。鍵を見つけたらどうするかという問い。
そのお子さんは鍵を拾って先生に渡すと答えた。私もそう答える。大正解だと感じる。
しかし教師の用意した答えは「いったん落ち着く」だそうだ。
いつでもまずは落ち着くということが必要だそうだ。
教師が用意した答えに導きたいのなら私だったら「行動」と「気持ち」というカテゴリーに分けて子どもに問うと思う。
カテゴリーに分けたとてまずは落ち着くという答えは正直センスを感じない。
落ち着いているからこそ鍵を拾って大人に知らせるという行為ができているのではないのか。
その時どうするかという漠然として広すぎるお題こそ自由な発想で考えさせていいのではないだろうか。
道徳という科目は倫理観を養う時間であるだろうが、自分の考えを出す、自分にはない考えを知るということの方が私は大切なのだと感じる。
社会性を身につけるトレーニング(SST)が私たちの業界での公用語みたいになっているし保護者の方も求めていることだが私は机上で一斉には展開しない。その時の子どもからは品行方正な答えしか出ないのを知っているからだ。
アンフィニでは感情むき出しになった物の取り合いの場面など突発的な瞬間などに振り返りを行ってもらっている。
現在どのような状況なのか、原因は何か、これからどうしていけばいいのか。現在過去未来を自身で客観的に振り返ってもらうよう子どもに淡々と問う。現実を確認してもらう。
自分が悪いと気が付いたのであれば本当の意味で反省して謝った方がいいことを子ども自身が気が付く。だからアンフィニでは子どもには「謝って」と強要しない。
子どもの口から「謝ってよ」と出るお子さんは周囲の大人が謝ることを子どもに伝えているのだろう。そういう子どもはただ謝ればいいんでしょと本当の意味で相手に謝ることができていないと感じる。
学校や保育園では集団活動の場なので個々の突発的な出来事にばかり教師や保育士が時間を割くことが難しい。私たちはそこに時間を割ける。
学校や園でできない支援ができるというささやかな優越感に浸るとともに現場の先生に時間を十分に用意したのなら私が心がけていることができるだろうかと疑問に思うときがある。
しかしながら子どもを思う気持ちは変わらない。
子どもが混乱することのないような関わりをするためのスキルを大人がいつまでも磨き続けたいし、子どもに関わるすべての人が磨き続けてほしい。
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2024年2月オープン
児童発達支援・放課後等デイサービス
アンフィニ
JR馬橋駅から徒歩10分
1階に不動産業のアールフィールズさんの緑の看板が目印
建物3階部となります。エレベーターがございません。
アンフィニでは1週間を通しての活動になります。
工作や運動、学習などを活動に取り入れています。
教師による「オーダーメイドの療育」
日々変化する利用者様のコンディションを見極め、「個性をのばす」「個性を活かす」活動を行って参ります。
就学に向けて自分でできることをひとつひとつ増やして参りませんか。
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「道徳嫌い」児発・放デイ アンフィニ代表
教室の毎日
25/06/10 05:56
