子どもが学校に行けないとき、私たちはつい「行けるか、行けないか」だけでその子の状態を見てしまうことがあります。でも本当は、その間にも子どもは変わっている。少しずつ心を開き、安心できる場所で力を取り戻し、もう一度世界とつながろうとしている。その歩みが、ある日「出席」として認められたとき、私たちはお母さんと一緒に泣いて喜びました。
今回は、普段のラフダイ療育トレーニングの中で起きた、うまくいった対応事例について紹介したいと思います。
正直に言うと、今回は私の中では「神回」です。
この業界に十数年関わってきましたが、それでもなお「こんなことがあるんだ」と思える出来事でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとっては奇跡のような出来事でした。
それは、不登校のお子さんに関することです。
現在、私たちの施設にも不登校の子どもたちが通っています。その中で、ひとつ大きな成功事例が生まれました。
私たちは放課後等デイサービス、つまり児童福祉事業の施設です。学校ではありません。フリースクールでもありません。
それでも今回、私たちの施設に通っていることが、学校での「出席扱い」として認められたのです。
これは本当にすごいことでした。
お母さんと一緒に、泣いて喜びました。「こんなことがあるんだ」と、心から思いました。
もちろん、簡単に認められたわけではありません。
そこに至るまでには、学校との丁寧な連携がありました。担任の先生とこまめにやり取りをしながら、私たちの施設でその子がどんなふうに過ごしているのか、どんな支援を受けているのか、どんな変化が見られているのかを伝え続けてきました。
「今、こういう取り組みをしています」
「こういう形で元気を取り戻してきています」
「少しずつ心を開いてきています」
「療育の中で、こういう成長が見られています」
そうしたことを、日々の関わりの中で学校側に共有していました。
担任の先生も、それを校長先生に共有してくださいました。そして学校側から教育委員会へ、「学校には来られていないけれど、この子は今こういう場所で、こういう支援を受けています」と相談してくださいました。
そこから教育委員会の方が、実際に私たちの施設へ視察に来てくださいました。
療育の様子を見ていただきました。
その子がどんな環境で、どんな支援を受け、どんな時間を過ごしているのか。私たちが何を大切にしながら関わっているのか。実際の現場を見ていただきました。
その結果、「確かに必要な支援をしている」と判断していただくことができました。
そして、今期分が出席扱いとして認められたのです。
これは、私自身にとっても大きな驚きでした。
出席扱いと聞くと、一般的にはフリースクールのような形が思い浮かびます。自治体にしっかり認められた場所であれば、一定の条件のもとで出席扱いになるという認識はありました。
一方で、放課後等デイサービスという枠組みの中で、それが認められるというのは、そう簡単なことではないと思っていました。
法令や制度の話になると、やはり難しい部分があります。現場の思いだけでは動かないこともあります。必要性があっても、仕組みとしてどう扱われるかは別の問題だったりします。
でも今回、思いました。
愚直に、真摯に向き合っていくと、こういうことが起こるのだと。
もちろん、すべてのケースで同じようにいくとは限りません。自治体や学校、教育委員会の判断もありますし、その子の状況、支援内容、連携のあり方によっても変わると思います。
それでも、今回の出来事は、私たちにとって大きな希望になりました。
学校に行けていない時間が、何もしていない時間だとは限らない。
子どもは、学校という場所に足を運べていない間にも、どこかで必死に生きています。安心できる場所を探し、自分を守りながら、それでも少しずつ回復しようとしています。
その時間を、社会がどう見るのか。
「学校に来ていないから欠席」だけで終わらせるのか。
それとも、「この子はいま別の場所で必要な支援を受けながら、確かに歩んでいる」と見るのか。
今回の出来事は、その問いに対するひとつの可能性を示してくれたように思います。
お母さんとも、このことについて話しました。
この実績が少しでも広がれば、同じように困っている子どもたちや保護者の方々、そして同じように悩んでいる学校の先生方にとって、何かのヒントになるかもしれない。
「こういうケースもあるんだ」
「うちの子にも、何かできることがあるかもしれない」
「学校と施設が連携すれば、別の道が開けるかもしれない」
そう思ってもらえるだけでも、大きな意味があるのではないかと感じました。
私が「このことを共有してもいいでしょうか」とお母さんにお話ししたところ、「ぜひお願いします」と言ってくださいました。
その気持ちが、本当にありがたかったです。
これは私たちだけの成功ではありません。
お母さんが諦めずに子どもを見守ってきたこと。
担任の先生が丁寧に話を聞き、校長先生や教育委員会へつないでくださったこと。
教育委員会の方が実際に現場を見に来てくださったこと。
そして何より、その子自身が、安心できる場所の中で少しずつ心を開き、歩み続けてきたこと。
そのすべてが重なって、今回の結果につながったのだと思います。
支援とは、誰かひとりの力で起こす奇跡ではなく、関わる人たちが同じ方向を向いたときに生まれる小さな希望なのだと思います。
今回の出来事で、私は大きな勇気をもらいました。
まだまだ制度の壁はあります。現場には難しさもあります。不登校の子どもたちへの支援は、一つの正解で語れるものではありません。
でも、子どもにとって必要な場所があり、そこで確かに回復や成長が起きているなら、その時間はもっと丁寧に見られていいはずです。
学校に行けることだけがゴールではない。
まずは安心できること。
自分の存在を否定されないこと。
少しずつ人と関われるようになること。
自分のペースで力を取り戻していくこと。
そうした一つひとつも、子どもにとっては大切な学びです。
私たちはこれからも、向き不向きではなく、前向きに支援と向き合っていきたいと思います。
子どもたち一人ひとりに向き合い、レッスンに向き合い、保護者の方と向き合い、学校や関係機関とも丁寧につながっていく。
今回の「出席扱い」は、ひとつの結果です。
でもそれ以上に、子どもの歩みを社会が認めるためには、現場の小さな連携と、真摯な積み重ねが必要なのだと教えてくれました。
奇跡のように感じた出来事も、振り返れば、日々の関わりの延長線上にありました。
だからこそ、これからも愚直に続けていきたい。
子どもが安心して自分を取り戻せる場所をつくること。
その歩みを、学校や社会と一緒に見つめていくこと。
そして、学校に行けない時間の中にも確かにある成長を、見逃さずに伝えていくこと。
今回、お母さんと一緒に流した涙は、ただ嬉しかったからだけではありません。
その子の時間が、ちゃんと見てもらえた。
その子の歩みが、ちゃんと認められた。
その事実が、胸に深く響いたのだと思います。
今回は、普段のラフダイ療育トレーニングの中で起きた、うまくいった対応事例について紹介したいと思います。
正直に言うと、今回は私の中では「神回」です。
この業界に十数年関わってきましたが、それでもなお「こんなことがあるんだ」と思える出来事でした。大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとっては奇跡のような出来事でした。
それは、不登校のお子さんに関することです。
現在、私たちの施設にも不登校の子どもたちが通っています。その中で、ひとつ大きな成功事例が生まれました。
私たちは放課後等デイサービス、つまり児童福祉事業の施設です。学校ではありません。フリースクールでもありません。
それでも今回、私たちの施設に通っていることが、学校での「出席扱い」として認められたのです。
これは本当にすごいことでした。
お母さんと一緒に、泣いて喜びました。「こんなことがあるんだ」と、心から思いました。
もちろん、簡単に認められたわけではありません。
そこに至るまでには、学校との丁寧な連携がありました。担任の先生とこまめにやり取りをしながら、私たちの施設でその子がどんなふうに過ごしているのか、どんな支援を受けているのか、どんな変化が見られているのかを伝え続けてきました。
「今、こういう取り組みをしています」
「こういう形で元気を取り戻してきています」
「少しずつ心を開いてきています」
「療育の中で、こういう成長が見られています」
そうしたことを、日々の関わりの中で学校側に共有していました。
担任の先生も、それを校長先生に共有してくださいました。そして学校側から教育委員会へ、「学校には来られていないけれど、この子は今こういう場所で、こういう支援を受けています」と相談してくださいました。
そこから教育委員会の方が、実際に私たちの施設へ視察に来てくださいました。
療育の様子を見ていただきました。
その子がどんな環境で、どんな支援を受け、どんな時間を過ごしているのか。私たちが何を大切にしながら関わっているのか。実際の現場を見ていただきました。
その結果、「確かに必要な支援をしている」と判断していただくことができました。
そして、今期分が出席扱いとして認められたのです。
これは、私自身にとっても大きな驚きでした。
出席扱いと聞くと、一般的にはフリースクールのような形が思い浮かびます。自治体にしっかり認められた場所であれば、一定の条件のもとで出席扱いになるという認識はありました。
一方で、放課後等デイサービスという枠組みの中で、それが認められるというのは、そう簡単なことではないと思っていました。
法令や制度の話になると、やはり難しい部分があります。現場の思いだけでは動かないこともあります。必要性があっても、仕組みとしてどう扱われるかは別の問題だったりします。
でも今回、思いました。
愚直に、真摯に向き合っていくと、こういうことが起こるのだと。
もちろん、すべてのケースで同じようにいくとは限りません。自治体や学校、教育委員会の判断もありますし、その子の状況、支援内容、連携のあり方によっても変わると思います。
それでも、今回の出来事は、私たちにとって大きな希望になりました。
学校に行けていない時間が、何もしていない時間だとは限らない。
子どもは、学校という場所に足を運べていない間にも、どこかで必死に生きています。安心できる場所を探し、自分を守りながら、それでも少しずつ回復しようとしています。
その時間を、社会がどう見るのか。
「学校に来ていないから欠席」だけで終わらせるのか。
それとも、「この子はいま別の場所で必要な支援を受けながら、確かに歩んでいる」と見るのか。
今回の出来事は、その問いに対するひとつの可能性を示してくれたように思います。
お母さんとも、このことについて話しました。
この実績が少しでも広がれば、同じように困っている子どもたちや保護者の方々、そして同じように悩んでいる学校の先生方にとって、何かのヒントになるかもしれない。
「こういうケースもあるんだ」
「うちの子にも、何かできることがあるかもしれない」
「学校と施設が連携すれば、別の道が開けるかもしれない」
そう思ってもらえるだけでも、大きな意味があるのではないかと感じました。
私が「このことを共有してもいいでしょうか」とお母さんにお話ししたところ、「ぜひお願いします」と言ってくださいました。
その気持ちが、本当にありがたかったです。
これは私たちだけの成功ではありません。
お母さんが諦めずに子どもを見守ってきたこと。
担任の先生が丁寧に話を聞き、校長先生や教育委員会へつないでくださったこと。
教育委員会の方が実際に現場を見に来てくださったこと。
そして何より、その子自身が、安心できる場所の中で少しずつ心を開き、歩み続けてきたこと。
そのすべてが重なって、今回の結果につながったのだと思います。
支援とは、誰かひとりの力で起こす奇跡ではなく、関わる人たちが同じ方向を向いたときに生まれる小さな希望なのだと思います。
今回の出来事で、私は大きな勇気をもらいました。
まだまだ制度の壁はあります。現場には難しさもあります。不登校の子どもたちへの支援は、一つの正解で語れるものではありません。
でも、子どもにとって必要な場所があり、そこで確かに回復や成長が起きているなら、その時間はもっと丁寧に見られていいはずです。
学校に行けることだけがゴールではない。
まずは安心できること。
自分の存在を否定されないこと。
少しずつ人と関われるようになること。
自分のペースで力を取り戻していくこと。
そうした一つひとつも、子どもにとっては大切な学びです。
私たちはこれからも、向き不向きではなく、前向きに支援と向き合っていきたいと思います。
子どもたち一人ひとりに向き合い、レッスンに向き合い、保護者の方と向き合い、学校や関係機関とも丁寧につながっていく。
今回の「出席扱い」は、ひとつの結果です。
でもそれ以上に、子どもの歩みを社会が認めるためには、現場の小さな連携と、真摯な積み重ねが必要なのだと教えてくれました。
奇跡のように感じた出来事も、振り返れば、日々の関わりの延長線上にありました。
だからこそ、これからも愚直に続けていきたい。
子どもが安心して自分を取り戻せる場所をつくること。
その歩みを、学校や社会と一緒に見つめていくこと。
そして、学校に行けない時間の中にも確かにある成長を、見逃さずに伝えていくこと。
今回、お母さんと一緒に流した涙は、ただ嬉しかったからだけではありません。
その子の時間が、ちゃんと見てもらえた。
その子の歩みが、ちゃんと認められた。
その事実が、胸に深く響いたのだと思います。